2020年大河ドラマ『麒麟がくる』主役・明智光秀の正室・妻木煕子(つまき ひろこ)の役を美人演技派女優の木村文乃さんが演じられますっ!

 

明智光秀は愛妻家としても有名な武将ですよね。

愛された妻木煕子の子どもや生涯について見ていきたいと思います。

きっと魅力的な人でしょうね~。

 

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【麒麟がくる】妻木煕子役は木村文乃

 

【麒麟がくる】妻木煕子役は木村文乃

画像引用元:https://www.talent-databank.co.jp/search/t2000055228

 

大河ドラマ『麒麟がくる』で明智光秀の妻・明智煕子(ひろこ)(旧姓・妻木煕子)が登場します。

役を演じるのは、木村文乃さん!

 

妻木煕子は、織田信長が煕子と初対面のとき、煕子のあまりの美しさに信長は抱きついてしまった。という逸話まであるほどの美人だったようですので、木村文乃さんはまさしくイメージにピッタリですね!

 

妻木煕子は、明智光秀の妻なので、たくさん史料があるかと思いきや彼女のことがわかる史料は極めて少なく、殆ど残されていません。

 

明智軍記」という明智家の事が書かれた史料はあるのはあるのですが、間違ってたり、ちょっと作り話?みたいな部分もあったりして、信頼できる史料とは言い難いのだそうです。

それでも、今回のドラマでは主役が明智光秀。で、妻木煕子はその正室なので、登場するシーンはたくさんありそうですよね。

 

史料がないので難しい部分も多いと思われますが、だからこそ、木村文乃さんがどう演じられるのかが楽しみですね。

 

明智光秀から深く愛された正室(妻)・妻木煕子

明智光秀から深く愛された正室(妻)・妻木煕子

明智光秀は愛妻家としてとても有名で、側室をおくことが普通とされていた時代なのに、正室一筋!

側室は置かなかったそうです。何かかっこいいですね。

 

これは、明智光秀の考え方なのでしょうか?

性格なのでしょうか?

 

妻木煕子が魅力溢れる女性だったからでしょうか…。

明智光秀から深く愛された正室(妻)・妻木煕子…。

 

どんな人物だったのか見ていきたいと思います。

 

妻木煕子が生まれたのは1530年頃(享禄3年)と1534年(天文3年)といった2つの説があります。

お父様は、

 

・妻木範煕

・妻木広忠

の二人が候補に上がっています。

 

同一人物説もある二人なので、はっきりしたことはわかりませんが、史料→「細川家譜」「美濃国諸旧記」「妻木系図」によると父は妻木範熙とされています。

 

1540〜1550年辺りに結婚。

時期ははっきりとはわかっていませんが、だいたい1545年(天文14年)頃、明智光秀の正室・明智煕子となります。

 

美しかった煕子ですが、実は嫁ぐ前に天然痘を患い、顔に痘痕が残ってしまったそうです。

 

そこで妻木家は、煕子によく似た妹の芳子を光秀に嫁がせようとしました。

よっぽど明智光秀との縁談を潰したくなかったのでしょうね。

 

でも、明智光秀は、人の容貌はすぐ変わるが、心の美しさは変わらない。」と、妹ではなく煕子を正室に迎えたとされています。

この時からすでに深い愛を感じますね。

 

そして、1556年(弘治2年)斎藤道三 VS 斎藤道三の嫡男・斎藤義龍長良川の戦い」に明智光秀は参加することになります。

 

明智光秀は斎藤道三の味方につきましたが、勝利したのは嫡男の斎藤義龍。

明智光秀は本拠を失い浪人となりました。

浪人→現代でいうと“無職”です。)

当然生活は質素に…。

 

そんな時、明智光秀は “ 連歌会”  を開くこととなります。

そうなると連歌会の参加者を接待しなければならなくなりますが、無職なのでお金はなく…。

 

そこで、煕子は夫が連歌会で恥をかかないように、自慢の黒髪を売り資金を集め、酒、料理を出し、参加者をもてなしました。

明智光秀は、そんな煕子の気持ちが嬉しくて、感謝したそうです。

 

煕子が亡くなるまで、側室を持たなかったのは、愛していたのはもちろんですが、このような大変なときにお互いがお互いを思いやり深い愛と絆がうまれたからではないかと思います。

光秀との間には3男4女の子どもを授かりましたが、煕子の子どもについての史実はやはりあまり残されておらず、未だに不明点は多いです。

 

ですが、唯一史料が残されているのは、

・長男の光慶。

残されているといっても史料は少なくて、いつ誕生したのか分かっていません。

ただ、死因は諸説あり、

 

「父の明智光秀が主君・織田信長に謀反を起こしたこと知り、不道を嘆きその場で亡くなった。」

「明智光秀が山崎の戦いに敗北し、帰りの道中で討たれると、攻撃を受け落城する前に煕子と一族とともに自害した。」

 

と、されています。

 

・三女の細川ガラシャ。

1563年(永禄6年)誕生。

細川ガラシャは美人であったとされています。

 

煕子も美人だったようなので、お母さん譲りの美貌だったのでしょうね。

細川忠興に嫁ぎ、キリスト教に洗礼されガラシャという洗礼名を受けます。

 

関ヶ原の戦いで、敵軍の石田三成によって大阪城下にあった細川屋敷に襲撃され、自害。

1600年(慶長5年)7月17日に亡くなった。とされています。

 

他の子どもに関する史料は残されていません。

 

1576年(天正4年)、明智光秀は「天王寺の戦い」に参加した後、過労で体調を崩してしまいます。

 

そして煕子は夫の看病をし、明智光秀の体調は回復したとされていますが、看病で疲れたのか、煕子はその後、まもなく亡くなったとされています。

または、亡くなった理由について自害という説もあります。

 

煕子の自害説については、1582年(天正10年)明智光秀が「山崎の戦い」で敗北します。

そして光秀が坂本城へ帰る道中、百姓に殺害されたことを知り、煕子は坂本城で落城前に自害したとされる。といった説もあります。

 

詳しい史料がないので、死因も時期も詳しくわかっていませんが、おそらく亡くなったのは、煕子が46歳か42歳か36歳とされています。

 

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