2020年大河ドラマ『麒麟がくる』で、明智光秀の叔父・明智光安を演じるのは、西村まさ彦さんです。
明智家の家督を継ぎ、そして斎藤道三の家臣だった光安。
史料が少なく、明智光秀同様、詳しい人物像は分かっていませんが、西村まさ彦さんが演じると明智光安って、なんだか穏やかな武将だったのでは?なんてイメージを持ってしまいます。
そんな明智光安について語られている人生について振り返ってみたいと思います。
目次
【麒麟がくる】明智光安役は西村まさ彦!
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『麒麟がくる』で明智光安を演じるのは、西村まさ彦さん。
西村まさ彦さん・・・と、字を見ると、気づく事があると思います。
そう!
西村雅彦 → 西村まさ彦 に改名されているんですよね!
改名といっても、本名が西村雅彦。
『雅』の字を、ひらがなの『まさ』に変更しただけなんですけどね。
理由は、ご自身のブログで明かしていますが、なんでも今まで胸を張って『自分の職業は俳優です』と言えなかったそうで。。。
現在、58歳の西村さん。
俳優歴は30年を超えたそうです。
そろそろ『俳優です』と、胸を張って言える!と思える様になったそうです。
う~ん。。私からすると、充分『ベテラン俳優!』って思うんですけどね。
で、その30周年という節目に、新たに俳優として芸名を名乗ろう!といった、心境の変化があったそうです。
でも、芸名といっても、長く親しまれた『西村雅彦』という名前を大きく変える勇気もなく・・・
そして、少~しだけ変えた。。。といった事だそうです。^^;
なんともお茶目な西村雅彦さん。
過去に出演した大河ドラマは
1996年 秀吉 ・・・ 徳川家康役
2016年 真田丸 ・・・ 室賀正武役
今回の『麒麟がくる』で、3回目となります。
西村まさ彦さんの明智光安。。。ちょっとお茶目な光安になりそう。と思ってしまいますが・・・
明智家の家督を相続した明智光安
明智光安は、明智光継の三男として生まれています。
当時の明智家の当主は、兄・明智光綱でした。
明智光綱は、明智光秀の父とされています。
なので、光秀は明智光安からみると、甥っ子だという事ですね。
さて、その光秀の父で、明智家の当主だった光綱は、若くして亡くなっています。
そうなると、光綱の息子の光秀が家督を継ぐ事になりますが、光秀がまだ幼かったので、叔父である光安が明智家の家督を継いだそうです。
光綱は1535年に亡くなったという話ですが、よくいう光秀の生まれが1528年という事が正しければ、まだ7歳です。
確かに幼すぎて、家督を相続するには少し無理がありますね。
あと、光秀の誕生については、1516年説もありますので、こちらの方だと光秀は当時19歳になります。
19歳だと『幼かった為に家督を継げなかった』というのはおかしな話なので、光秀は1528年誕生説の方が有力になる。。。という訳ですね。
さて、兄・光綱のあとに家督を継いだ光安でしたが、本来家督を継ぐべきだった光秀に何度か家督を継承しようとしていました。
しかし、光秀が辞退し続けた。という説があります。
そもそも光秀自身、若い頃について書かれている史料もなく、父親についても明智光綱説、明智光国説、明智光隆説、明智頼明説、もしくは低い身分の土岐支流とも言われていて、確実に『明智光秀の父は明智光綱だ。』という証拠はありません。
そして、叔父だと言われている明智光安についても詳しくは分かっていない事も多いです。
明智光安が、遠山景行と同一人物だという説もありますので、当時の出来事はかなり信憑性が薄そう・・だという事も言えると思います。
明智光安は斎藤道三の家臣で妹(小見の方)を嫁に出した?
さて、そんな明智光安ですが、斎藤道三の家臣で、主である斎藤道三に、妹(小見の方)を継室に出しています。
そして濃姫(帰蝶)が生まれています。
斉藤道三は当時、息子の義龍と対立関係にありました。
義龍は、弘治元年(1555年)、義龍の叔父・長井道利と共謀して、弟の孫四郎・喜平次らをおびき出し、殺害しています。
孫四郎と喜平次を溺愛していた道三でしたが、当時、道三を支持する勢力は小さく、結局息子の義龍に討ち取られてしまいます。
そして、道三に仕えていた光安もこの頃、義龍らに対抗するため明智城に籠城しましたが、義龍の別働隊として出陣した長井道利らに攻め込まれ、討たれてしまうのです。(自害を選ぶ)
その際光安は、明智光継の嫡男・明智光秀を息子の秀満に城からうまく逃がすよう託したとされています。
その話が本当なら、歴史に大いに名を残した光秀を生かしたのは成功だった。といえますよね。
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