【西郷どん】第3話『子どもは国の宝』で登場する中村半次郎(桐野利秋)の子役が中村瑠輝人君です。
そこから第27話で、大人になった半次郎は、人斬り半次郎と恐れられる人物となっていました。
さて、子供の頃に吉之助に助けられた半次郎の人生は、大人になってから、どんな運命となったのでしょうか。
本当にたくさんの人を斬り、『人斬り半次郎』と呼ばれていたのでしょうか?
目次
中村半次郎を演じる子役・中村瑠輝人
事務所の用事にて☺
最近やたらと寒くないですか⁉
暑いより寒いのが苦手みたい❓笑 pic.twitter.com/MQu6cdObFC— 中村瑠輝人 (@ruki_too) 2018年1月13日
【西郷どん】第3話『子どもは国の宝』で、芋泥棒として登場するのが、中村瑠輝人さんです。
キリっとした顔立ちで、かなりのイケメンですね。
では、中村瑠輝人さんのプロフィールを紹介したいと思います。
中村瑠輝人さんは、2004年4月20日生まれで、現在13歳。
東京都出身で、身長155cmです。
過去出演されていた番組は、2011年8月5日放送の『中居正広の金曜日のスマたちへ』で、タレントのユージさんがゲストとして、自分の生い立ちをVTRにてお伝えするという、恒例のコーナーですが、このユージさんの幼少期の役を、中村瑠輝人さんが演じています。
ユージさんはハーフなので、その幼少期を演じるって事は、やはり中村瑠輝人さんもハーフっぽい顔立ちだから選ばれたんだろうなぁと思いますね。
うんうん、ホント日本人離れした顔立ちですもんねー。
さて、そんな中村瑠輝人さんが演じる中村半次郎ですが、(中村繋がりじゃん!(^^) )【西郷どん】第3話『子どもは国の宝』でも解るように、幼い頃はとても貧乏でした。
それは、中村半次郎が10歳の頃、広敷座の下僚であった父が徳之島に島流しの罪にあい、更に実禄5石を召し上げられた事が原因でした。
中村半次郎(桐野利秋)とは
画像引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki
中村半次郎(桐野利秋)は、天保9(1838)年、鹿児島鹿児島市にて、城下士の中村与右衛門(桐野兼秋)の第3子、5人兄弟の3番目として生まれました。
10歳の頃、父の中村与右衛門(桐野兼秋)が島流しとなってからは、かなり貧しく18歳頃までは兄弟力を合わせ、特に兄・与左衛門邦秋を支えていました。
そして、半次郎が18歳の頃、兄の与左衛門邦秋が病気で亡くなり、それからは小作や開墾畑で家計を支えました。
半次郎が薩摩の二才時代(15歳~24歳頃の事)に、石見半兵衛に決闘を申し込まれますが、その決闘について、半次郎は異議を唱えています。
しかしその件依頼、半次郎は石見半兵衛郷中の士と親交を結ぶ事となり、その中で特に親しくしていたのは、弟子丸龍助(でしまる りゅうすけ)でした。
その弟子丸龍助ですが、寺田屋事件で亡くなっている一人です。
島津久光の派遣した鎮撫使の大山綱良によって斬殺されました。
この寺田屋事件は、薩摩藩同志討ちとなった悲惨な事件です。
中村半次郎は、これに直接は関わっていませんでしたが、知り合いや親しい人物が多く関わっています。
西郷と共に戦った西南戦争
中村半次郎は、長州藩邸にも出入りしているので、長州側の事情については良く解っています。
その事を西郷も理解していて、半次郎本人にも長州国許へ踏み込む意思を確認しています。
そうして、西郷は小松帯刀と相談し、半次郎を脱藩させて長州へ探索させる事にしましたが、藩境で止められ入国出来ませんでした。
そうした事から、西郷が半次郎に対して信頼していた。という事が伺えます。
西郷に対して信頼をおいていた坂本龍馬にも、半次郎は一目置いていました。
坂本龍馬が、薩摩藩邸で静養していた時期にも、半次郎は毎日のように見舞いに行っています。
そういった事もあり、坂本龍馬からも主要薩摩藩士の一人として信頼されていました。
そして中村半次郎(桐野利秋)は、西南戦争で、西郷たちと共に出兵します。
中村半次郎(桐野利秋)は、4番大隊指揮長となり、総司令を兼ねました。
最期は、城山で西郷は流れ弾に当って切腹を覚悟したのち、別府晋介の介錯により亡くなります。
その別府晋介も、自決しています。
中村半次郎(桐野利秋)は額を撃ち抜かれ、結局、戦死となりますが、最期は政府軍とかなり激しい戦いになったようです。
大河ドラマの中では、少年時代に中村半次郎(桐野利秋)は西郷吉之助と出会う設定になっています。
この出会いが後の伏線となる。。。といった感じのストーリーです。
吉之助に世話になった半次郎が、どんな風に吉之助の前に登場するのか?
