西郷吉之助(隆盛)の3度の結婚について、あまり詳しく内容を知らない方にとっては、『女好き?』『飽き性?』『性格に問題アリ?』などといったイメージがあるかもしれません。

 

今の時代よりも、離縁する事は少なかったのでは?と思う人も多いと思いますが、実はそうでもなかった様ですね。

離婚の手続きなどに関しては、今より簡単だったので、ある意味離婚はしやすかったかもしれません。

しかし、吉之助の場合はそれぞれタイプの違った妻たち3人とは、全く揉める事もなく離れてしまったのでした。。。

 

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西郷吉之助(隆盛)は3人の妻、それぞれ違った愛し方をした

 

西郷吉之助(隆盛)は3人の妻、それぞれ違った愛し方をした

 

西郷吉之助(隆盛)は生涯に3回結婚しています。

男女問わずモテたというだけのことはありますね。

 

銅像のイメージが強いので、『西郷隆盛』といえば、肥満でお目めクリクリの男の人を思い浮かべますが、実際には、若い頃は痩せていて、長身でイケメンでモテモテだったという話もあります。

 

歴史は、後から後から色々な説が出るので面白いですね。

とにかく西郷隆盛は、色男でモテていたことには間違いなさそうですね。

 

一回目の結婚は西郷吉之助(隆盛)が24歳の時。

薩摩藩士  伊集院兼善の娘で『須賀(すが)』。

 

二回目の結婚は、西郷吉之助が奄美大島に潜居していた時の妻で、『愛加那(あいかな)』。

 

三回目の結婚は西郷吉之助が37歳の時。『糸(いと)』です。

 

そんな3人の妻たちとの恋愛模様が気になるところです。。。

3人の女性たちとの恋、結婚、別れ…。

 

西郷吉之助はバツ2ですけど、嫌いで分かれているわけではなさそうで…大人の事情ってやつです。

 

吉之助は情熱的な人物なので、一人一人にめいっぱいの愛をそそいでいたから、三人の妻から愛され支えられていたのだと思います。

大河ドラマでは、どのように描写されるのでしょうか。

 

西郷吉之助の1人目の妻 須賀との結婚

 

西郷吉之助の1人目の妻 須賀とは

 

周りに結婚を勧められても、結婚しようとはしなかった吉之助でしたが、そんな吉之助にも春がやってきます。

 

初めて結婚したのは24歳の時。

お相手は薩摩の豪族  伊集院家の娘、〝須賀(すが)〝。

 

親の勧めという説もあるのですが、吉之助の一目惚れがきっかけで、猛アタック!!

とか言われていますが、史料が残っていないので、須賀との結婚のきっかけについてはミステリアス。

 

須賀を妻に迎えた当時の吉之助は、御小姓与(おこしょうぐみ)という下級藩士。

一方、須賀の家は島津氏支流の伊集院家という事で、身分的には釣り合っていませんでした。

 

いわゆる〝格差婚〝です。

 

このころの吉之助は、父の代につくった多額の借金で、出世はしても暮らしはちっとも楽にはならず、貧しい生活を送っていたようです。

 

その上、西郷家は大家族。

お姫様育ちの須賀は大変苦労したようです。

 

育った環境が違いすぎるのは並大抵の苦労ではなかったと思います。

結婚してまもなく、祖父と父母が相次いで亡くなり、吉之助は家督を継ぎます。

 

吉之助は当時、藩主・島津斉彬の庭方役に大抜擢され、江戸詰でしたので、家のことは、須賀が切り盛りしていました。

 

それを、須賀の実家の伊集院家が不憫に思い、吉之助が参勤交代で斉彬のお供をしている間に引き取ったとか、直接吉之助に「娘と離婚してほしい」と、言ったとか、手紙を送ったとか、いわれています。

 

吉之助は身を粉にして働く薩摩の武士。

家のことは妻 である須賀に任しきっていました。

 

申し訳なかった…。」と、涙を流して、悲しんだそうです。

お互い嫌いになったわけではないのに…。

 

モヤモヤ…。切ないですね。

結婚生活は、わずか2年ほど。

スピード離婚となりました。

 

西郷吉之助の2人目の妻 愛加那との結婚

 

西郷吉之助の2人目の妻 愛加那とは

画像引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki

 

2回目の結婚は、吉之助が31歳の時。

安政の大獄の際に、西郷吉之助も追われる立場となります。

 

吉之助自身や薩摩藩に危害がおよぶことを防ぐため、鹿児島の南にある奄美大島に逃げ住むこととなります。

 

奄美大島の住民たちは、吉之助のことを流刑にされた罪人だと思っていたので、初めはみんな、吉之助に冷たくしていました。

 

孤独で寂しい奄美での日々を送っていた吉之助でしたが、薩摩藩の役人が島の人々を苦しめている現実知り、しだいに放っておけなくなり、島の人々を助けるため尽力し、少しずつ島の人々に受け入れられるようになります。

 

