NHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)』で、1964年(昭和39年)東京五輪の開会式で最終聖火ランナーを務めた坂井義則(さかい・よしのり)が登場します。
演じるのは井之脇海さん。
陸上選手としても素晴らしかった坂井義則が、なぜ選手ではなく聖火ランナーに選ばれたのでしょうか。
日本のスポーツの歩みに伴走した坂井義則の人生を見ていきましょう。
目次
いだてんで井之脇海が坂井義則を演じる!
『いだてん』東京オリンピックで、聖火ランナーを務めた坂井義則を演じるのは、好青年のイメージのある井之脇海(いのわきかい)さん。
個人的には大好きな俳優さんなのですが、名前を聞いてピンとこない方のために少しご紹介しますね。
井之脇海さんは177㎝と、すらりと高い身長で甘~いマスク!笑顔がキュートな俳優さんです。
韓国ドラマに出てきても違和感ないくらいの爽やかさです。
神奈川県横須賀市出身の日本の方ですが…。(笑)
井之脇さんは子役から活動されていて、最近特に注目を集めている俳優さんの一人です。
ドラマ、映画、CM…。と、活躍されてます。
名前は知らなくても見たことある方は多いのでは?と思います。
では、出演されていたドラマ、映画をご紹介したいと思います。
映画は『トウキョウソナタ』に出演し、最優秀新人男優賞を受賞されています。
そしてNHK朝の連続ドラマ『ひよっこ』では「乙女寮」の寮長・幸子の恋人役。
NHK朝の連続ドラマ『ごちそうさん』(杏さん)にも出演されていました。
『集団左遷』は銀行員の平正樹役。
そして、NHK大河ドラマ『平清盛』では平維盛役。
同じくNHK大河ドラマ『おんな城主直虎』では小野万福役でした。
『おんな城主直虎』では、井伊万千代役の菅田将暉さんと登場するシーンが印象に残っています。
動きの激しい菅田将暉さんに対し、冷静沈着な役柄を見事に演じていましたよね。
・『義母と娘のブルース』ではみゆきの幼馴染、黒田大樹役を演じています。
その高校生、みゆき役を演じた上白石萌歌さんも『いだてん』にでてますね。
本当に付き合ってるみたいで、毎週きゅんきゅんときめいて見てました。(笑)
一部上げただけでも有名作品ばかりですよね。
しかも、それぞれのドラマで存在感がありますよねぇ~。
今回の『いだてん』では、聖火ランナー役。
演技の実力はもちろん、坂井義則のイメージにあるような、
・若さ。
・爽やかさ。
・清らかさ。
・スポーツ選手なので肉体美。
どれも、ぴったりなので当たり役だと思います。
楽しみですね。
聖火ランナーを務めた坂井義則とは?
画像引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki
坂井義則は、昭和20年8月6日に広島県三次市で生まれました。
この日は…。そう。広島に原爆が投下された日です。
坂井義則はこの原爆投下から1時間半後に誕生したのです。
そんな坂井義則の生まれた家は、スポーツ万能一家。
〜お父様〜
・中学生時代スポーツの万能。
(水泳以外。)
・中国電力勤務で三次市の体育協会理事を務めていました。
・職場対抗軟式テニス大会では何度も優勝。
〜お母様〜
・旧制女学校時代は陸上短距離の選手。
〜弟さん〜
・陸上400メートル選手。
坂井義則がスポーツで開花するのは必然だったように感じますね。
でも、意外なことに陸上競技を始めたのは中学の時だったようです。
小学校の運動会では、かけっこでいつも一番!
