2019大河ドラマ【いだてん】で、三島弥彦たちが所属していた『天狗倶楽部(てんぐくらぶ)』とは一体、どんな集まりだったのでしょう。

天狗倶楽部を結成した人物は、武井壮さん演じる『押川春浪(おしかわ しゅんろう)』です。

 

生田斗真さん演じる『三島弥彦』が中心になっているようにも見えますよね。

でも、実は武井壮さんが演じる『押川春浪』が、天狗倶楽部のリーダーです。

 

若者たちから絶大な人気があったという押川春浪!

そんな押川春浪を慕って集まった天狗倶楽部って、なんだか独特な雰囲気ですよね。

 

元々は『野球』がきっかけで結成された天狗倶楽部。

熱い男たちの集まりだという事は、間違いなさそうです。

 

生田斗真さん、満島真之介さん、武井壮さん、近藤公園さんらが、今回の大河ドラマ【いだてん】で天狗倶楽部のメンバーを演じますが、そんな熱い男達のエピソードも交えながら、紹介していきたいと思います。

 

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天狗倶楽部とは?

 

天狗倶楽部とは?

画像引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki

 

天狗倶楽部は、『今日から始めます!』と皆で決めて始まった訳ではないので、いつから天狗倶楽部が結成したのかは、曖昧なようです。

元々は、野球好き&スポーツ好きな男達の集まりが『天狗倶楽部』となりました。

 

天狗倶楽部のリーダーは、武井壮さん演じる『押川春浪(おしかわ しゅんろう)』です。

野球好きだった押川春浪が、スポーツ全般を楽しむ為に結成した『私的な団体』というのが、始まりだったのです。

 

そんな押川春浪が結成した天狗倶楽部のメンバーたちは、当初『天軍チーム』と名乗り、様々な野球チームと試合をしていました。

 

その天軍チームは豪快で、1日に4試合をこなすといった離れ業をやってのけていました。

メンバーたちも豪快そうな人間ばかりで、もちろん(?)酒豪ばかり。

 

天狗といえば『』のイメージがあるので、豪快な試合という理由だけではなく、その『』のイメージも加わり、いつしか『天狗』と呼ばれるようになっていきました。

そうして『天軍チーム』から『天狗倶楽部』へと呼び名が変わっていったようですね。

 

それが決定的になったのは、羽田球場で早大野球部と米艦クリーブランド乗員チームとの試合が行われた際に、前座としてやまと新聞チームと試合を行った時、この試合の様子を報じた萬朝報が『天狗チーム』と呼んだ事で、更に『天狗チーム』という名が広がりました。

 

さて、野球がきっかけで結成された天狗倶楽部ですが、相撲やテニス、柔道など活動は幅広かったようです。

しかし、そんなスポーツマンが集まった団体でしたが、試合が終わってからは酒豪に変身!

 

酒を飲みながら、掴み合いのケンカに発展する事は日常茶飯事。

第2試合は、酒豪同士のケンカ試合だったと言います。(笑)

 

では次に、『天狗倶楽部』の中心的存在だった押川春浪について紹介していきたいと思います。

 

天狗倶楽部のリーダー押川春浪(おしかわ しゅんろう)!

 

天狗倶楽部のリーダー押川春浪(おしかわ しゅんろう)!

画像引用元:https://kitabunka.or.jp/tabata/artist/505/

 

さて、野球好きな押川春浪が、スポーツを楽しむ為に集めた団体『天狗倶楽部』。

スポーツ好きな人間ばかりだったのですが、基本的には押川春浪を慕って集まった人間がほとんだったと言います。

 

そう聞くと、押川春浪は面倒見が良くて男気あふれる人物だったんでしょうね。

当時、若者たちからの人気は絶大で、夏目漱石に並ぶほどだったというんですからすごいですよね。

 

そんな押川春浪は野球を初め、スポーツ全般をこよなく愛する人物です。

愛しすぎて・・・というか、野球に熱中しすぎて明治学院時代は2年続けて落第したそうです。。。

 

そんな押川春浪は、その後も数々の問題を起こし、札幌農学校(現・北海道大学)、水産伝習所(現・東京海洋大学)と転々としています。^^;

