細川忠興(ほそかわ ただおき)は細川藤孝の息子で、足利将軍家に仕え、信長 & 秀吉 & 家康「戦国三英傑」に仕えた武将です。

大河ドラマ『麒麟がくる』は、明智光秀が主人公。

明智光秀に関わる人物として登場するかもしれないですね。

 

正室は、明智光秀の三女・珠(細川ガラシャ)。

性格は、穏やかから程遠い天下一短気だったとも言われる細川忠興。

 

短気な夫だと夫婦仲がギスギスしていたのでは?と想像してしまいますが・・

そんな妻・ガラシャへの愛情や、彼の性格について、見ていきましょう。

 

 

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目次

細川忠興は短気な性格だった?

 

画像引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki

 

細川忠興は、1563年(永禄6年)生まれの戦国大名です。

細川忠興の父・藤孝もまた室町幕府に仕え、15代将軍・足利義昭の擁立に尽力しています。

 

足利義昭と庇護者である織田信長が対立をするようになると、細川家は織田信長に仕えるようになりました。

 

さて、そんな細川忠興ですが性格はかなり短気だったとか、嫉妬深いとか、執念深かったとか、色々言われていますが、本当のところはどのような人物だったのかと見ていきたいと思います。

 

宣教師フロイスは細川忠興のことを「日本一気が短い大名」と書いています。

他にも書くことはあったであろうと思いますが、何よりも印象に残って書き残す程の短気な人物だったようですね。

 

短気だったといわれるエピソードは他にもあって、家臣を自ら手討ちにした数が多いとか、家臣の再就職を妨害した(家臣に「奉公構え」の処罰を与えたことがある)とか。

 

気が短く、怒るととことん追い詰めるって感じだったようですね。

でも、その反面、面倒見が良かったというエピソードも残されていて、室町将軍家に仕えていた家臣らが、窮迫していると 自分の家臣として引き受けたそうです。

 

他にも利休が切腹した時に、自らの危険を顧みずに利休を見送った。という逸話とか…。

兜製作はもちろんですが、築城に関しても優秀だった。とか…

 

あとは、「三斎流」(茶の流派)の創始者。とか。

息子に手紙を出して返事がない事に激怒した。とか…。

 

しかも、返事の花押(サイン)が整っていないと書き直しさせたなど、作法礼法には厳しかったそうです。

 

このように、色々な逸話エピソードから推測するに、短気で少々ややこしいというか、面倒臭いようにも感じますが、ちゃんとしている人物だったことは間違いなさそうです。

細川忠興に気に入られると逆に、すごく大事にしてくれそうですし、いい関係性を築き力になってくれそうですね。

 

妻・ガラシャとの仲は?

 

妻・ガラシャとの仲は?

 

細川忠興の妻は、絶世の美女と名高いガラシャ(明智光秀の娘の「玉」)です。

歴史にあまり詳しくない方でも、このカップルの名前は聞いたことがあるのではないでしょうか。

 

当時(戦国)は、女性の地位はすごく低かったので、有名な武将や大名の正室であっても詳しい生涯は分からないことのほうが多いものです。

 

ガラシャがキリシタンだったという事もありますが、細川忠興とガラシャ夫婦のことは、日本を訪れていた宣教師たちの本国に、書き送られた書簡に記述が残っています。

 

では、さっそく細川忠興と妻・ガラシャとの仲はどうだったのか見ていきましょう。

 

細川忠興とガラシャ、二人が結婚したのは16歳(同じ歳)。

恋愛結婚ではなく、織田信長の命令によって結ばれました。

 

結婚前から家族ぐるみの付き合いがありました。

・・・が、その一方で、あまり仲良くなく対立関係にもあったとも言われていますが、夫婦生活はうまくいっていたようで、子宝にも恵まれています。

 

しかし、1582年(天正10年)「本能寺の変

父・明智光秀が謀反を起こし生活は一変。

 

明智家は一気に窮地へ。

細川家は、「謀反人の娘が正室」という立場に置かれてしまったのです。

 

細川家は、織田の家臣。

立場上、この現状でいることは得策ではないので、細川忠興は妻・ガラシャを「味土野」という京都のはずれに幽閉しました。

 

この時ガラシャは、恨みの手紙を父宛てにしたためています。

父上の腹黒いお心のせいで、私は夫の忠興に捨てられてしまいました・・・。

 

父の謀反で自分の立場が危険にさらされたことへの強い恨みのようにも感じますが、「捨てられた」なんて言葉を見ると、忠興を愛していたからでてきた言葉のように感じます。

 

一説では、この時に自害を考えたそうですが、まだ子どもが小さかったので、思いとどまったと言われています。

そうした生活は、その後2年程続きましたが、その間に細川忠興が別の正室を迎えることはありませんでした。

 

そうしてほとぼりが冷めたころにガラシャは、細川忠興の元へ戻る事を許されたようです。

 

このエピソードに夫婦愛を感じますが、仲は良かったのかというと、あまり良くなかったと思われる逸話が残されています。(「細川家記」↓)

