2020年大河ドラマ『麒麟がくる』で三淵藤英(みつぶち ふじひで)役を演じるのは、谷原章介さんです。
背も高くてイケメンな谷原章介さんが演じる三淵藤英ですが、史料から読み取る人物像は『誠実な武将』というイメージ。
異母兄弟に細川藤孝(幽斎)がいます。
異母兄弟の細川藤孝(幽斎)は藤英と共に、足利義昭に仕えていましたが、後に信長側につきます。
そんな藤孝とは違い、藤英は危うい立場になっても義昭に仕えています。
そういった事から『誠実だった』というイメージの三淵藤英ですが、史実で解っている半生をみていきましょう。
目次
『麒麟がくる』三淵藤英役を谷原章介が演じる!
画像引用元:https://www.talent-databank.co.jp/search/t2000043537
2020年大河ドラマ『麒麟がくる』で三淵藤英(みつぶち ふじひで)役を谷原章介さんが演じます。
谷原章介さんは、神奈川県横浜市出身。
1972年7月8日生まれで現在47歳。
身長183cmで、イケメンですからアラフィフでも全然イケてますよね。
私はだいぶ前の映画ですけど『ハンサムスーツ』に出演されていた時に、改めて『かっこいいなぁ』と思った事を思い出します。(*´ω`*)
まぁ、あの映画はお笑い芸人のドランクドラゴン・塚地武雅さん(つかっちゃん)が引き立て役。。ってのもあったかもしれませんけど、とにかくスタイルから顔から、『こんな完璧な外見の人いるんだ・・』ってな印象でしたねー。
そんなイケメンの谷原章介さんですが、大河ドラマ出演は今回の『麒麟がくる』で5回目です。
過去の出演作品は、下記の通りです。
2004年 新選組! ・・・ 伊東甲子太郎役
2007年 風林火山 ・・・ 今川義元役
2010年 龍馬伝 ・・・ 桂小五郎役
2014年 軍師官兵衛 ・・・ 竹中半兵衛役
今回の『麒麟がくる』で演じる三淵藤英は、『室町幕府末期の幕臣で細川藤孝の異母兄。将軍・足利義輝、足利義昭に仕える。』といった人物です。
三淵藤英の詳しい史料も少ないですが、解っている人物像より、どんな武将だったのか次に見ていきたいと思います。
三淵藤英とは
さて、そんな細川藤孝(幽斎)の異母兄で、将軍・足利義輝、足利義昭に仕えた、三淵藤英とはどんな武将だったのでしょうか?
三淵藤英は、三淵晴員(はるかず)の嫡男として生まれました。
父の春員は、細川和泉上守護家7代当主・細川元有(もとあり)の子供でしたが、春員は細川ではなく母方の三淵晴貞の養子となり三淵を継ぎます。
さて、細川の方というと、春員の兄・元常が細川を継ぎましたが、その跡を継いだのが、三淵藤英の弟・藤孝(幽斎)でした。
という事で、三淵藤英は細川藤孝(幽斎)の異母兄弟という事になります。
藤英は、弟の藤孝と同じく、父・春員が仕えていた第13代将軍・足利義輝に仕えていました。
その足利義輝は永禄8年(1565年)、三好三人衆や松永久秀によって暗殺されてしまいます。『永禄の変』
そこで藤英は、弟・藤孝(幽斎)と共に、足利義輝の弟・義昭(当時は仏門に入っていて一乗院覚慶(かくけい)となっていた)を、監禁されていた興福寺から救出し、近江国矢島の方にて還俗させます。
そして名を足利義秋とし、越前朝倉氏第11代目当主・朝倉義景を頼ります。
その後、三淵藤英ら幕臣は織田信長を頼る事で、将軍擁立していた足利義秋を無事、将軍・足利義昭を誕生させる事に成功します。
山城国で伏見城周辺の守備を任せられた藤英は、政治的手腕についても評価され、足利義昭の重臣となります。
三好三人衆が京へ再襲してきた際には、防戦して撃退する事に成功しています。
さて、織田信長によって将軍になった義昭でしたが、その後次第に2人の関係は悪くなっていきます。
義昭を支持していた藤英でしたが、弟の藤孝(幽斎)が、信長側に完全に付いた事を知るのです。
そんな藤孝は、幕府奉行衆である立場から藤孝の居城である勝竜寺城を襲撃する計画を立てます。
しかし、その計画も失敗に終わり、信長と義昭の関係は更に悪化。
そうして元亀4年(1573年)7月3日、足利義昭は、槙島城に立て籠もり兵を挙げる事となります。
藤英は義昭からの命を受け、武家昵近衆ら奉公衆と二条城に籠城します。
しかし信長軍に囲まれ、絶体絶命。
そうなると藤英以外の中心的人物は退去していきます。
しかし藤英と藤英に従う者達は引き続き籠城を続けますが、柴田勝家の説得を受け、結局7日程で開城する結果となります。
そんな中、槙島城に立て籠もった義昭も、織田軍の攻撃により陥落してしまいます。(槇島城の戦い)
そうして降伏した義昭は追放され、室町幕府は終わりを告げる事になります。
その結果、義昭に仕えていた藤英も織田信長に仕える事になります。
信長に仕える事になった藤英は、信長の命で兵を従え、義昭派だった岩成友通らが立て籠もっている淀城を攻撃し、討ち取ります。
そこから翌年、藤英は突如、明智光秀の坂本城に預けられ、所領も没収されてしまうのです。
明智光秀に預けられてから2ヶ月に、藤孝は嫡男の秋豪(あきひで)と共に、信長より自害を命じられるのです。
異母兄弟の藤孝(幽斎)とは違う印象だった藤英。
忠実に義昭に仕え、その後信長に仕える事となってしまった藤英は、屈辱的な人生を送ったのかもしれませんが、どういった経緯で信長から自害を命じられたのかは謎です。
『麒麟がくる』では、どの様な最期が描かれているのでしょうか?
どんな理由により自害となるのか・・・興味深いですね。
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