NHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~

で、いよいよ「東洋の魔女」がでてきます!

 

見て知っている人も、見てないけど聞いたことある人も楽しみなワードじゃないでしょうか。

今回は「東洋の魔女」と、主将を務めていた河西昌枝さんにスポットをあててみたいと思います。

 

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目次

河西昌枝役をいだてんで安藤サクラが演じる!

 

 

東洋の魔女」は聞いたことある人も多いのではと思います。

東洋の魔女」というのは、女子バレーボール日本代表チームのことです。

 

ニックネームみたいなものですね。

なぜこんな呼び方をされたのかは、また後ほど…。

 

で、この素晴らしいチームの主将を務めていたのは河西昌枝さん。

この役を演じられるのが、安藤サクラさんです。

 

絶対似合うー!って思うのですが、そんな安藤サクラさんは意外にも、大河ドラマ初出演になるそうです。

 

たくさんの映画に出演されていて受賞の数も多い女優さんですし、なんといってもNHK朝の連続テレビ小説『まんぷく』で一気に人気&知名度あがりましたよね。

 

サクラさんの身長は160cmとバレーボール選手にしては小柄ですが(これまた意外…。サクラさん大きく見えますね。(笑))演じる河西昌枝は174cm。

 

でもポジションがセッターなので、160cmは結構いい感じかも。。。

(ってゆーか、周りも役者さんなので、そんなに高身長はいないですよね。)

 

明るい人の役から、暗い影のある感じの人の役まで、どの作品をみても自然に演じられているので、すごいなぁ〜。の一言です。

サクラさんの演技は素人から見ても本当に上手なので、かなり見応えあると思います!

 

河西昌枝の人生

 

河西昌枝の人生

画像引用元:https://www.tokyo-sports.co.jp/social/191143/

 

昭和8年。

河西昌枝は山梨県南湖村(現南アルプス市)で生まれました。

 

中学からバレーを始めた河西昌枝は、少女の頃から周りの女の子たちよりかは背が高かったようです。

 

バレーボールが大好き少女だった河西昌枝は山梨県立巨摩高校卒業すると実業団バレーの強豪チーム日紡貝塚(現・ユニチカ)に入社しました。

 

そしてここで出会った日紡貝塚女子バレー部の大松博文監督が河西昌枝の運命を変えることになるのです。

 

当時、大松博文監督は「鬼の大松」と呼ばれるスパルタぶりで知られていました。

徹底したスパルタ式の猛練習。

 

日々のトレーニングによって鍛えられ、世界初出場となった、1960年の世界選手権(ブラジル)は、vsソ連(現ロシア)に敗れ、惜しくも2位。

 

しかし、1962年の世界選手権(モスクワ)は、vsソ連に勝利し、念願の世界一に!

当時29歳だった河西昌枝は、バレーボールは辞めて結婚も考えたそうですが、辞めることはできなかったそうです。

 

頑張ることを選択した時に親御さんは、

やるんだったら一所懸命にやりなさい。」と快く送り出してくれたそうです。

 

ですが、東京五輪直前の8月にお父様は他界され、この時のことを思うと涙が込み上げてきたとおっしゃっています。

そして昭和33年には、国内4大タイトルを独占するチームへとなっていました。

 

昭和36年、ヨーロッパ遠征。→全勝。

こうして彼女たち強豪チームは「東洋の魔女」と呼ばれるようになりました。

 

10月10日。東京オリンピック開幕。

河西昌枝はチームのキャプテンとして参加。

 

全勝で迎えた決勝戦。

対するは宿敵ソ連。

 

国民の期待を一身に集めた一戦。

この一戦は伝説の一戦となりました。

チームの要として活躍し金メダルに見事輝くのでした!

 

表彰台から見た景色はどのようなものだったのでしょうね。

河西昌枝はのちにこんなふうに言っています。

 

「日本中の声援が忘れられません。みなさんがほんと、ひとつになって、“がんばれよ”“勝ってほしい”と応援して下さった。プレッシャーでもなんでもなく、こんなに応援してくださっているのだから金メダルをとるしかないと思っていました」

「命がけで世界一を目指したのは、長い人生の中でたった4年間だったような気がします」

 

と・・。

歳を重ねても鮮明に残っている当時の記憶。

それだけのプレッシャーと経験だったのだということが伝わってきますね。

 

その後1965年に河西昌枝は引退します。

そして、自衛隊員の中村和夫さんと結婚。

 

その後は、ママさんバレーなどの指導普及に尽力されました。

 

2004年 アテネオリンピックの時に河西昌枝は、日本協会の女子強化委員長に就任。

2008年 世界バレー殿堂入りします。

 

来年に控える56年ぶりとなる東京オリンピックが決まった時、とても喜んでおられたそうです。

今度はオリンピックをこの目で見て、最大の声援を送るつもりです」とコメントもされています。

 

れからわずか3週間余り経った2013年10月3日、80歳で亡くなりました。

とりわけファンへの挨拶も丁寧だった河西昌枝さん。

 

河西昌枝さんをよく知る方は、怪我をしないことで有名で、病気で寝込んだこともなかったのに…。と、この訃報を驚かれたそうです。

 

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東洋の魔女とは?

 

東洋の魔女とは?

 

東洋の魔女」(とうようのまじょ)は聞いたことある人も多いのではないでしょうか。

これは、1961年欧州遠征で22連勝した日紡貝塚女子バレーボールチームにつけられた、ニックネームです。

 

先程も紹介しましたが、鬼の大松監督の厳しい練習の成果によって、実力と共に『魔女』という言葉を使って、名も広められる事になりました。

 

当時『東洋の魔女』と呼ばれていたメンバーはこちら↓

 

・河西昌枝

・姫田睦子

・宮本恵美子

・増尾光枝

・中島澄子

・西原篤子

・谷田絹子

・半田百合子

・松村好子

 

の9名。

 

当時、最強チームだったソ連からの外電もこの偉業を、「東洋の台風の目」とか「東洋の魔法使い」なんてニックネームをつけて、世界的なヒロインとしてつたえたそうです。

 

1962年の世界選手権では、回転レシーブで、宿敵ソ連に勝利し優勝!

これが世界での初優勝となり、ニュースで大きく取り上げられました。

 

そして、東京オリンピックでの決勝戦の解説で、アメリカの解説者が東洋の魔女を「オリエンタル・ウィッチ!」と、日本の攻撃の度に連呼していたそうなので、日本だけでなく外国でも知られるようになりました。

 

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