2020年大河ドラマ【麒麟がくる】のあらすじ(ネタバレ)です!
牧を美濃へ連れて行き、伝吾とも再会した十兵衛。
そして美濃を平定した信長から、自分に仕える気はないかと言われた十兵衛は・・・
では、第26話のあらすじ(ネタバレ)いってみよ~!
【麒麟がくる】26話あらすじ(ネタバレ)足利義栄 将軍の座に着く
足利義輝亡き後、14代将軍の座に就いたのは、四国の足利義栄だった。
しかし義栄は、重い病の為動けなくなり、摂津の国に留まっていた。
京は、三好一族・三好長逸、三好宗渭、岩成友通らが牛耳っていた。
その頃、近衛前久は、義昭の元服の儀を取り次いだ二条晴良らに、摂津に留まっている義栄について、困った質問を投げかけられていた。
それは、足利義栄が京に上ってこないのは病ではなく、三好一族の操り人形にされる事を嫌がっているのではないか?という話だった。
三好一族の評判も悪いうえ、担ぎ上げた将軍は京に来ない。
二条晴良は、前久がこの不始末を招いたと言い、関白の座に留まって良いものなのか?と問いかけてきた。
同じ公家の立場である二条家は、近衛家を敵対していたので、この状況を機に近衛前久を責めてきたのだ。
前久は、この状況を伊呂波太夫に相談した。
二条晴良の取り付ぎにより、義昭が元服の儀を行いたいと朝廷に願い出ると、帝はそれを許した。
すると帝から、越前に行って、義昭に帝の意思を伝えよと命じられた。
これも二条晴良の嫌がらせだと前久は言った。
そして、自分の代わりに行って欲しいと前久は伊呂波太夫に頼んだ。
永禄11年、朝倉義景が烏帽子親、そして二条晴良が見届け役となり、足利義昭の元服の儀式が行われた。
こうして武士となった義昭を上洛させる為、十兵衛は、各大名たちの現状を左馬助に調べさせた。
越後の上杉輝虎は、自国の戦により上洛どころではない。
近江の六角は、美濃から逃げた斎藤龍興を囲っており、最近は三好の者が出入りしているという。
やはり、越後の朝倉義景と美濃・尾張の織田信長が一番頼りになる大名だ。
十兵衛らが考え込んでいるところへ、朝倉家の家老・山崎吉家がやって来た。
それは、明後日に義昭の元服祝いの宴を開くので、十兵衛にも出席して欲しいという話だった。
一度は断った十兵衛だったが、伊呂波太夫も会いたがっていると言われた。
それに朝倉一族全員が、義昭の上洛を望んでいる訳ではない。
余計な戦に巻き込まれるのは嫌だと、思っている人間も多いという事も念頭に入れ、十兵衛にはぜひ宴に参加して欲しいと山崎は言った。
そうして結局、十兵衛も出席する事となった。
宴には、足利義昭の側近達、三淵藤英、細川藤孝、朝倉の家臣ら、そして伊呂波太夫がいた。
その宴の途中、義景のいとこ・朝倉景鏡が、足利義昭の上洛について、突然、異を唱えた。
景鏡は、義昭が元服した事については、祝いの言葉を述べたが、上洛について物申したのだ。
上洛するという事は、三好一族と戦になり、それに勝つ必要がある。
上洛は簡単ではない。と言う景鏡に対し義景は、
「上杉、六角、織田、松永がともに上洛すれば、三好など京から追い出せる。」
と豪語する。
すると景鏡は、
「上杉は戦の最中、六角は三好と繋がっているではないか。」
と言い、近隣国を最近よく調べていると聞く十兵衛に、意見を求めた。
十兵衛は返事に困ったが、義景に今日は無礼講と言われたので、自分の意見を述べた。
事前に大名たちの現状を調べていた事もあり、十兵衛は景鏡の意見に同意した。
そして、
「これから戦に向かおうとする国は、武将や兵が物を買い漁る為、市場から物が無くなってしまいます。しかし、この一乗谷には物があふれ、全くその気配がありません。」
と続けた。
義景がそのつもりでも、皆が動かなければ戦にはならないし、上洛して戦をするなど論外だと、十兵衛は言い放ったのだ。
それを聞いた義景は、
「いざとなれば朝倉だけでも上洛してみせる。」
と言い、伊呂波太夫に舞を命じた。
その伊呂波太夫の舞が、不穏になった空気を変えてくれたのだった。
その後、廊下に出た十兵衛の前に、伊呂波太夫がやって来た。
伊呂波太夫は
「義景様では、幕府と将軍家を支えられません。」
と言い、上洛に関しては十兵衛が先頭を切って進めた方が良いと、十兵衛の背中を押した。