 

そして東京専門学校専修英語科を卒業後、政学部邦語政治科に入学し、大好きな野球がしたいが為に野球部を創設したのですが、残念ながらその野球部は、早々に消滅してしまいます。

 

その後押川春浪は、人気雑誌『冒険世界』で主筆を務め、冒険小説作家・SF作家として活躍します。

そして『冒険世界』誌上でもスポーツ振興を大きく取り上げ始めます。

そうして『天軍倶楽部』を結成する事になったのでした。

 

そんな押川春浪は、1911(明治44)年にはストックホルムオリンピック予選会で、運営委員として奮闘する事となります。

 

そうして日本人初のオリンピック選手、三島弥彦と金栗四三を送り出した押川春浪でしたが、1911(明治44)年に、教育家・新渡戸稲造(にとべ いなぞう)らの野球に対する批判(野球害毒論)が新聞に掲載され、押川はそれに反論し、揉め事に発展するといった出来事が起こります。

 

その批判というのは、人気が高まる『学生野球』への苦言でした。

その野球害毒論に対し、押川春浪らは読売新聞紙上で、真っ向から反論します。

 

そうして論争には勝利こそしましたが、その後、『冒険世界』誌上での反論掲載を巡って博文館上層部と対立する事となり、押川春浪は同誌を辞任、退社する事となってしまいます。

 

そんな激しい人生を送りながら1914年11月16日、押川春浪は脳膜炎により、38歳の若さでこの世を去りました。

 

押川春浪は、亡くなる約1年ほど前から飲酒による体調悪化で執筆も中断する事が多くなり、1914年(大正3年)4月から6月の間、小笠原父島に転地療養して過ごしていました。

 

そんな療養のかいもなく、5ヶ月後には亡くなってしまいます。

やはり、若い頃からの豪快な酒の飲み方も寿命を縮めさせた要因だったのでしょうね。

 

押川春浪を慕って集まった人数は?

 

押川春浪を慕って集まった人数は?

 

そんな押川春浪を慕って集まった天狗倶楽部のメンバーですが、最盛期の頃はなんと100人を超えたそうです。

ただ、メンバーといっても私的な集まりに過ぎなかったと言います。

 

入会手続きも無く会員名簿なんてものも、もちろんありません。

それはまさに、部員と非部員の境界線がよく解らない状態。

豪快な押川春浪ならではの団体だったようですね。

 

逆に言えば、気楽に参加出来るし抜けるのだって簡単そうな感じですからねー。

その方がメンバーも集まりやすかったのだと思います。

 

天狗倶楽部のメンバー紹介!

 

天狗倶楽部のメンバー紹介!

 

こちらは1909年(明治42年)頃の天狗倶楽部に所属していた代表メンバーです。

 

中沢臨川(文芸評論家)

水谷竹紫(劇作家、演出家)

弓館小鰐(新聞記者、随筆家吉岡信敬(早稲田大学応援団初代団長)

鷲沢与四二(新聞記者)

太田茂(別名義に太田四州、太田志蹴。ジャーナリスト)

平塚断水(新聞記者)

押川清(春浪の弟。早稲田大学野球部三代目主将)

飛田穂洲(早大野球部五代目主将)

三神吾朗(早大野球部)

西尾守一(早大野球部)

野々村納(早大野球部)

伊勢田剛(早大野球部) 

 Wikipediaより引用

 

小説家や画家、スポーツ選手、新聞記者、政治家、中には飛行家(?)など・・・バラエティに富んだメンバー。

 

そんな天狗倶楽部の中心的存在だった押川春浪が、1914(大正3)年、38歳で亡くなります。

それから『天狗倶楽部』の活動は弱まり、1930年代(昭和初期)に倶楽部は自然消滅しました。

 

消滅した天狗倶楽部でしたが、その後メンバーの複数が野球殿堂入りするといった事もあり、天狗倶楽部が日本のアマチュアスポーツ振興に果たした役割は大きかったようです。

 

天狗倶楽部メンバーのエピソード

天狗倶楽部メンバーのエピソード

 

天狗倶楽部のメンバーは、中心人物の押川春浪に共感して入ったわけですから、どこか似たところがある人たちだったんでしょうね。

 

