東龍太郎(あずまりょうたろう)は、オリンピック招致に東京都知事として尽力した人物です。
大河ドラマ『いだてん』では、その東龍太郎役を松重豊さんが演じられます!
オリンピック知事と呼ばれた東龍太郎の人生について紹介していきたいと思います。
目次
東龍太郎役は松重豊!
画像引用元:https://www.talent-databank.co.jp/search/t2000048397
今回、東龍太郎役を演じるのは、松重豊(まつしげゆたか)さん。
第1話の時に登場されていましたよねぇ~。
次は、東京オリンピック招致くらいの登場になるので、松重豊さん見られるのはもう少し先ですかね。。。
松重豊さんの名前を聞いても、お顔と名前が一致しない方もいると思いますが、顔を見たら「知ってる!」「見たことある!」ってなると思います。
実は松重豊さん大河ドラマは・・・
・毛利元就(1997年)
・北条時宗(2001年)
・八重の桜(2013年)
に続いて、4回目の出演なのだそうです。
松重豊さんは、学生の頃から演劇を学んでいて、今や名バイプレイヤー!として活躍されている俳優さんです。
たくさんの作品に出演されていて、役柄に合わせて表情をかえる演技は実に見事な職人技!
数々の賞を受賞されているのも納得ですし、身長が高くて、見た目の方も十分イケてる方だと思います!
演技の方もすごく存在感がある役者さんなんですが、なぜか全然飾り気がなくって、感じの良いイメージだなぁと思います。
素朴で善良な市民役~悪役まで演じちゃうので、見たらファンになっちゃったぁ。なんて人も多いのではないでしょうか。
どの役作りも素晴らしいのですが、連続テレビドラマ初主演作品『孤独のグルメ』は特にファンは多いのでは?と思いますね。
さて、大河ドラマ『いだてん』では、夏以降にきっとキーマンとなる人物の一人です!
今から登場が楽しみですねっ!
東京都都知事となりオリンピックの誘致に関係する
画像引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki
東龍太郎(あずまりょうたろう)は、明治26年(1893年)に大阪で誕生しました。
お父さまがお医者様で、その影響でか、東京帝国大学医学部に入学。
卒業後、ロンドン大学に進学します。(物理化学 & 生理学)
東龍太郎はそこで勉強、そしてスポーツに励み、ボート選手として活躍していました。
優秀でスポーツマン!
きっとモテたでしょうね。
そして、大正15年(1926年)医学博士となり、昭和9年(1934年)東京帝大の教授に就任します。
戦争中は、
・海軍司政長官。
・南西方面海軍民政府衛生局長。
・結核予防会理事。
などを歴任。
戦後は、
・厚生省医務局長。
・茨城大学の学長に就任。
そんな東龍太郎は、医師 & 教育者として活躍しました。
オリンピックにも深く関わるようになり、
・日本体育協会会長。
・日本オリンピック委員会委員長。
を務めます。
さらに16年間 IOC委員も務め、東龍太郎の貢献が東京オリンピックの招致にも影響を与えました。
昭和34年(1959年)
東龍太郎は自民党の推薦を受け、東京都知事に立候補します。
そして見事当選!
2期8年務めました。
1964年東京オリンピック招致では、田畑政治と協力し成功させました。
何を隠そう IOC 総会で平沢和重を最終プレゼンに推薦したのは東龍太郎だったのです。
そして当時の日本は、交通機関や開催場所など、招致成功はめでたい反面、オリンピックを行うには問題が山積み…。といった状況でしたが、そういった問題も東龍太郎はコツコツと解決し、東京オリンピックは開催することができたのです!
オリンピック後の問題と東龍太郎の責任とは?
さて、東京オリンピックは見事開催され、ほっとした頃でしょうか・・・
物凄く貢献して、東京オリンピックを実現させたのに、この頃、何か問題が起こるとすぐに、東龍太郎は批判を受けるようになっていました。
それは、なぜでしょう?
事前に問題を回避できなかったから?!
はたまた、スムーズに対処できなかったから?!
実はオリンピック後、公害問題が発生しました。
これは、
・戦後からの復興。
・高度経済成長の代償。
とも言うべき問題がはっきりしたのです。
その他、都心近郊の水不足…。と、数々の難題が明るみになり、東龍太郎は一つ一つ対処し続けました…。
オリンピック後、確かに問題がたくさん出たのかもしれませんが、
・戦後の復興も経済成長。
・短期間でのオリンピックに向けた整備。
というのは、国民が望んでいた夢や希望だったのでは?!なんて思います。
勿論。たがらといって代償は仕方がない…。とは思えませんが、別の人がしていたら回避できていたか…。というと疑問が残ります。
色々な事の始まりは、知らない & わからないことだらけで、その中で東龍太郎はその一つ一つを決断し進めて行きオリンピックを実現させたのです。
難しいですし、勇気がいることだと思います。
きっと当時の東龍太郎はベストを尽くしたと思います。
いつの時代でも土台を築き上げるのは大変で、そして周りの評価や批判も、結構つきものですよね。
想像つかない苦労を感じます。。。
晩年は、都知事を退任し、東邦大学の学長に就任。
昭和58年(1983年)90歳。
肺炎で亡くなりました。
東龍太郎はあまり高評価ではない点も多々あり、批判を受けることもあったようですが、全ては結果論。
何か問題があった時にその後どうするか。
そこが大事ですよね。
その大変さは同じ立場にならないとわからないことですが、評価というのは見る側面によって色を変えるものです。
東龍太郎は、懸命に取り組み国民の期待に応え、日本の飛躍に大きく貢献したことは間違いないと思います。
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