大河ドラマ『いだてん』に出てくる登場人物って、誰がどの役で…。と感じている人って、意外に多いかもしれませんね。

 

でも、見た目的にすぐ印象に残る人とか、キャラが濃くてすぐ覚えた!みたいな人もたくさんいますよね。

天狗倶楽部の吉岡信敬はまさにその一人!

 

パイレーツオブカリビアンのジョニー・デップかよっ!👋って、ツッコミたくなる黒髪&ロン毛。

 

画面に映るたびに脇役だとは思えない目立ち方。いや存在感。(笑)

初めて見たときは2度見しました。(笑)

 

これまでにもちょいちょい登場していましたが、これからも三島弥彦の友人として登場します。

 

そんな吉岡信敬役を演じるのは満島真之介さん。

吉岡信敬は「ヤジ将軍」とあだ名がつくほど熱い応援が有名な人物です。

 

ヤジってことはあまり好かれていなかったのかなぁ〜。と想像されるかもしれませんが、めちゃめちゃ人気者で、人に好かれる人だったようですよっ。

それはなぜ?

男前だったから?

 

一つ確かなことは魅力的な人だった。ということです。

さて、どんな人物なのか見ていきたいと思います。

 

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目次

吉岡信敬役をイケメン満島真之介が演じる!

 

吉岡信敬役をイケメン満島真之介が演じる!

画像引用元:https://www.cinemacafe.net/article/2017/12/04/54265.html

 

大河ドラマ『いだてん』の、ミョ〜に長い黒髭がトレードマークの吉岡信敬役を演じるのはイケメン俳優の満島真之介さん!

 

満島真之介さんは体操のお兄さんバリに爽やかな方ですが、以外と似合っていてカッコイイですよね。

 

見た目的にはかなり誇張しているのかな?と思われる髭&ロン毛ですが、やはりイケメンは何をしても様になる!と、いったところでしょうか。(笑)

 

しかし、イカつい・・・^^;

さて、満島真之介さんといえば、目が大きくてキラキラしている可愛い顔立ちで、177cmでスラリと高い身長に加え、目鼻立ちがはっきりしている美男子です。

 

男くさ〜いイメージの応援隊のしかもバンカラな応援隊長なんて見た目的にどうなの?

って思っちゃいませんか。

 

でも、ドラマを見ると全て吹っ飛びます!

なかなかピッタリなキャスティングですよ!

 

大きな声で応援していて、少々コミカル過ぎるのですが、それがまたいいんですよねー。(^^)

カメラの回っていない所でも声をだしていたりするそうですよ。

 

いだてん』キャストの皆さんのコメントを発表の時、応援団長ということでマイクを使わず大声でコメントしたりと、応援隊になりきっていて、周りの役者さんから「熱いねぇ〜。」とか「吉岡信敬役にピッタリ!」と言われるほどなのだそうです。

 

満島真之介さんの大事にしていることは、常に全力投球!なのだそうです。

なのでニックネームは「マックス」。

 

大河ドラマ『いだてん』では、新たな女性ファン&男性ファンが、増えるのではないでしょうか。

満島真之介さんが演じるバンカラ応援隊!長吉岡信敬に注目ですね。

 

ヤジ将軍と言われた吉岡信敬とは?

 

ヤジ将軍と言われた吉岡信敬とは?

画像引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki

 

吉岡信敬は、1885年明治18年に誕生しました。

 

お父様が長州藩士の家柄。

そして、出生地は二つ説があります。

・山口県萩市河添村。

    or

・東京府小石川区(現在の東京都文京区)

のどちらかと思われます。

 

小学生頃には都内に住んでいたのではないかと言われています。

本名は、信敬「のぶよし」と読むそうですが、御本人&世間から「しんけい」と呼ばれていたと言われています。

 

吉岡信敬の学生時代

 

1898年13歳 早稲田中学校時代は野球部で汗を流していました。

といっても、プレーヤーとしてはイマイチ…。^^;

 

それでも活動に参加し、仲間の応援を一生懸命していたそうです。

早稲田大学野球部の試合にも必ず応援に行っていたようなので、熱意というか応援するのが好きだったようですね。

 

で、その頃のあだ名は「髭のおじさん」。

トレードマークの髭は中学時代から生えていたってことですねー。💦

 

髭があると、一見怖そうにも思えますが、この頃から愛されキャラだったようですね。

応援の他にも園芸や飛行機が好きで、草花いじりをしたり、飛行会のある時には飛行機を見に行ったりしていたそうです。

 

1905年(明治38年)20歳 早稲田高等予科生の時。

 

橘静二(後の高田早苗・早稲田大学学長の秘書)と、吉田淳(後の朝日新聞記者)で、「早稲田大学応援隊」を結成。

吉岡信敬はこの応援隊の隊長になり、「虎鬚彌次将軍」と呼ばれていました。

 

人気者だった吉岡信敬

 

当時吉岡信敬は、

・乃木希典((のぎまれすけ)日露戦争で活躍した人物。)

・葦原金次郎((あしわらきんじろう)昭和時代に「自称天皇」として知られた人物。)

と並び、「三大将軍」と呼ばれ人気を博していました。

 

それに当時、吉岡信敬は「バンカラ」の代名詞として、日本全国の学生に知られるようになっていました。

(バンカラ=身なり&行動が荒々しいこと。)

 

目新しいオシャレなことをハイカラといいますよね。

バンカラはハイカラに対する造語です。

 

さて、どれ程人気があったかというと。。。

 

雑誌「運動世界」で行った読者投票企画「運動家十傑」で、なんと!10位に選ばれています!