中学で陸上部に所属し、走り幅跳びに専念しました。
中学3年生の時には県総合大会で、6m47cmを跳び優勝。
(当時の全国の中学記録で2位となる記録。)
県立三次高校に進んでからも、走り幅跳びを続けましたが、1961年 秋田国体の予選でわずか1cmの差で通過できず…。
その時に、お父様からトラック競技への転向を勧められ、中距離ランナーとして再出発したのです。
この時、坂井義則は1年生でした。
そんな息子の走り幅跳びの助走フォームが綺麗なことにお父様は気付いていたのです。
そして、
・国体予選会直後の県5地区対抗の陸上競技大会の400メートル競走→優勝。
・1962年全国高校陸上。
400メートル競走→3位。
・岡山国体の高校陸上。
400メートル→2位。(49秒0の大会新記録)
・1963年山口国民体育大会陸上。
400メートル→優勝。(←日本記録に迫る好タイム。48秒5。)
・広島県陸上大会。
高校の部100メートル→優勝。
高校の部200メートル→優勝。
そして1964年には東京オリンピックを目指し、早稲田大学に入学。
競走部に入部しました。
早稲田大学では日本陸上連盟の、陸上400m&1600mリレーの強化指定選手に選ばれていましたが、東京オリンピック代表選考会では敗退し、失意のどん底を経験しています。
そんな頃坂井義則は、その頃しばらく抜け殻のようになり、実家でぶらぶらしていたそうです。
他の選手に既に決定していた聖火ランナーの最終ランナーでしたが、組織委員会は、広島原爆投下日という象徴的な日に生まれた坂井義則に託すことにし、聖火ランナーに選んだのでした。
そして、1964年の東京オリンピック開会式当日、国立競技場の聖火台に点火する大役を果たしたのです。
当時19歳だった坂井義則のことを国内外のメディアは「アトミック・ボーイ」と呼びました。
「原爆の子」という意味で、戦後復興&平和の象徴とされました。
その後、昭和41年 バンコクアジア大会。
・1600mリレー→金メダル。
・400m→銀メダル。
を獲得し、活躍していきます。
そうして1967年引退。
オリンピックの出場経験はありません。
その後、フジテレビに入社。
(ちなみに、逸見政孝さんは同じ早稲田大学でフジテレビ同期入社です。)
入社後、スポーツ報道を中心に活躍しました。
1972年 ミュンヘンオリンピック。
1996年 アトランタオリンピック。
を手掛けました。
そうして2005年に、フジテレビを定年退職します。
退職後はフジテレビ関連の番組制作会社に再就職。
エグゼクティブプロデューサーとして活動されていました。
ちなみに、息子さんはTBSのディレクターをされていて、2007年の世界陸上選手権では、国際映像チーフディレクターだったそうですよっ。
そうして坂井義則は、2014年9月10日に脳出血で亡くなりました。
69歳でした。
坂井義則が聖火ランナーに選ばれたのはなぜ?
オリンピックの聖火リレーの最終ランナーというと、過去の大会でのメダリストが務めるケースが多いのですが、1964年第18回オリンピック東京大会は少し違っていました。
当初、最終聖火ランナーの案には、
・日本選手初の金メダリストの織田幹雄一人。
or
・織田幹雄、南部忠平、田島直人の3名。
が出ていました。
三人とも陸上の三段跳びの選手で、
・1928年のアムステルダム大会。
・1932年のロサンゼルス大会。
・1936年のベルリン大会。
でのそれぞれ優勝経験者です。
聖火リレーのランナーについては、オリンピック東京大会組織委員会の原案で、
・各自治体の首長や議員。
・財界有力者やスポーツ功労者。
を優先して選出することになっていましたが、これに対し当時、組織委員会内で反対の声が上がりました。
異を唱えたのは、東京オリンピック選手強化対策本部長・大島 鎌吉(けんきち)さん。
「スポーツとは無縁のビール腹の大人たちを走らせたら、世界中から集まる青年たちのスポーツの祭典が、開会する前にイメージダウンしてしまう」
「われわれのような大人が大舞台の立役者になってもしょうがない。聖火ランナーは若者にまかせればいい」
というもの。
この意見には、最終走者候補の織田幹雄も賛同。
「国立競技場の百八十段以上ある階段を、私たちが駆け登るのは大変だと思います。聖火ランナーは元気な若者たちに任せるべきです。(一部省略。)」
と。。。
こうして、若者中心で聖火リレーが行なわれることになったのですが、この時、大会開催まであと3カ月という時期でした。
組織委員会→委任→日本陸上連盟(陸連)首脳部→選考。
そして、聖火リレー最終ランナー決定という流れ。。。
選考基準は、
・終戦(1945年8月15日)以後に生まれた東京近郊に住む高校生を主な対象とする。
・8月上旬の全国高校陸上競技大会の成績を元に決定する。
とされましたが、高校陸上では、東京近郊の選手らの成績が振るわず、選考対象枠を東京近郊の中学&大学に在学中の陸上選手に広げ、再検討され、ここで新候補となったのが、
・都内の中学生2名。
・19歳の坂井義則(早稲田大学教育学部1年。)
細かく言うと他にも候補はいて、坂井義則は問題視されていました。
なぜというと、誕生日が1945年8月6日で、戦後の生まれではなく、しかも広島に原子爆弾投下された日でもあるからでした。
しかし、「これは使える」と思ったのが、早稲田陸上部出身の政治家の河野一郎。
この河野一郎はかなりの我を通すワンマン手法で知られている政治家。
で、もちろんこの聖火ランナーの選考でもそのワンマンっぷりを発揮しました。
その結果、最終的に河野一郎は聖火ランナーを坂井義則に決定したのでした。
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