大河ドラマ『いだてん』で平沢和重(ひらさわかずしげ)を演じるのは、星野源さん!

平沢和重はNHK解説委員として、ニュース解説を行った人物で、1964年の東京オリンピックを招致するIOC総会の最終プレゼンという大役を果たした人物でもあります。

 

IOC総会の最終プレゼン?!と思った方には「お・も・て・な・し」と言ったほうが伝わるかもしれませんね。^^;

このプレゼンをしたのが、星野源さん演じる平沢和重というわけです。

 

当時の日本の前評判は圧倒的に不利!

東京でオリンピックが開催されるなんて夢のまた夢…。と、誰もがそう思っていました。

しかし、平沢和重のスピーチで、1964東京オリンピックは開催されることとなったのです!∠( ゚д゚)/

 

2020東京オリンピック目前。再注目されるであろう人物・・・

平沢和重とは、一体どんな人物だったのでしょうか。

 

また彼の人生はどのようなものだったのでしょうか。

見ていきたいと思います。

 

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平沢和重役を演じるのは星野源!

 

平沢和重役を演じるのは星野源!

画像引用元:http://otonakeikaku.jp/profile/profile_hoshino.html

 

NHKの大河ドラマ『いだてん』で、外交評論家でジャーナリストの平沢和重が登場します!

(ちなみに26年間 NHK 解説委員として、ニュース解説を行っています。)

 

・とてもわかりやすい語り口。

・しぶ~い雰囲気。

・論理的思考。

・開放的な性格。

だった平沢和重は、ファンも多くまさに「お茶の間のマダムキラー」として人気がありました。

 

そんな平沢和重役を演じるのは星野源さん。

星野源さんは、2016年の大河ドラマ『真田丸』にも徳川秀忠役で出演されていましたので、3年ぶりの大河ということになりますね。

 

星野源さんは子どもからおじいちゃん、おばあちゃん世代まで大人気な方ですから、星野源さんがでると聞いて、見たくなった人多いのではっ?!と思います。(^^)

 

ちなみに星野源さんの所属事務所は「大人計画」さん。

今回、大河ドラマの脚本を書いてる宮藤官九郎さんも「大人計画」さん。

で、このお二方、何気に共通点も多くて結構仕事も一緒にされています。

 

たくさんあるのですが、その中から1つNHK関連でお話すると、

 

子ども向け番組『みいつけた』の「グローイングアップップ」この曲の作詞は宮藤官九郎さん。

作曲は星野源さん。

めっちゃいい曲で、個人的に大好きです!

 

こんな素敵な曲を作れるナイスコンビネーション!ってことは、楽しいドラマになること間違いなしっ!と思うんですけどね。。。

 

人々を魅了する役どころを演じる星野源さんが平沢和重を演じるにあたって、個人的には配役がぴったり!と思いますし、監督との息ぴったり!ドラマに期待大!となっていくと思うんですよね。

どんな風に演じられるのか楽しみですね。

 

ニュース解説者だった平沢和重とは

 

ニュース解説者だった平沢和重とは

 

平沢和重(ひらさわかずしげ)は、明治42年(1909年)香川県丸亀市で生まれました。

 

・昭和10年(1935年)東京帝国大学卒業。

そして、外務省に入省しています。

 

ここまでの時点でめちゃくちゃ優秀な人。ってことがわかりますよねぇ~。

ちなみに、ベイツ・カレッジに留学(アメリカのメイン州)経験もあります。

 

・外交官として駐米日本大使秘書官。

・ニューヨーク領事など務めました。

 

・1949年から26年間、NHK 解説委員をしています。

(通称「野球協約」日本プロフェッショナル野球協約(プロ野球選手の契約などの手続きを定めた協約のこと。)をまとめたのは平沢和重です。)

で、アメリカから取り寄せられた、元になるデータを、日本版に編集したのが平沢和重です。

 