半次郎は人斬りと恐れられているけど、人斬りと呼ばれる、どんな行いをしてきたのか・・・
その辺りもすごく気になりますよね。
中村半次郎は人斬りと呼ばれる行いをしてきたのか?
浪士が集まったあの『新撰組』も恐れると言われる薩摩の剣術『薬丸自顕流(やくまるじげんりゅう)』。
中村半次郎も薩摩の剣術『薬丸自顕流』を学び、その中でもトップクラスの腕前だったそうです。
警護の役割をしていた『新撰組』は、剣術の達人たちを集めていますし、集団で斬りつけるイメージもあります。
そんな新撰組が恐れる『薬丸自顕流』というのは、一撃必殺の精神を尊ぶとされています。
というのは、つまり責めだけ!守りなし!という剣術なのです。
敵に先制を仕掛けられたら、先に相手を斬るか、相手の攻撃を自分の攻撃で叩き落とすかで対応するという、ゆわば、防御のための技は一切無いのです。
猛烈なスピードで攻めて、もう相手を切るしかない剣術で、抜即斬(抜刀がそのまま斬撃となるという意味です。)で、刀を腰に差した状態からの電光石火の斬り上げは、かわすのが困難だったと云われています。
その薬丸自顕流を使う剣士の中でも、中村半次郎の腕前は格段に上でした。
思うに貧困さゆえ、剣術の腕前を研く為に必死で稽古をしていたのではないでしょうか。
薬丸自顕流の稽古は、横に倒れている細木をまとめたものを、ひたすら打ち続けるものだったと言います。
(大河ドラマ『西郷どん』でも、『えぃやー!』と、バシバシ練習していましたよね。^^;)
とっさの時には『守る』という動きではなく、相手を反射的に斬りつける。。。という事に繋がる剣術なのでしょうね。
そんな薬丸自顕流の達人だった中村半次郎が『人斬り半次郎』と呼ばれる位ですから、漫画の『るろうに剣心』の様に、何百人と斬っていたのだろう。。。と思ってしまいますよね。
しかし中村半次郎は、斬って斬って斬りまくった。。。という訳ではありませんでした。
半次郎は、薩摩の京都に私塾を開き、英国式兵学を教えていた赤松小三郎を斬った事で、『人斬り半次郎』という、恐ろしい呼び名がつけられたようです。
半次郎は、赤松小三郎の門下生だったにも関わらず、暗殺した事で、周囲から『半次郎は、自分が思い込んだら相手を斬る』という印象を与えたと言います。
半次郎自身は、赤松が薩摩の軍事機密を幕府と朝廷に流し、結果には幕府のスパイだから斬ったと言っていた様ですが、黒幕がいたのでは?とも言われているようですね。
赤松を斬る事については、半次郎が尊敬してやまない西郷にも相談したようですが、もちろん却下されていました。
一度自分が決めた事はやり遂げないと気が済まなかったのでしょうか?
赤松の暗殺事件により半次郎の印象は、手がつけられないという意味で『人斬り半次郎』と呼ばれる事となってしまいました。
しかし、赤松暗殺の事件については、はっきり解っていない部分もあった様ですので、なぜ半次郎がそこまで突っ走ってしまったのか?何か他に理由があったのかも?とも思ってしまいます。
大河ドラマ【西郷どん】あらすじ(ネタバレ)1話~最終回まで!