【西郷どん】の主人公、西郷吉之助の幼なじみ有馬新七役を演じるのは、増田修一朗さんです。
剣術の腕が優れていたという有馬新七の剣術さばきを、【西郷どん】で見る事は出来るのか?
今回は、その有馬新七について紹介したいと思います。
目次
有馬新七役を演じるのは増田修一朗!
『西郷どん』で、神影流剣術達人で朱子学学者、そんな文武両道で有名な、有馬新七を増田修一朗さんが演じます。
楽しみなんですけど、増田修一朗さんって、どんな人?って、思った人もいると思うので、ご紹介したいと思います。
増田修一朗さんは、身長184cmの長身イケメンですが、ちょっぴり強面なので悪役が多いんですが、深みのある演技に定評がある俳優さんです。
映画「クローズEXPLODE」「永遠の0」「図書館戦争」など多数の映画、ドラマに出演されています。
海外留学経験があり、英語は得意なんだそうです。
特技は、スキー、ラグビー、乗馬、殺陣、だそうですっ!!
殺陣(たて)が特技なんですねっ!!
まさに、文武両道!!
てことは有馬新七役って、増田修一朗さんにぴったりの役だったんですね〜。
今回の大河ドラマ『西郷どん』で、剣術の達人・有馬新七では、増田修一朗さんの剣術さばきに注目ですよ~!!
有馬新七は剣術の達人
大河ドラマ『西郷どん』で増田修一朗さんが剣術の達人 有馬新七 を演じます。
有馬新七といえば、文武両道、剣術の達人。
寺田屋で壮絶な死を遂げ、幕末に生きた志士!で、知られています。
有馬新七を語れば長くなる程の歴史はありますが、今回は文武両道の『武』にスポットを当ててご紹介したいと思います。
有馬新七は、薩摩藩伊集院郷の郷士 ・坂木四郎兵衛の子として、薩摩国日置郡伊集院郷古城村(現在の日置市伊集院町古城)で生まれます。
父が城下士の有馬家の養子となったので、新七もそのまま城下士となります。
そうして鹿児島城下の加治屋町に移住しました。
剣術は、剣の達人として有名だった薩摩藩伊集院郷の郷士・坂木六郎に、幼少期から神影流を伝授されました。
坂木六郎は、有馬新七のお父さんと兄弟です。
て事は、おじさんに教えてもらっていたのですね〜。
そして新七は、剣術をすぐに自分のものにして剣の達人となります。
新七は儒学にも秀でていて、19歳になると江戸に出て学問を学び、薩摩に戻った頃には、学問所や藩校で教育に携わります。
そして文久元年(1861年)には、造士館訓導師に昇進します。
素直で真面目な性格だったのでしょうね。
寺田屋事件での壮絶な最期
有馬新七は儒学などを学んでいく中で、
〝尊王攘夷〝の考えに染まっていきます。
そして、同じ加治屋町で育った西郷吉之助と大久保一蔵らとともに、〝精忠組〝を結成し、「安政の大獄」で弾圧を続けていた、井伊直弼暗殺計画に参加しようとします。
これが「桜田門外の変」です。
しかし、有馬新七は藩の許しを得ることができず江戸に行けなかったので参加していません。
その後、尊皇攘夷派志士たちは、薩摩藩の実質的なトップ である島津久光から、『兵を率いて上洛をする』と聞いていました。
尊皇攘夷派志士たちは、同じ〝尊皇〝の考えを持つ久光を、希望の星!的な感じで見ていたのですが、久光は〝尊皇〝では有りましたが、当時の久光の考えは〝倒幕〝ではなかったのです。
有馬新七たち尊王攘夷派の考える基本路線は〝倒幕〝です。
なので、ここが決定的に違うところだったのです。
かなり致命的な勘違いが発生してしまったわけです。
当時の孝明天皇は、事を穏便に進めたかったので、京都にいる尊王攘夷派志士 過激派たちを嫌っていました。
その為久光は、尊皇攘夷派志士たちの鎮圧を直に孝明天皇から頼まれます。
それを知った有馬新七達尊王攘夷派(精忠組)志士は、裏切られた気持ちになります。
自分たちが奉じる天皇から、久光が自分たちを討つように命令を授かるなんて!