しかし、自分には乗る船が見つからない。と十兵衛は言う。
そんな十兵衛に伊呂波太夫は、朝倉は不要。織田信長が動けば敵うものなしだと帰蝶が言っている。と伝えた。
後日、十兵衛は岐阜城(元の稲葉山城)へ向かった。
信長に会った十兵衛は、義昭を連れて上洛して欲しいと言った。
悩む信長に十兵衛は、近江の六角については、美濃と尾張の軍勢を集めれば何とかなる。と言った。
それに京の方は、三好軍が松永久秀と戦をしている最中なので、守りは手薄。今が好機ですと、信長の背中を押したのだった。
すると信長は、
「マムシが言う、大きな国を作るのか・・・・足利義昭様を、この美濃にお連れせよ」
と、力強く言った。
それを見た十兵衛の目は輝いていた。
そして十兵衛は、義昭に事の次第を伝えに行った。
しかし美濃へ行けば、せっかく共に上洛すると言った朝倉義景の面目を潰す事になる・・・
何れにせよ、朝倉を取るか織田を取るか・・そういう事か?と三淵藤英が言う。
すると十兵衛は
「織田様は、腹をくくれば動きが早いお方。朝倉様は、まだ一族をまとめきれていない様子なので、共に動くには無理があるかと。」
そんな十兵衛の言葉を聞いた義昭は
「私は美濃へ行く。そなたを信じよう。」
と言った。
その夜、十兵衛は上洛に関しての出来事を煕子に伝えた。
こうなった以上、朝倉の怒りを買う事は間違いない。下手をすれば罰せられるかもしれないと十兵衛は煕子に言った。
そうなると越前に残された煕子たちの居心地も悪くなると十兵衛は言い、美濃へ戻る事を勧めた。
自分は信長と共に京へ行くと言った。
子供たちにも十兵衛のふるさとを見せてあげれる・・・と煕子は、美濃へ行く決心をした。
2日後、朝倉義景は細川藤孝が持って来たという文を読んでいた。
その文には越前を出て、美濃へ行くと義昭の直筆で書かれていた。
文を読んだ義景は激怒した。
後日、三淵らが挨拶に来ると山崎吉家から聞いた義景は、
「何の挨拶だ!私を笑い者にする挨拶か!」
と怒り心頭となった。
そして、国境を兵で固め、誰一人外へ出してはならぬと義景は言った。
更に
「上洛出来るかどうか思い知らせてやる・・・
この文はもののけが書いたゆえ、打ち捨ててくだされと頭を下げるまで許さぬ。
義昭様とはいえ、金輪際会わぬと申し伝えよ!」
と義景は、山崎吉家に文を破り捨てながら言い放った。
その夜、三淵藤英が朝倉景鏡を訪ねた。
そこには山崎吉家もいた。
三淵は景鏡に、義景の上洛は難しかったが、今後、朝倉一族との関係を上手くしていきたいと言い、それには協力が必要だと願い出た。
上洛に反対していた景鏡も三淵の意見に賛成し、それを見た三淵は、何かを企む様な表情を浮かべていた。
朝、朝倉義景の館で、嫡男の阿君丸(くまぎりまる)の食事の毒見役が倒れた。
側で毒を入れたと思われる侍女が、毒見役が倒れた事を周りに知られない様にした為、食事は阿君丸の元へ届けられた。
そして、毒が入った食事を食べた阿君丸は亡くなってしまい、義景は深い悲しみに打ちひしがれた。
深い悲しみに陥った義景は、心身ともに抜け殻になってしまった。
一ヶ月後、三淵藤英が翌日美濃へ向かう挨拶の為、朝倉義景のもとへやってきた。
義景は三淵に、阿君丸の弔いの儀に義昭がやって来た事について礼を述べた。
ただ、織田信長ごときが足利義昭を連れ、上洛出来るか見ものだと、義景は一言嫌味を言った。
翌日、十兵衛は美濃へ向かう準備をしていた。
迎えに来た細川藤孝に、朝倉義景に挨拶に行こうと思っていたが、山崎吉家に今はやめておけ。そのままそっと去る様に言われたと伝えた。
そして永禄11年7月、足利義昭一行は、美濃の織田信長のもとへ向かった。
ついに足利義昭が元服を果たしました。
そして朝倉義景が烏帽子親となって、元服の宴を開きます。
十兵衛は、宴に参加していた伊呂波太夫から、上洛の際に力になる大名は信長だと聞かされ、信長のもとに向かいます。
そして十兵衛は、京は松永と三好勢が戦をしている今が好機だと信長に上洛を勧め、信長の心は決まります。
永禄11年、十兵衛は義昭一行と共に信長のもとへ向かったのでした。
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