大河ドラマ『麒麟がくる』で、少々癖のある将軍・足利義昭(一乗院 覚慶いちじょういん かくけい)が登場します。

演じるのは滝藤賢一さん!

 

足利義昭の人生はなかなかの波乱万丈さです。

色々なエピソードの中で、気が小さくワガママな性格が仇となった。なんて言われていますが、どうだったのでしょう。

さっそく見ていきましょう。

 

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目次

『麒麟がくる』滝藤賢一が足利義昭を演じる!

 

『麒麟がくる』滝藤賢一が足利義昭を演じる!

画像引用元:https://www.talent-databank.co.jp/search/t2000055865

 

麒麟がくる』で、室町幕府最後の将軍・足利義昭を滝藤賢一(たきとうけんいち)さんが演じられます。

 

滝藤賢一さんは、名前と顔が一致しない方もいるかもしれませんが、顔を見たら「見たことある〜」となる俳優さんではないでしょうか。

ドラマや映画で活躍されてますからね。

 

結構話題作にも出てもおられて、少しご紹介すると、「半沢直樹」「東京独身男子」「半分、青い」などなど。

個性的な演技で魅了されます。

 

今回、大河ドラマ『麒麟がくる』では、個性的な足利義昭役を演じられるということで、適役だと思います。

楽しみですね。

 

室町幕府最後の将軍 足利義昭(一乗院覚慶)

 

室町幕府最後の将軍 足利義昭

https://ja.wikipedia.org/wiki

 

室町幕府15代最後の将軍・足利義昭は、1537年に12代将軍・足利義晴の次男として京都で誕生しました。

 

家督争いにならない為に、将軍候補以外は強制出家。という足利将軍家の慣習にならい、6歳から仏門に入り修行に毎日励んでいました。

 

そして「覚慶(かくけい)」と名乗り「一乗院門跡(いちじょういんもんせき)」になります。

 

一乗院覚慶(いちじょういん かくけい)という僧侶として生活を送っていましたが、1562年、兄・足利義輝が、三好三人衆に殺害され、この時から足利義昭の人生はがらりと変わっていくのです。

 

義昭も命を狙われ監禁されますが、側近達の活躍で脱出し、近江国屋島村にて還俗し、将軍家の当主宣言をしたのです。

(還俗(かんぞく)→僧が俗人にかえること。)

 

そして近江の六角義賢、越後の上杉謙信らを中心とした大名に協力を仰ぎますが、三好側の勢力が反撃に出たので失敗。

すると義昭は、越前の朝倉義景を頼り、越前に落ち延びます。

 

三好氏はここぞとばかりに、義昭不在の隙に義栄(よしひで)を14代将軍の座に就かせます。(義昭の遠戚)

 

さて義昭の方はと言いますと、越前に落ち延びましたが、朝倉義景が上洛する様子がないので、朝倉の家臣・明智光秀の警護の下、尾張の織田信長を頼ることにします。

 

・義昭→信長の武力に守られたい。

・信長→将軍義昭の権威を利用したい。

 

すると上記の様に、互いの利害が一致。

また、この頃、将軍・義栄が病死しているのも好都合に働きます。

 

信長は三好氏の勢力を一掃。

色々なことが重なり、義昭は第15代将軍に就任しました。

 

そうして義昭は、織田信長に擁立された事によって将軍になれたわけですが、良いと思われた二人の関係は、長くは続きませんでした。

二人の思惑にはズレがあり、徐々に対立関係になるのです。

 

その後、諸国の有力大名ら(本願寺、浅井長政、朝倉義景、武田信玄)は、「信長包囲網」を敢行。

織田家を追い詰めましたが、武田信玄の死などもあり、包囲網はあえなく崩壊。

 

1573年 足利義昭は織田信長に京都から追放されてしまうのです。

追放されても、征夷大将軍の地位は捨てずにいました。

 

義昭が、四国の有力大名・毛利氏を頼って安芸に逃れていた頃、織田信長は明智光秀に本能寺で討たれ、政権は豊臣秀吉へと移ります。

 

秀吉が天下人になると、足利義昭は朝廷に征夷大将軍の地位を返し、再び仏門に入ります。

同時に京都へ帰還することを許され、「准三后(じゅさんぐう)」という位を朝廷から授けられました。

 

これは、皇后に継ぐ位にあたり、足利義昭にとって悪くない待遇でした。

それに秀吉からは、一万石の領地を与えられています。

 

そして義昭は、秀吉のお伽衆にも名を連ねていて、秀吉の話し相手にもなっていたとか。

慶長の役の時には秀吉の希望で名護屋城まで参陣しました。

(現在の佐賀県唐津市)

 

しかしその年、義昭は遠路の参陣で、腫れ物が悪化し大坂で亡くなりました。

61歳。

歴代の足利将軍の中では一番長生きでした。

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織田信長との関係からみる足利義昭の性格とは?

 

織田信長との関係からみる足利義昭の性格とは?

https://ja.wikipedia.org/wiki

 

足利義昭は、信長のおかけで第15代将軍に就任しました。

信長のことを「」と呼び、室町幕府は信長の協力関係の下、動き始めましたが、信長の狙いは将軍を利用し、信長が武力で天下統一することでした。

 

なので、義昭は何もせず黙って将軍として存在しているだけで良かったのです。

なのになのに当の義昭は、じっとしいられない性格で、あれやこれやと色々と行動します。

 

そんな義昭に、信長は

 

・「殿中御掟」

・「17条の意見書」

 

を出し、将軍の動きを制限します。

 

この意見書とは、批判文。

まぁ〜ダメ出しです。

このことが2人の関係を完全に絶った。とされています。

 

義昭が目指していたのは、将軍による幕府の専制政治。

なので、この信長の行動に不満を抱き、手紙を「御内書(ごないしょ)」本願寺、武田信玄、朝倉義景など有力武将に下し、「信長包囲網」を構築して挙兵しました。

 

しかしすぐに鎮圧され、京都から追放されます。

これらにも色々な説があり、足利義昭がわがままだったからではないか。という説もあります。

 

わがまま逸話も結構残されているので、少しご紹介すると、

 

・欲しい刀を取り上げる。

・神社の敷地を勝手に没収。

・名馬と聞くと「差し出せ」とねだる。

・集金したお金を幕府の為につかわない。

などなど。

 

次男で、初めは家督を継ぐなんて本人も思っていなかったのでしょう。

そんな状況の中、のんびりすごしてきて、将軍としては少々気が小さい…。といった感じになったのでは?とも思います。

 

とはいっても将軍家ですし、ちやほやされてきて、少々ワンマン&わがままなおぼっちゃまくんだったのかもしれません。

 

やり方はどうであれ、京都に帰還するんだ!とか自分の中で思ったことは、諦めないところなんかは、なかなか骨のある人だと思いますね。

 

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