10位がなんで凄いかって・・・?

 

だって、プレイヤーではないのにプレイヤーと同じランキングに選ばれているんですよ。

凄くないですかっ!?

 

吉岡信敬の逸話

 

そんな全国区の人気者、吉岡信敬にはたくさんの逸話が残されています。

その一部をご紹介したいと思います。

 

・お菓子を買いに行くと店員からサービスをされる。

・旅館で友人が吉岡を紹介すると、旅館の従業員に「なぜ吉岡さんを知っているのか」と不思議がられた。

 

芸能人並みの人気ぶりがわかるエピソードですよね。

そんな吉岡信敬は文化人とも交流があり、歌人の窪田空穂(くぼたうつぼ)と生涯親しかったそうです。

 

島村抱月((しまむらほうげつ)小説家)とは、早稲田野球部の合宿所の裏手に引っ越してきて親しくなりました。

 

そして、佐藤紅緑((さとうこうろく(小説家))の野球チームに入っていたこともあり、親交があったそうです。

 

更に、詩人のサトウハチロー(紅緑の息子)が早稲田中学入学時、保証人にもなっているので、相当親しいのではないかと思われます。

 

吉岡信敬が天狗倶楽部に入ったのは?

 

吉岡信敬は、1909年(明治42年)親友・押川春浪(冒険小説家)が主催するスポーツ社交団体「天狗倶楽部」に加入します。

 

社交団体?!ってなんか凄く硬いネーミングですが、スポーツサークルのことです。

 

押川春浪は大の野球好きで、弟さんは日本プロ野球創始者として知られている押川清です。

吉岡信敬は、押川春浪と気が合っていたようですね。

 

そして信敬は、春浪が主筆をした

・冒険世界

・武侠世界

・運動世界(安部磯雄が主幹)

といった雑誌に記事を発表し始めました。

 

この頃には「天狗倶楽部の名物男」と言われ、東京の学生で知らない人はいない。と言われる程、日本初の応援隊長としての知名度を誇っていました。

 

さて、この天狗倶楽部には、当時東京帝国大学の学生で日本初のオリンピック選手として知られる金栗四三と一緒にオリンピックに出場した三島弥彦も加入していました。

 

1912年、三島弥彦がストックホルムオリンピックに参加するのに渡欧する時、天狗倶楽部を代表して吉岡信敬が花束を贈呈したと言われています。

 

吉岡信敬のその後

 

吉岡信敬は、1912年(大正元年)に早稲田大学を中退します。

 

そして、麻布第一連隊に志願兵として入営。

その後、読売新聞社などに勤務。

 

1914年(大正3年)に押川春浪が死去します。

 

春浪の死をきっかけに吉岡信敬は天狗倶楽部から遠のくようになっていきました。

それはなぜかというと。。。

 

1906年(明治39年)、初開催となった早慶戦。

学生野球の最高峰を決定する大会で、大人気のイベント。

 

となると、応援する方もテンション上がって、熱が入っちゃうわけです。

吉岡信敬たちの応援もヒートアップ!

 

場所の取り合いでもめて、早慶戦が中止になったことがあるとか。。。

この一件で一部から批判を受けることになりましたが、天狗倶楽部の人気は落ちなかったみたいです。

 

しかし、やがて

・早稲田の学生が福澤諭吉宅前で。

・慶應義塾の学生が大隈重信宅前で。

 

万歳を行うなどの両校の応援団の応援の仕方が問題視されるようになりました。

 

1906年 早慶両校の当局は早慶戦の中止を決断。(~1925年)には、両校の関係も悪化。

修復不可能と言われるほどでした。

吉岡信敬はこのことに責任を感じていたと言われています。

 

天狗倶楽部のメンバーの3分の1は早稲田の野球選手。

パイプ役の春浪がいなくなると居づらくなったのか…。

 

こういったことなど他にもあったかもしれませんが、吉岡信敬は天狗倶楽部と距離をおくようになり、各雑誌での執筆も減っていきました。

 

以降、雑誌のインタビューをたまに受けても、表舞台には出なくなりました。

その後の事跡は残していません。

 

1940年 57歳で亡くなりました。

現代でも、早稲田の応援は凄くカッコイイです!

 

男の中の男!って感じで、見る人を虜にします。

この応援団を作ったのが人物こそ、吉岡 信敬なのです。

 

歴史の教科書に残るような経歴や実績があるわけではありませんが、新しく応援隊という組織を作ったこと、そしてその名前を全国的に知られていたことを考えると、功績を残した人物の一人だといえるのではないでしょうか。

 

吉岡 信敬は日本中を魅了し、間違いなく歴史に名を残した人物でしょう。

 

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