・1956年「ジャパンタイムズ」編集長に就任。

そして、平沢和重といえばわすれてならないのが、東京オリンピックの招致で活躍ことですよね。

 

でも、当時の日本は敗戦後の復興中で、まだまだオリンピックを呼べる状態ではないという考えから、自分の出演するNHKのテレビでは、東京オリンピック招致に初めは反対を主張していたそうです。

意外ですよね。

 

では、なぜ平沢和重がプレゼンすることになったのかと言うと、プレゼン予定だった外交官参事官の北原秀雄が怪我をした為に急遽、東龍太郎(当時の東京都知事)や岩田幸彰(日本オリンピック委員会常任委員)に推薦されたのでした。

 

理由は二つ、

・外交官の経験があり英語が堪能だったこと。

・嘉納治五郎を看取ったこと。

でした。

 

そして、昭和34年(1959年)。。。

1964年のオリンピックの開催地を決定するためミュンヘンでIOC総会が行われました。

この総会では、オリンピック決定に大きな影響を及ぼす大役を務める事になります。

 

実はプレゼン本番、平沢はプレゼンを聞く委員たちの疲れを感じとり、内容を短縮し伝えたいメッセージを強調。

予定していた1時間のプレゼンを→15分にまとめました。

 

優秀な外務省の人たちが、練りに練った内容を短縮するのは難しいですし、勇気いる決断だったはずです。

この時のスピーチがこちらです。

日本は極東と呼ばれているが、飛行機の時代になり極東ではなくなった。

国際理解や人間関係の心の距離を消すには人と人が直接会う事が一番で、お互いに理解する事から世界平和が始まる。

今こそオリンピックをアジアで開くべき時。

 

極東」という言葉を使いました。

(ヨーロッパから見たら極東である、東に遠い国でだから言われた言葉です。)

 

オリンピックは世界平和を目的とした祭典。

極東」を強調し、ヨーロッパから遠い日本(アジア)でも、オリンピックを開催するべき!

ということを際立たせたのです。

 

・国際理解。

・人種・人間関係の理解。

つまり、直接会うことが重要。と説き、「世界平和!」「オリンピックの目的を果たすにはアジアで開催するべき!」と主張しました。

 

これらは、嘉納治五郎の意志であったと言われています。

妥協を許さない人で、全て英語の伝説のスピーチをされました。

とても流暢な英語のスピーチだったそうです!

 

なんだかすごいですよね!

そしてプレゼンの結果は…。

 

・デトロイト10票。

・ウィーン9票。

・ブリュッセル5票。

 

そして東京は34票!

 

見事オリンピックを呼んだのです。

日本は有望視されていなかったので、平沢和重のスピーチがどれだけ、IOCの心に刺さった素晴らしい演説だったかがわかりますね。

 

平沢和重は1977年3月7日、東京都内の病院で亡くなりました。

享年67歳でした。

 

 

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平沢和重は嘉納治五郎の最期を看取った

 

平沢和重は嘉納治五郎の最期を看取った?

 

1938年4月バンクーバー 横浜行きの氷川丸に乗船した時。。。

 

たまたま乗り合わせたIOC委員の嘉納治五郎と偶然出会い、年齢差のある二人でしたが、気が合ったのか仲良くなります。

当時は世界を見た経験のある人は少なかったので、そういう点から何か気持ちが通ずるところがあったのかもしれませんね。

 

さて、そんな風に親交を深めた二人ですが、横浜に到着する2日前、嘉納は肺炎を患い急死してしまうのです。

 

そうして平沢は偶然、船内で嘉納の最期を看取ることとなったのです。

何とも奇跡的な出会いですよねぇ~。

 

後に、1964東京オリンピックの時、平沢は「嘉納治五郎を看取った人物」として紹介されました。

 

嘉納治五郎はIOCの中でそれだけ圧倒的な信頼があった存在の大きかった。ということが伺えます。

 

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