やけ気味になった有馬達過激尊王攘夷派はどうにか島津久光に倒幕を決心させるため、関白や京都所司代を暗殺する計画を立てます。
この時、襲撃計画前に、有馬達過激尊王攘夷派が集まったのが、寺田屋です。
ここまでが背景になります。
それを知った島津久光は、
大久保一蔵(利通)や有村俊斎(海江田信義)など、精忠組の者を派遣して説得にあたらせますが、有馬新七らの考えは変わりませんでした。
そこで、島津久光は、同じく精忠組のメンバーで剣豪といわれる大山格之助(綱良)などを派遣し、「説得に応じなければ斬れ」と命じます。
有馬新七らはそれでも説得に応じず、精忠組の者同士が斬り合うことになったのです。
この事件が京都の寺田屋で起こったため、「寺田屋事件(騒動)」とよばれています。
(坂本龍馬が襲われた寺田屋事件とはまた別です)
ここからは、説得側を「鎮撫使」、有馬達側を「過激派」と称して、寺田屋事件の様子を表現してみたいと思います。
寺田屋に到着した奈良原喜八郎(鎮撫使)が有馬に面会を申し込みます。
(緊迫した状況)
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2階から橋口伝蔵(過激派)に「有馬はいない」と居留守を伝えられ、そんな訳はない!と、更に殺気立ちます
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森岡と江夏(鎮撫使)が、「早く計画を止めなければ。」と、力づくで2階へと向かいます。
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そこで柴山愛次郎(過激派)が応対する事になり、1階で面談することに。
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ここで、有馬新七、橋口壮介、田中謙助(過激派)が一階におりてきて議論になる。
(有馬が現れ議論が激化。しかし計画実行直前の有馬たちには、どんな説得も無意味で、かつ久光への裏切られた感情も高ぶっていました)
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奈良原喜八郎(鎮撫使)は同士討ちは避けたいと、とにかく有馬を説得。
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が、しかし「君命に従わぬか!」と、道島五郎兵衛(鎮撫使)が「上意!」と叫び、田中謙助(過激派)の頭を斬ったので、壮絶な同士討ちが始まる。
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山口(鎮撫使)が柴山愛次郎(過激派)を切り捨てます。
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有馬は、田中、山口(過激派)が斬られるのを見て辛抱できず、薬丸自顕流道島(鎮撫使)に斬りかかり、神影流対薬丸自顕流。
壮絶な斬り合いに…。
そこで刀が折れてしまった有馬は、道島に掴みかかり組み合い、壁に押さえつけます。
絶体絶命!
でも、そこで有馬新七は、仇を討つことを最優先に考えます。
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有馬は、近くにいた橋口吉之丞(過激派)に「オイごと刺せ!」と促します!
とにかく最期の決断。
仲間の仇と道連れ。
とっさの選択肢でした。
↓
橋口は、言われるがまま、二人を串刺しに…。
そんな悲しい出来事があり、尊い命を失うことになりました。
幕末に現れた薩摩の尊皇攘夷志士、有馬新七。
文武に優れ、純粋に自分の理想の国家を追い求めた38年の生涯。
同志の手により葬り去られてしまいますが、この事件により久光の朝廷からの信頼度はうなぎのぼりに。
そして、江戸に向かい幕藩体制の強化、要するに幕府の要職に雄藩の要人を就けることに成功し、久光の野望はある意味叶うことになるのです。
この結果について、薩摩の藩士たちや西郷隆盛(吉之助)は、どんな思いだったのか・・と思わずにはいられません。
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