 

・「一人の下僕がガラシャの元を訪れようとした。忠興はこの下僕を手打ちし、出血。その血をガラシャは着ていた小袖で拭うと、ガラシャは全く動じることなくその小袖を三、四日着ていた。見かねた忠興がガラシャに謝罪。ガラシャはようやく小袖を脱いだ」

 

・「屋敷の屋根を修繕していた人物が誤って屋根から落ちた。忠興はその人物の首を刎ね、ガラシャに投げつけたが、ガラシャは全く動じず」

 

などなど、他にも忠興の奇行に動じないガラシャの姿が度々登場するそうですが、真実かは分かりません。

 

それでも、家記は、通常は主君や家の功績を書き残すものなので、これらの内容は少々異彩を放っているといえます。

 

1600年(慶長5年)「関ケ原合戦」

石田三成は、細川家を西軍に引き入れる為、ガラシャを人質に取ろうと計画します。

 

しかしガラシャは、忠興に人質となるのを禁じられていたので、攻め入ってきた三成軍を前に自害しました。

ガラシャが亡くなり虚無感に襲われた忠興は、ガラシャが攻められた時の家臣に激怒しています。

 

ほんの少しですが、二人の逸話を紹介しただけですが、忠興は、ガラシャを愛していたのではないでしょうか。

(色々な史料を参考にした個人的見解ですが…。)

 

それに「本能寺の変」のときにも、見捨てなかったし、新しく他の正室を迎えることもしなかったというのは、当時にすれば、かなり不思議。

というか、珍しい選択だと思います。

 

自分の立場を良くするために行動するのが当たり前の、生きるか死ぬか戦国の世。

これには、深い愛情を感じずにはいられません。

 

他にも、細川忠興が九州に赴いているとき、大坂にいたガラシャに、「秀吉になびくなよ」といった内容の和歌を送った。

という逸話が残されています。

 

これは、ラブレターに他ならないですよね。

愛がなければ書かないですよね。

 

色々な史料を読んでいると感じ取れる、忠興のガラシャへの愛。

でも、ガラシャは忠興に対して愛情ある逸話が、残されていません。

忠興程は、愛してなかったのかもしれません。

 

ガラシャは夫・忠興のことを「引くことを知らない人」と評しています。

ガラシャがカトリックになって司祭へ頻繁に話していた内容に「忠興と離婚したい」という内容の相談がありました。

 

カトリックでは原則、離婚が認められていないので、教義に反しない形で離婚できる方法を探していたのではないか。ということですが、「司祭はガラシャを説得するのが大変に難しかった」と書き残しています。

最終的にガラシャは離婚を諦めています。

 

忠興は、家臣でも男性には会わせなかったそうで、ガラシャの外出も許さなかったそうです。

美女として名高い妻ガラシャなので、よっぽど心配だったのでしょうね。

 

夫婦のことは夫婦にしかわかりませんが、これらの逸話を見る限り、忠興に愛されたガラシャの思いや考えを、この時代には珍しく実現させてもらえてるということです。

仲がいいとか悪いとか、そんな簡単な言葉では表現できない夫婦の絆を感じますね。

 

「本能寺の変」が起こった後

 

「本能寺の変」が起こった後

 

明智光秀の娘の玉(のちのガラシャ)は、信長の命令で細川忠興と結婚し、長女の「長」と長男の「忠隆」の二人の子が生まれ、順風満帆な日々を送っていましたが、父・明智光秀が起こした大事件。

本能寺の変」で、一変しました。

 

明智光秀は「山崎の戦い」で羽柴秀吉に敗れ、敗走中、落ち武者狩りに襲われ自害しています。

ガラシャは謀反人の娘となり、忠興は、自領の山奥にガラシャを幽閉しました。

 

この時に、ガラシャを支えたのが、清原マリア(後にガラシャがキリシタンへ改宗した時に洗礼を授けた女性)という侍女。

幽閉生活は二年続き、ようやく秀吉に許され、忠興との復縁が許されました。

 

1600年(慶長5年)「関ケ原の戦い

この戦は、豊臣秀吉亡き後の権力争いです。

石田三成 VS 徳川家康

 

夫の忠興は徳川家康に味方しました。

石田三成は、家康に味方した武将らの妻を人質に取る作戦にでました。

 

ガラシャもその対象となりましたが、ガラシャは人質となることを断固拒否。

屋敷から一歩も出ようとしませんでした。

 

三成はしびれを切らし、忠興不在の隙を突いてガラシャの屋敷を取り囲みましたが、ガラシャはなおも拒み続けます。

しかし逃げられぬことを悟ったガラシャは、自害を決意しました。

 

ガラシャは、神のいる天国への道を選択したのです。

しかしキリストでは、自ら命を絶つことは禁じられていたので、ガラシャは家臣に命じ、刀で胸を突かせ、短い生涯を閉じました。

 

享年37

明智家の娘であり、細川家の正妻であり、キリストの教えを守る熱き信仰者であったガラシャは、誇り高きプライドを最後まで示し続けました。

 

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