大河ドラマ『西郷どん』で坂本龍馬役に、小栗旬さんが決定しましたねー!
やっぱ坂本龍馬役って、細身のサラッと爽やかタイプが似合ってるんでしょーか?
いや、武田鉄矢さんもよく、坂本龍馬役で見かけてたな・・・^^;
・・・と、何が言いたいねん!てな感じですが。。。
さて、今回の『西郷どん』での勝海舟役は、迫力ある顔が特徴の遠藤憲一さんです。
その遠藤憲一さん演じる勝海舟と小栗旬さん演じる坂本龍馬の関係についても紹介したいと思います。
目次
【西郷どん】坂本龍馬役は小栗旬に決定!
大河ドラマ【西郷どん】が始まってすぐに、『坂本龍馬役は誰に?』とネットでも話題になっていましたが、結局、坂本龍馬役は小栗旬さんに決定しましたねー!
小栗旬さんは有名なドラマ、映画、舞台、アニメ声優、CM、ナレーション、PV、ドキュメンタリー、ラジオ、ラジオドラマ、自身の監督作品など、数々の作品に出演されていて、受賞歴も多数!!
長年、人気があるのもなるほど納得です。
俳優としての演技にもかなりうるさい。。。いや、細かい。。。いや、なんといいますか、演技についてとことん追及していくタイプらしいです。
なので、小栗旬さんが演じる坂本龍馬は、見応えあるんじゃないのー!と、かなり期待しています。
坂本龍馬のイメージは諸説色々あり、その分難しいと思いますが、新しい風を吹かせてくれるでしょうねー!
さて、坂本龍馬と勝海舟は海軍技術において、師弟関係にあったことはよく知られていますよね。
勝海舟にとって、坂本龍馬の存在はなくてはならない…また坂本龍馬にとっても、勝海舟の存在はなくてはならない…。
坂本龍馬が勝海舟に学んだことは、坂本龍馬の人生にとって、とても大きな影響を及ぼしたのです。
そしてその二人の関係は、後の日本にも大きな影響をもたらしたといわれています。
この二人の奇跡の出会いで、歴史は大きく動き、歴史上有名な坂本龍馬が誕生したのです。
明治維新の立役者となった二人の関係、絆について、簡単にご紹介していきます。
坂本龍馬、勝海舟との出会いは
坂本龍馬と勝海舟は互いに尊敬し合う師弟関係でした。
坂本龍馬は「勝海舟は日本第一の人物」という言葉を手紙に残すほど勝海舟を尊敬していたそうです。
勝海舟は「軍艦奉公」(幕府の役職)についていたので、そうそう簡単に会えるような人物ではありませんでしたが、坂本龍馬は春嶽に紹介状を書いてもらい、なんとか勝海舟に会いに行く事が出来たのです。
諸説では、坂本龍馬は勝海舟に会いに行ったのは、考え方が違う勝海舟を斬るつもりだったとか、初めから弟子入りするつもりだったとか、勝海舟が坂本龍馬の企みを先に見破り、斬られる前に自分の持論をこんこんと説いたとか、色々といわれていますが、実際はどうだったか今となってはわかりません。
というのも、勝海舟は開国主義を広めて、江戸無血開城を果たす功績を残した偉人ですが、一方ではほら吹きで、殆どが嘘を含ませて話を盛るような人だったそうで、すごい功績を残した偉人のわりにあまり人望がなかったという話もあります。
とにもかくにも坂本龍馬は勝海舟の話に感銘を受けて弟子入りをしました。
坂本龍馬は純で真っ直ぐ!といった感じの人だったのでしょうね。
坂本龍馬が疑ぐり深い人だったら歴史はまた違っていたのかと思うと、ホント不思議な出会いだと思うんですよ。
一期一会ですね。
そしてこの二人の出会いは幕末の時代の流れに大きな影響を与える出会いとなるわけです。
この坂本龍馬役をを小栗旬さんが演じます。
小栗旬さんは過去にも大河ドラマに出演したことがあるのですが、私の残っているイメージだと「信長協奏曲」ですかねぇ〜。
大河ドラマ『西郷どん』では幕末の時代、坂本龍馬は目立つ偉人のひとりなので、どんな風に演じてくれるのかめちゃくちゃ気になります!
坂本龍馬と勝海舟の関係
坂本龍馬が姉の乙女に送った手紙に
「 天下無二の軍学者勝麟太郎という大先生に門人となり・・・・・・」と書いていました。
勝麟太郎(かつ・りんたろう)は、咸臨丸(かんりんまる)で太平洋横断、江戸無血開城で知られている勝海舟のことです。
「 門人 」とは弟子のことです。
つまり、坂本龍馬は勝海舟の弟子であったことがわかります。
龍馬は海舟に弟子入りして学んでいたのは海軍の技術です。
二人が初めてであったのは諸説あります。
◎ 坂本龍馬が勝海舟を斬りに行ったとき。
しかし、反対に諭されて、その話に感銘を受けてそのまま弟子入りしちゃった。というエピソードは有名ですよね。
でも、このエピソードはとっても素敵なのですが勝海舟の記憶違い?!というのが一般的な見解のようです。^^;
本当かはわかりませんが、勝海舟が刺客を追い返すことは、しばしばあったとも言われていますので、一部は本当の事なのではないか?なんて思いますけどね。
でも、刺客を説得して追い返す状況を想像しただけでも、勝海舟という人物は、ただ者ではありませんね。
それだけ人の心を動かせる話術は勿論、熱意もあったお人なのでしょう。
◎ 松平慶永の紹介状で師弟関係に。
越前福井藩主・松平慶永は、龍馬を気に入っていたようです。
龍馬に勝海舟と横井小楠(よこい・しょうなん)への紹介状を渡したと言われています。
ですので、この出会い方でいくと勝海舟と坂本龍馬はとても平和に出会えたようですね。
とにもかくにも二人は出会い、そしてその後龍馬は海舟を通じ、西郷隆盛とも出会います。
その出会いは薩長同盟、大政奉還へと繋がっていきます。
諸説の真実はわかりませんが、勝海舟に弟子入りした龍馬は、海軍操練所設立のために尽くします。
海舟は当時、第14代将軍の家茂に対し海軍の創設を訴えていました。
神戸海軍操練所が設立されることとなりますが、資金が足りず春嶽から1千両もの資金を出してもらいました。
この資金交渉は龍馬が行っています。
龍馬は資金集めの他にも幕府の役人という立場で思うように動けなかった勝海舟の代わりに動き、京都・大坂の情報を集めました。
神戸海軍塾塾長は龍馬が務めたとされています。
そんな神戸海軍操練所はわずか1年で閉鎖されることになるのですが、勝海舟の下で学んだ技術は龍馬のその後の人生にとって、大きな影響を及ぼしていきます。
もし坂本龍馬に海軍の技術がなければ、海援隊を結成することも、薩摩藩や長州藩などとも交流する機会はなかったかもしれません。
勝海舟は、坂本龍馬の人生だけではなく、日本の将来にも大きな影響を及ぼした人物とも言っていいでしょうね。
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