西郷どん』の登場人物として欠かせないのが坂本龍馬。

しかもその坂本龍馬役を小栗旬さんが演じるという事で、ますます興味深くドラマを観る人も多くなるのでは?と思います。

 

さて、その坂本龍馬が関係している事件として思い浮かぶのが、『近江屋事件』と『寺田屋事件』です。

寺田屋事件』については、有馬新七が亡くなった、あの薩摩藩士たちの壮絶な斬り合いが行われた場面が浮かぶので、『あの寺田屋事件だっけ?』と、少しややこしいと思います。

 

今回は、その『近江屋事件』と『寺田屋事件』の詳細についてみていきたいと思います。

 

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近江屋事件と寺田屋事件

 

近江屋事件と寺田屋事件

 

寺田屋事件』と『近江屋事件』は、なんとなくネーミングが似ているのでややこしいですよね~。

 

寺田屋事件」と聞くと、有馬新七が亡くなった場面が浮かぶ人もいるでしょうが、坂本龍馬暗殺事件と思われる方も多いと思います。

しかし、坂本龍馬暗殺の方は「近江屋事件」を指します。

 

そして、もう一つの「寺田屋事件」は、坂本龍馬襲撃事件です。

幕府伏見奉行の林肥後守忠交の捕り方が龍馬を捕縛、もしくは暗殺しようとした事件です。

 

寺田屋事件で龍馬は、捕り方百数十人に囲まれましたが、内縁の妻のお龍がその事にいち速く気がついて龍馬に知らせたので、龍馬は持っていた銃を乱射して防戦し、両手に怪我をしながらも危機一髪のところで脱出できたのです。

 

そして「近江屋事件」はいわゆる坂本龍馬暗殺事件です。

 

ちなみに、寺田屋事件の時に捕縛に来たのは幕府でしたが、近江屋事件の時の暗殺犯は色々な説がありますが、はっきりとはわかっていません。

しかし、江戸幕府京都見廻組によるもの。という説が有力のようですね。

 

では、それぞれの事件について、解りやすく

紹介したいと思います。

 

坂本龍馬が危機一髪だった寺田屋事件

 

坂本龍馬が危機一髪だった寺田屋事件

 

慶応2年1月23日(1866年3月9日)

寺田屋事件』または『寺田屋遭難』と呼ばれる事件が起こりました。

 

坂本龍馬は、薩長同盟が締結された後、宿泊していた寺田屋に戻って、長州藩士の三吉慎蔵と祝杯をあげていました。

ちょうどその頃、伏見奉行の林肥後守忠交の捕り方が、坂本龍馬を捕縛 or 暗殺しようと、寺田屋を取り囲みました。

 

お龍 (龍馬の奥さん)は入浴中でしたが、外の異変にいち速く気がつき、捕り方たちを巻いて龍馬の部屋に危機を知らせに行きました。

 

龍馬とその時一緒にいた三吉は、薩摩藩士(奉行の権限の及ばない)と嘘をつきましたが、簡単に見破られて、捕り方は「肥後守(奉行)の上意」を主張し、踏み込んできました。

 

龍馬は高杉晋作からもらった拳銃で防戦。

捕り方2名を射殺、数名を殺傷させましたが、役人と小競り合いになったときに、龍馬も両手の親指を斬られる大怪我を負いました。

 

のちに親指だけでなく、左手の人差し指も切られ、指の自由が利かなくなったという話も残っているのでかなり深い斬り傷だったことがわかります。

 

装弾ができなくなった龍馬を、三吉が槍で応戦する間に何とか脱出に成功し材木屋に隠れ、危機一髪助かりました。

龍馬は三吉に、伏見薩摩藩邸に救援要請を頼みました。

 

薩摩藩邸にいた留守居役・大山彦八は、3名の藩士を連れて川船で救出に向かい、龍馬は九死に一生を得ることができたのです。

 

すぐに京都の西郷吉之助(隆盛)に報告が行き、吉井幸輔が事情を調べ、西郷は軍医を派遣して藩邸で警護させました。

 

その翌日に、伏見奉行から薩摩藩邸に坂本龍馬の引き渡し要請がありましたが、拒否しています。

 

事件には新撰組が絡んでいるという説もありましたが、伏見奉行が肥後守であったことから、同じ官位の京都守護職松平肥後守との誤認で、配下にあたる新撰組の関与は連想されたものであったとされ、現在は間違いだったとされています。

 

その後龍馬は、伏見藩邸 → 京の藩邸に移りましたが、また伏見藩邸に戻っています。

 

そして西郷の勧めで、その後は大阪 → 鹿児島へと移動。

薩摩藩内で湯治しながら身を隠していました。

 

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坂本龍馬が命を落とした近江屋事件

 

坂本龍馬が命を落とした近江屋事件

 

幕末と呼ばれる時代、幕府中心から天皇中心へ変えようとした偉人の中の一人に、坂本龍馬がいます。

 

脱藩浪士の立場で薩摩、長州などの大藩を動かし、徳川15代将軍・徳川慶喜による大政奉還への道を切り開きました。

 

その坂本龍馬の最期の日となった慶応3年11月15日についてお話したいと思います。

 

その日の晩は、京都にある醤油商「近江屋」の母屋の2階に坂本龍馬はいました。

 

慶応2年9月12日に起こった「三条制札事件」の話をするのに、同志 & 陸援隊の中岡慎太郎が坂本龍馬を訪ねて来ていました。

 

禁門の変のあと、長州は朝廷の敵!とする内容の高札が掲げられるようなっていたのですが、

 

慶応元年、第二次長州征伐失敗以降、江戸幕府の権威は失墜。

京都で幕府が立てた制札が引き抜かれると、事件が多発。

 

特に3度引き抜かれた鴨川の三条大橋では、新撰組が制札の警備にあたっていました。

この話をするため、中岡慎太郎は近江屋にいる坂本龍馬に面会を求め、2人は話し合っていました。

 

そこへ、十津川藩の郷士を名乗る者が近江屋にやってくるのです。

 

その時応対をした山田藤吉は、来客を龍馬に会わせようと案内しようとしたところ、後ろから突然斬られました。

 

その時の物音に「ほえたな!」と龍馬は声をあげてしまったので龍馬の居場所がばれました。

来客は龍馬と中岡慎太郎のいる部屋に侵入してくるなり、斬りつけました。

 

龍馬は額、他数か所を斬られ即死に近い状態で命を落とし、中岡慎太郎も傷を負い、2日後に息をひきとりました。

この時龍馬は、帯刀していなかったそうです。

 

事件が起きたとき、近江屋の主人の井口新助は向かいの土佐藩邸に駆け込み、嶋田庄作鹿野峰吉が部屋を確認しましたが、刺客はすでに去った後でした。

犯人は特定されず。

 

当初、新撰組の関与が濃かったのですが、明治3年・函館戦争で降伏した元京都見廻り組・今井信郎の自白によると、犯人は佐佐木只三郎と、その部下であるという可能性がもっとも高いという通説になっていますが、断定されてはいません。

 

龍馬は、尊王派からは一目置かれていましたが、敵対する佐幕派からは、うとまれる存在でした。

 

それに八方美人と言われるほど、色々な人に気をよく合わせるので、一見気さくで人あたりもよかったのですが、敵も多かったようです。

 

そういった事もあり、敵は意外にたくさんいたのかもしれません。

近江屋事件があった日は旧暦で言うと奇しくも龍馬の誕生日でした。

 

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