リーダーの押川春浪が野球好きだったこともあって、天狗倶楽部のメンバーには、野球経験者が多く、その中でも、早稲田大学の元野球部員が多かったみたいです。

 

■ 野球殿堂入りしたメンバー

 

 橋戸信(はしど しん

社会人都市対抗野球のMVPに与えられる『橋戸賞』があるが、メンバーの橋戸信の功績によって名付けられた。

 

 河野安通志(こうの あつし)

日本初のプロ野球チームを結成した。

 

 飛田忠頼(とびた ただより)

学生野球の発展に力を尽くした。

 

 押川清(おしかわ きよし)押川春浪の弟

プロ・アマ野球の発展んを陰で支えた。

 

 太田茂(おおた しげる)

神宮球場の建設に携わった。

 

■ 学生相撲の原点となった?

 

天狗倶楽部は、学生相撲の発展に大きな功績を残しています。

明治42(1909)年、自宅に土俵を持つほど相撲好きな小説家・江見水蔭(えみ すいいん)の『江見部屋』に、天狗倶楽部は相撲を申し込みました。

 

結果は、もちろん惨敗。。。

その後、その話を聞いた第一高等学院(一高)相撲部から天狗倶楽部は、挑戦を受ける事になります。

 

それが奇跡的(?)に勝利したのです。

そうしてその事がきっかけで『国技館学生すもう大会』の開催に繋がり、現在の学生相撲の原点となったそうです。

 

■ 元祖イケメン?

 

明治43(1910)年、押川春浪主筆の『冒険世界』で人気投票コーナー『痛快男子十傑』という、イケメンランキング(?)が行われました。

 

天狗倶楽部で1位を獲得したのは、下記の2名!

一般学生部門 ・・・ 吉岡信敬

運動家部門 ・・・ 三島弥彦

 

ちなみに『痛快男子十傑』は、青少年に爆発的な人気のある雑誌だったので、投票したのも若い男子だったと思われます。

なので、男子が憧れるイケメン!という感じですね。

 

■ 早慶戦が19年に渡って中止

 

明治39(1906)年、秋に『早慶野球戦』で、第1戦は慶應義塾、第2戦は早稲田大学で、むかえた第3戦・・・

応援席の配分で、2校は揉めてしまいます。

 

そこで、応援隊長の吉岡信敬は『指揮官を6頭の馬に乗せ、剣を携え、1万人の応援隊でグラウンドに乗り込むぞ!』と慶應義塾を威嚇しました。

 

もちろん、大揉めとなり・・・

2校の関係はこじれにこじれて、結局、その揉め事がきっかけで、19年間も早慶戦は中止となったのです。

 

■ ビール瓶に放尿したものを・・・

 

押川春浪と中川臨川が、酒を浴びるほど飲んで中川臨川宅に泊まった夜中の事・・・

押川春浪は尿意をもよおし、近くにあったビール瓶に放尿しました。

 

翌朝、『なんだか味が変だなぁ・・』と言いながら、中川臨川がそのビール瓶を片手に飲んでいたそうです。

びっくりした押川春浪が、ビール瓶の中身について話したところ、中川臨川は平然としていたと言います。

 

腹の中を素通りにしてきたんだ。いくらも真物と変わらない。』なんて言ったそうですよ。怖っ!

 

他にも、おならが豪快な橋戸信は、天狗倶楽部のメンバーの中でも『ドカンと一発の巨砲型』と言われていたそう。

しかし・・・巨砲型(?)って、どんなおならの種類??と思ったりしますけど。。。^^;

 

ある夜、メンバーの弓館小鰐(ゆだて しょうがく)が、皆の泊まる旅館を探していたところ、ドカン!!と耳をつんざくような音が聞こえたそうです。

これは橋戸信に間違いないと思って歩み寄ったところ、そこにいたのは押川春浪でした。

 

さすがリーダー!

おならでも負けず嫌いという訳ですね。。。

 

そんな豪快なエピソードが多い天狗倶楽部!

大河ドラマ【いだてん】では、どんな豪快な演技が見れるのか楽しみですね!

 

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