奄美大島での生活になじんでいく中で龍家ともかかわりが深くなり、愛加那が西郷どんの世話をしてくれるようになったことがきっかけで、二人は結婚し、二人の子宝に恵まれます。

 

丁度その頃、桜田門外の変で井伊直弼が殺害され、安政の大獄が終わり、藩から鹿児島へ戻るように命令されます。

ここで問題が…。

 

薩摩藩には「島妻制度」と、いって、島で結ばれた妻は連れて帰ることが出来なかったのです。

 

愛加那は一緒に行きたかったのですが、願いは叶わず…。

二人は別れることになります。

 

その時愛加那は、西郷どんの毛髪を別れの記念として受け取り、生涯大切にしたそうです。

現在でもその一部は残されています。

 

余談ですが、その髪の毛のDNAで血液を調べたら、西郷隆盛の血液型は、B型だったそうですよっ。

 

今回の結婚も2年ほどなので、ラブラブな時期のお別れ…。

島妻制度」本当に気の毒に思います。

 

失意のどん底にあった吉之助にとって愛加那の存在は大きく、愛加那との暮らしがあったから、心身ともに立ち直り、飛躍していくこととなったのだと思います。

短くも濃密な結婚生活でした。

 

西郷吉之助の3人目の妻 糸との結婚

 

画像引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki

 

糸は海老原家に一度嫁いでいますが、わりとすぐ出戻ったそうです。

なので、糸もバツ1です。

 

吉之助、3回目の結婚は37歳の時。

薩摩藩士 岩山の娘 〝〝です。

 

吉之助は女の再婚など全く気にしてなかったそうです。

そしてこの糸、ドラマを観ているひとは、きっとお気づきですよね。

 

吉之助は、最後は幼なじみと結婚するんだ。。。と、思いませんでしたか。

 

ドラマでは幼なじみで、糸は小吉に密かに恋していた設定でしたが、史実では、16歳の年の差があるので、幼なじみは不可能なんですねぇ〜っ。

 

ここのところがドラマと史実がすこ〜し違いますが・・・(^_^;)

 

さて、奄美大島への島流しから帰ったばかりの西郷どんは、〝禁門の変〝や〝長州征伐〝で活躍した直後の、家老・小松帯刀の媒酌によって結婚しました。

吉之助37歳、糸21歳の時です。

 

吉之助との結婚生活は…というと、弟家族と同居で大家族。

雨漏りする粗末な家で貧乏生活。

 

なのに夫はしょっちゅう東京や京都に出張して、家は留守がち…。

気苦労があったかと思います。

 

が、息子3人に恵まれ、産み育てたそうです!!

よかったぁ。パチパチ。

 

さらに、この糸の凄いところは、前妻〝愛加那〝の息子も引き取り一緒に育てたところです。

しかも、糸の意思で!

 

粋ですねぇ〜。

吉之助は嬉しかったでしょう。

 

糸は面倒見がよくて、自分の子ども3人と、吉之助と愛加那の子ども2人と、吉之助の弟の子ども2人を全て、実の子と同じように育てたそうです。

 

薩摩藩の要職に就いていた西郷吉之助に学びたいという、多くの有志視察を迎えていた事もあり、糸は、この人たちの世話や育児で忙しい日々。

 

鹿児島と京都の間を奔走していた吉之助に代わり、糸は吉之助が留守の間、大家族となった西郷家を守ったそうです。

 

そんな充実した時を過ごしていた糸でしたが、吉之助に先立たれる日が…。

1877年、運命の西南戦争。

 

吉之助が尽力した維新政府軍に屋敷を焼き払われ、吉之助は家族を残したまま死去することに。。。

夫を亡くした後、明治天皇から赦免されるまで、糸は薩摩でひっそり暮らしました。

 

糸は吉之助の意思を継ぎ、京都市長となる菊次郎、陸軍大佐となる虎太郎たち、子ども全員を立派に育て上げました。

 

晩年は、長男の寅太郎と暮らしていましたが、肺炎で寅太郎が亡くなった後、午次郎夫婦と暮らしました。

 

結婚した頃と比べると裕福な生活を送っていましたが、贅沢はしなかったようです。

好きな食べ物は、昔と変わらず〝芋粥〝だったみたいですよっ。

 

糸は80歳まで生きました。

この時代には珍しく大往生でした。

 

結婚期間は12年と短いですが、生涯夫を尊敬し愛した妻〝〝でした。

 

こうして西郷吉之助は、3人の愛する妻を持つ運命となりましたが、3人全員吉之助と不仲になった訳ではないので、ある意味幸せな結婚を繰り返す事が出来て幸せな人生を送ったのだと思います。。。

 

橋本愛【西郷どん】須賀役!吉之助一人目の妻!子供は作らず?

 

二階堂ふみ【西郷どん】の愛加那は島妻!吉之助が最も愛した女性?

 

【西郷どん】糸は吉之助のどんな妻だった?黒木華がイメージピッタリ!

 

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