2019年大河ドラマ【いだてん】に登場する人物の一人、役所広司さんが演じる嘉納治五郎(かのう じごろう)とはどんな人物だったのでしょうか。
嘉納治五郎っ!
・・・ってなんだか、凄くインパクトの強い名前ですよね。
嘉納治五郎は、主人公・金栗四三(かなくり しそう)が通った東京高等師範学校の校長です。
役所広司さんがどんな風に演じるのか、見ものです。。。
目次
役所広司が嘉納治五郎(かのう ごじろう)を演じる
画像引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki
2019年大河ドラマ『いだてん』で嘉納治五郎(かのう ごじろう)役を演じるのは、ベテラン俳優の役所広司です。
(ん?ちょっとこの画像の役所広司さん、怖い・・・(-_-) )
役所広司さんは、2019年の大河に出場されるにあたって、早速台本をじっくり読んで、『本当に面白い。こんな台本はあまり読んだ事がない。』なんて言っていた様です。
脚本が宮藤官九郎さんですからね。
そりゃ、面白く仕上げているでしょうね。
しかも、少し笑ってしまうキャラの阿部サダヲさんがいますからね。(笑)
『おんな城主直虎』の時の徳川家康役だったのを思い出します。。。
なんというか、阿部サダヲさん独特の雰囲気が前へ前へ出てた、徳川家康だったですから・・・
あ、と・・・役所広司さんの話でしたね。。^^;
さて、役所広司さんは、1994年の大河ドラマ『花の乱』で、伊吹三郎役を演じた以来、大河ドラマ出演は25年ぶり。
そして今回、役所広司さん演じる嘉納治五郎は、中村勘九郎さん演じる金栗四三が通う、東京高等師範学校の校長先生!
そこで嘉納治五郎は、25年ほど校長を務めています。
校長先生といっても、そこらの校長先生とは違いますよ。
というのも、嘉納治五郎は元々柔道家でした。
教育者でもある嘉納治五郎は柔道家でもあったので、柔道の総本山ともいう『講道館』を設立した事でも有名です。
講道館とは、柔道の段位の発行や、大会開催、講習会など柔道普及のための諸活動を行っている場所です。
そして明治から昭和にかけ、日本スポーツの道を開いた事により、『柔道の父』や『日本の体育の父』と呼ばれている事でも知られている人物です。
そんな嘉納治五郎役を、役所広司さんの渋い演技で演じるところが見ものです。
柔道家だった嘉納治五郎
画像引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki
さてさて、そんな嘉納治五郎について簡単に紹介していきたいと思います。
いやー、この画像のお顔・・・頑固一徹!ってな感じですよね。
さすが『柔道の父』と呼ばれていただけありますよ。
顔に出てるね。顔に!
さて、そんな嘉納治五郎の実家(嘉納家)は、摂津国御影村(現・兵庫県神戸市東灘区御影町)に於いて、屈指の名家でした。
祖父の治作が、酒造や廻船(港から港へ荷物や人を運ぶ)などの仕事で成功を収めていました。
まぁ、裕福な家庭で育った人なんですね。
そんな不自由なく暮らしていた治五郎は10歳の頃、明治政府に招聘された父に付いて上京します。
東京では書道や英語などをしっかり学んだそうです。
そうして1877年(明治10年)に嘉納治五郎は、東京大学に入学します。
それから1年後に治五郎は、漢学塾二松學舍(のちの二松學舍大学)の塾生となります。
『漢学』というのは、中国伝来の学問(中国の学問)の総称を意味します。
親からしっかり勉学に励む様、教育を受けていた嘉納治五郎ですが、彼自身は元々虚弱体質だった事もあり、武術や武道を習得して強くなりたいという思いがあったそうです。
まぁ、なかなか勉強スポーツ、武術、全てにおいて一流になるというのは難しいものですよね。
勉強だけでも抜き出た成績を収めれたのなら、それに満足していいのでは?なんて思ったりしますが、治五郎は負けん気もあった様ですし、実際、過去に虚弱体質によって力(腕力)で負けてしまった経験があった事を気にしていました。
柔術を学ぶ事に対して、なかなか親の許しが出なかったのですが、それでも治五郎はめげずに何度か懇願し、やっと天神真楊流柔術の福田八之助に念願の柔術入門を果たす事が出来たのでした。
そこから嘉納治五郎は、天神真楊流、起倒流などの一流柔術を学び、乱捕技術(自由に技を掛け合う方法)によって、独自の柔道を作るまでとなったのでした。
そうして、みるみる立派な柔道家となった嘉納治五郎は、1882年(明治15年)に、下谷北稲荷町(現・台東区東上野)にある永昌寺に講道館を設立したのです。
金栗四三と嘉納治五郎 オリンピックへの道
とても素晴らしい柔道家の嘉納治五郎ですが、今回『いだてん』で登場する中村勘九郎さん演じる金栗四三の母校、東京高等師範学校の校長も務めています。
柔道から始まり、スポーツ界においても『日本の体育の父』とまで呼ばれていた治五郎は、教育者としても立派な逸材でした。
それに日本人初のオリンピック選手となった金栗四三は、嘉納治五郎の勧めや助言もあり、オリンピックへの出場を果たしています。
嘉納治五郎は、東京高等師範学校に入学して1年目から、校内レースにて上位でゴールした金栗四三に注目していました。
嘉納は、金栗が東京高等師範学校に入学する1年前には、東洋初の国際オリンピック委員会(IOC)に就任しています。
そんな中、嘉納は3年後の第5回オリンピック・ストックホルム大会で、日本人選手を送り込む事を目標としていました。
そして、明治44年(1911)11月18日の国内予選競技会にて、オリンピックに出場する選手を選考する事となります。
そこで金栗は、世界記録を20分以上も上回る2時間32分45秒でゴールするのです。
そうして、嘉納は金栗四三を日本人初のオリンピック選手へと後押しします。
しかし、タイムが凄いからと言って、当時は誰でもオリンピックへ行けるという事はありません。
当時は今と違って、オリンピックへの渡航費や滞在費は自腹だったんです。
日本国内ではオリンピックの知名度も低く、そんなイベントに国費を使うなんて・・・という思いが多かったそうです。
金額も半端ない額で、例えば当時の教師の年収だと、年収10年分の金額なんです。
そんな中、嘉納治五郎は『行ってくれ!』と金栗に頼んだというから、なんとも無神経な・・いや、勇気のある発言をしたのでしょう・・・。
しかし、幸い金栗四三の実家も土地の名士であったので、ある程度の余力はあった様です。
あとは周りの募金活動もあり、金栗は日本人初のオリンピック出場を果たします。
しかし残念ながら、金栗四三の初めてのオリンピックは棄権という結果に終わってしまいますが、それ以降も嘉納治五郎は勢力的に、日本人選手のオリンピック出場に尽力していきます。
そうして嘉納治五郎は、1938年(昭和13)、エジプトでのIOC総会からの帰国途中風邪をこじらせ、氷川丸の船内で肺炎が原因となり死去します。
享年77歳でした。
嘉納治五郎にとっては、当時、東京でのオリンピック開催に尽力していた事もあり、心残りだった部分もあったでしょうね。
しかし嘉納の死後、結局、東京でのオリンピック開催は中止となってしまい、日本国は再出発を目指す事になります。
ようやく東京でのオリンピックが開催されるのは26年後の1964年でした。
千葉県松戸市の東京都立八柱霊園にて眠っている嘉納治五郎も、念願叶って嬉しかった事でしょうね。
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