大河ドラマ『西郷どん』で、西郷吉之助(隆盛)の弟・西郷従道(信吾)役を錦戸亮さんが演じます。

西郷従道は西郷家の3男です。

 

今回は、錦戸亮さんが演じる西郷従道をはじめ、吉之助の弟妹たちを簡単に紹介していきたいと思います。

 

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西郷家の兄弟姉妹

 

西郷家の兄弟姉妹

 

 

さて、西郷家は大家族ですが、西郷吉之助(隆盛)の兄弟姉妹は7人もいました。

 

 

1. 長男 ・・・ 〝隆盛

2. 長女 ・・・〝

3. 次男 ・・・ 〝吉二郎

4. 次女 ・・・ 〝

5. 三女 ・・・ 〝

6. 三男 ・・・ 〝従道

7. 四男 ・・・ 〝小兵衛〝 

 

昔は今とは違い、子供がたくさんいる家庭が多かったですが、それでも貧しい中での7人兄弟はホント、大変だったと思います。

 

ずっと一つ屋根の下に暮らしてきた兄弟たち。

貧しかったようですが、とっても仲が良い兄弟姉妹だったそうです。

 

貧しい生活を送りながらも乗り越えてきた西郷家。

そして、西郷家の子孫は脈々と現代へと受け継がれています。

 

錦戸亮が演じる西郷従道(信吾)の知られざる経歴!

 

錦戸亮が演じる西郷従道(信吾)の知られざる経歴!

 

小西郷〝といわれた西郷従道!

従道の経歴を西暦で簡単に振り返っていきましょう。

 

西郷従道(さいごうじゅうどう)は、薩摩の加治屋町にて、生まれました。

父は西郷吉兵衛で、母は政子。

 

西郷従道が9歳の時、父母を相次いで亡くしています。

兄には有名な西郷隆盛、西郷吉二郎、そして弟に西郷小兵衛がいます。

 

剣術は、薬丸自顕流を習い、兵学については合伝流を学んでいます。

 

1861年 還俗して本名を西郷隆興、通称を西郷信吾(西郷慎吾)と改名します。

そうして、西郷隆盛、大久保利通、伊地知正治らが結成した精忠組に入り、尊王攘夷の活動を行いました。

 

1862年  精忠組内の有馬新七らの一党に加わる事となりますが、寺田屋事件で薩摩藩から弾圧を受ける事になります。

当時、少年だった西郷従道は帰藩謹慎処分となりましたが、1年後には謹慎が解かれています。

 

新政府の太政官となった際、名前の記載をする時に薩摩訛りが強く、〝りゅうこう(隆興)〝といったのを〝じゅうどう〝と聞き間違えられたそうです。

そうして名前は公式に「西郷従道」となりました。

 

兄の隆盛も本名は「隆永」で「隆盛」は父 ・西郷吉兵衛の諱なのですが、吉井友実が勘違いして父の名前を登録してしまっているので、兄弟で似た様な事があったという訳ですね。。。(^_^;)

 

しかし隆盛、従道というのは諱で、日常使用する通称は、隆盛は吉之助、従道は信吾だったそうなので、本人達はそんなに気にしなかったのかもしれません。

 

今とは違って、何度も名前が変わる時代だからこそなのかも。。。

昔あるあるみたいですっ。

 

そして西郷従道は、軍制を調査する為、山縣有朋とヨーロッパへ渡ります。

1870年 横浜港に帰国すると、兵部権大丞に任じられ正六位となりました。

 

1873年  兄 ・隆盛が政府と対立します。

薩摩藩出身の多くの人が西郷隆盛に従いましたが、従道は明治政府に留まりました。

 

共倒れを避けるためとか、隆盛に東京にいるように言われたとか、諸説ありますが、従道は従道で考えがあっての決断だったと思います。

 

1874年  陸軍中将となり、台湾出兵にて、蕃地事務都督となり軍を指揮します。

 

1877年   隆盛が西南戦争を起こすと、西郷従道は陸軍卿代行に就任。

出征した陸軍卿  山県有朋の代わりに東京の留守を守り、陸軍卿代理として西郷従道が西南戦争で西郷隆盛軍を鎮圧したことを明治天皇に報告しました。

 

1878年  大久保利通が暗殺。従道はその年、参議になります。

 

1885年  初代海軍大臣として清国へ渡りました。

従道は、山本権兵衛大佐を海軍省官房主事に抜擢すると、日清戦争と日露戦争での日本海軍勝利に導きました。

 

これは、従道の懐の大きい性格のお陰だとも言われています。

知れば知るほど男らしい情報がたくさんあります。

 

西郷従道は、内閣総理大臣の候補として明治天皇から再三組閣を命じられた時にも、兄・隆盛が逆賊の汚名を受けていたので断り続けたと言われています。

 

ロシアとの対戦を予測し、軍艦建造費以外の予算をかき集め、戦艦、三笠建造を推し進めます。

そうして見事、日露戦争で東郷平八郎による日本海海戦で大勝利となりますが、従道はそれを見届ける事は出来ず、1902年  死去。

享年60歳でした。

 

