大河ドラマ『西郷どん』で、成就院の住職〝月照(げっしょう)〝を尾上菊之助さんが演じます。
その月照と吉之助とのボーイズラブが話題となっていますよね。
男女問わずにモテた『西郷どん』だったらあり得るかぁ。。。とも、思いますが、本当に吉之助が初めて愛した男性だったのでしょうか。
紐解いていきましょう。
目次
月照と西郷吉之助
まず〝月照〝とは、どのような人物かというと、成就院(じょうじゅいん)の住職です。
月照の叔父さんが清水寺成就院の住職だった為、月照が23歳で後を継いで住職になったそうです。
西郷吉之助の人生に、とても大きな影響を与えた月照。
月照がいなければ、明治維新前に斉彬の後を追って死んでいたかもしれない。
もしくは、全く違う人生を生きていたかもしれない。
そう言っても過言では ありません。
西郷吉之助は、固い絆を結んだ同志的な友人が何人もいます。
月照もその一人です。
月照と西郷吉之助(隆盛)は、勤皇の同志であるとともに、一緒に死のうとしたほどの仲だったので、同郷の薩摩藩の人間に勝るとも劣らない家族同等、もしくはそれを超えた愛情があったのかも知れません。
情に熱く、人のために尽力できる西郷吉之助だからこそ、生まれる愛に似た感情が、固い絆となるのではないでしょうか。
今回、そんな月照を演じるのは、歌舞伎役者の尾上菊之助さんです。
尾上菊之助さんは、いくつもの歴史ドラマで重要な役を演じた経験をお持ちです。
本職の歌舞伎界ではめちゃめちゃ有名な方で、いくつもの賞を取られています。
もちろん大河ドラマで、着物を着て演技する上で必要な〝しな〝などは、完璧!!
月照役にもってこいの役者さんでしょうね!
さて、悲劇的な最後を迎えることとなる月照。
きっと多くの人を感動させるシーンの一つになると思います。
固い絆で結ばれた月照と西郷吉之助の、幕末の世で描かれる生き方、人間模様…。楽しみですっ。
吉之助(隆盛)と月照の出会い
月照は意外にも、町医者の子どもです。
生まれは大阪。
14歳の頃、叔父さんの後継者として清水寺の成就院に入り僧となり、23歳で住職になりました。
そのころ、薩摩藩の藩主・島津斉彬は、次の将軍を一橋慶喜にしようと画策していて、公家や朝廷と繋がる太いパイプができないかと考えていました。
そして、斉彬の父・島津斉興の娘が、公家に近い存在だった近衛忠煕に嫁いでいた事をきっかけに、繋がりを持ちます。
当時、島津斉彬のもとで京都や江戸で働いていた吉之助は、近衛忠煕に近い存在だった月照とも出会うこととなったのです。
その時に斉彬に仕える吉之助と月照とは、ともに勤皇の志を持つ者同士として深い親交を結んだのでは、と言われています。
が、しかし実のところ、いつ頃月照と吉之助が出会ったのか…。
具体的な出会いのきっかけについては、はっきり解っていません。。。
なぜ吉之助は月照と抱き合って入水自殺したのか?
時は安政の大獄へ遡ります。
島津斉彬は、将軍継嗣問題で一橋慶喜を擁護し、井伊直弼と対立していました。
そんな時、島津斉彬が急死。
吉之助にとって人生の全てを懸けて慕うほどの師弟関係にあった斉彬の死に直面した絶望から、吉之助も後を追って死のうとしていました。
実際、吉之助の斉彬に寄せる想いは、そんじょそこらの愛情より深かったようです。
その時、説得して死ぬのを止めたのが月照と、言われています。
林真理子さん原作本『西郷どん』では、「私と寝はりませんか」と吉之助を優しく抱き、吉之助も決して嫌な気持ちはなく、受け入れ、生きる希望を持つ姿が描かれています。
ここから2人は、性別を超えた恋人同士とも呼べる愛情を持つ様になり、吉之助は月照のいない世界など考えられなくなります。
何もかも捨てたいくらい絶望して、ぽっかり空いた吉之助の心の穴を、月照は寄り添い共感して埋めてくれたのでしょう。
月照は心の優しい人だったのではないかと思います。
しばらくして月照は、勤皇運動に奔走する者としてすぐに幕府から追われる立場に。
この時、居ても立ってもいられず、吉之助は何とか月照を助けようとします。
そうして吉之助は、月照をかくまうため薩摩へ連れて行きます。
月照は薩摩に到着しますが、薩摩藩は斉彬の急死で藩政が揺れに揺れている時で、幕府を敵に回すのを避けるため、月照に「日向送り」を命じます。
「日向送り」というのは、隣国の日向国の国境を越えたところで殺す。という意味です。
そうなると、月照は殺される身。
吉之助は月照を助けられない自責の念にかられ、日向へ向かう錦江湾(=鹿児島湾)に浮かぶ舟上で、共に死を決意し、二人は海へ身投げをします。
暗く広い海の中。やっとの事で引き上げられた二人は固く抱き合っていたと伝わっています。
吉之助は何とか息を吹き返し、一命を取り留めましたが、月照は亡くなってしまいました。
この時吉之助の懐には、身を投げる前に二人で詠んだのであろう勤皇の志のことを詠んだ和歌を書いた紙が入っていました。
それから月日が流れ、成就院(清水寺 北総門)の門前に、月照17回忌に西郷隆盛が、月照を思い詠んだ詩を刻した石碑があります。
その内容は
といった事が書かれています。
吉之助がこの詩を詠んだ時、倒幕後の明治時代に入り日本は開国しました。
吉之助の無念な気持ち、哀しさ、申し訳なさ…など、色々な言葉にできない気持ちが複雑に心に刻まれているのが伝わります。
薩摩の稚児(少年)が、愛する男色文化があったという事は、この時代ではよく知られた話です。
海から引き上げられた時抱き合っていたのは、言葉で説明できない心の深い絆の証ではないでしょうか。
心の深い繋がりの先には性別という区切りは必要ないのだと感じました。
林真理子さん原作本の『西郷どん』では、月照との強い愛が描かれています。
原作では、衆道関係だった吉之助と月照ですので、普通に男女の恋人同士と同じ感情だった様に思います。
実際は、二人の間にどういった感情があったのかは謎に包まれています。
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