愛知県明治村に、目黒にあった重要文化財 西郷從道邸が移築展示されています。

 

従道のエピソードの一つに、相手の話をよく聞き、「なるほどなるほど」と相槌を打っていたこたから「成程(なるほど)大臣」と渾名されたそうです。

 

部下に一度任せると殆ど口出しすることはなく、失敗した時には、責任をとる。と、いった考えの持ち主だったそうで、かなり度量のある人なんだなぁと、思います。

 

文字にすると、簡単に書いていますが、陸軍と海軍の両方で将官や閣僚を経験した人物は、後にも先にも西郷従道ただ一人だそうです。(陸軍中将と海軍大将、陸軍卿と海軍大臣)

 

すごいですよね。

小西郷〝と、いわれたのもなるほど納得ですっ!!

 

出世に次ぐ出世の人生。

明治維新の立役者は間違いなく兄・西郷隆盛ではあるのですが、従道も、維新後の日本においてかなり重要な役割を歴任していますよね。

 

ここまで色々役職についたのは、従道の信頼できる人柄なのではないかと思います。

 

西郷隆盛の華やかさに比べ、あまり表に出ていない印象のある従道ですが、芯のある男気ある人だなぁと、 改めて西郷一族…。いや、加治屋町すごいっ!!

歴史の人物集まりすぎですよねっ。

 

今回大河ドラマ『西郷どん』で従道(信吾)を演じるのは、錦戸亮さん。

錦戸亮さんの演じる西郷従道を早く観たいですね!

 

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西郷吉之助(隆盛)の妹たち安・鷹を簡単に紹介!

 

 

まずは、西郷鷹(さいごうたか)をご紹介します。

7人兄弟の4番目です。

 

兄弟の中でも、西郷鷹のことはよくわかっていません。

はっきりわかる資料が残されていないようで、誕生年も1837年~1839年頃と推定されています。

 

鷹の結婚についてですが、鷹は西郷家よりも格上の薩摩藩の御小姓与・三原家の三原伝左衛門に嫁いでいます。

 

子供は2人(長男・長女)だと言われています。

子供についても詳しくは不明です。

 

それに鷹は、20代前半頃には亡くなっていたそうです。

時期については、兄の吉之助(隆盛)が徳之島  沖永良部島に流されていた1862~1864年頃に亡くなったとされます。

 

続いて西郷安(さいごうやす)ですが、安は7人兄弟の5番目・西郷従道の姉です。

 

1856年、父 ・西郷吉兵衛の弟の大山綱昌の長男・大山成美(おおやませいみ)と、結婚しています。

 

大山成美の弟の大山誠之助ですが、西郷吉之助(隆盛)の娘・菊草とのちに結婚します。

そして、大山成美の妹の大山国子の娘・ます(松子)は、西郷安の弟・小兵衛と結婚するのです。

 

結構身近な人たちと結婚するんですね。

 

 

西郷吉之助(隆盛)の末弟・小兵衛

 

西郷吉之助(隆盛)の末弟・小兵衛

 

1847年10月11日生まれの小兵衛の幼名は彦吉。

幕末維新期の軍人です。

 

年が19歳離れていたからか、隆盛はめちゃめちゃ可愛がっていたみたいです。

それでなのかはわかりませんが、体格から顔などの見た目は兄弟で一番、隆盛に似ていたと言われています。

 

西郷小兵衛の妻は有馬糺右衛門の娘、松子です。

最初は「ます」と呼んでいたみたいですが、兄・吉二郎の妻と同じ名前だったので、途中でマツに改名したそうです。

 

1868年、戊辰戦争の八幡の戦いで初陣しています。

明治6年、アメリカに留学。

 

明治10年、西南戦争で薩軍第一大隊第一小隊長を務めました。

肥後の高瀬河南(熊本県玉名市)での高瀬の戦いにて、銃弾を左胸部に受け戦死。

 

享年31。

西郷吉之助(隆盛)は、特に小兵衛を可愛がっていた事もあり、戦死の報告を聞いた時、号泣だったそうです。

 

また、薩摩三番大隊一番小隊長の辺見十郎太(へんみじゅうろうた)は、小兵衛の遺髪を西郷家に届け、そのお礼として小兵衛の袴下を受け取っています。

 

近年、西郷小兵衛の遺体が熊本市本山にある興福寺に仮埋葬されたことを示す史料が見つかりました。

 

小兵衛の遺体を隆盛が持ち帰ったためと言われていますが、小兵衛の遺体が運ばれた記録は残っておらず、(賊軍の妻が自分の名前で改葬願を出せなかったので、薩軍に関わっていなかった親族の市来が出したのではないか)とも、言われています。

 

最後の最後まで兄 隆盛に付き、従った小兵衛。

兄想いの兄弟たち。

 

兄弟たちがいなかったら、明治維新もまた違ったものになっていたかもしれませんね。

兄弟の協力無くしては西郷隆盛の活躍は語れない。そんな気さえします。

 

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