大河ドラマ『麒麟がくる』で、正親町天皇(おおぎまちてんのう)が登場します。
正親町天皇が生きた時代は、織田信長と同じ戦国時代。
この二人の関係はどのような関係だったのか見ていきたいと思います。
正親町天皇役を演じられるのは、坂東玉三郎さん!
では、さっそく見ていきましょう。
目次
坂東玉三郎が正親町天皇を演じる!
画像引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki
正親町天皇は、「天皇」というより「政治家」といった方があっているかもしれません。
正親町天皇は、色々駆け引き手腕を発揮してくれる、ちょっとこれまでの天皇とは違うタイプです。
天下統一を目指す力のある戦国武将たちと関係を持つ事で、天皇家の権威のちょこっとおすそ分けをして、天皇家は
・寄付
・御殿の修理
などを頼み持ちつ持たれつの関係をもち、天皇家を復活させる作戦をあみだしました。
そんな、正親町天皇役を演じられるのは、歌舞伎役者の坂東玉三郎さんです。
坂東玉三郎さんは、歌舞伎界を背負って立つ方で、女形はとても評価されています。
梨園の方かと思いきや、生家は料亭。
小児麻痺のリハビリに舞踊を習っていたそうなのですが、その時に舞踊の魅力にはまったそうです。
そこから、現在に至るのですごいですよね。
しかもバレエもされていて、実力はプロ並みで、趣味はダイビング。
と、なんだか歌舞伎から離れましたが、とにかく希有です。
歌舞伎以外にも舞台、映画、ドラマ、映画監督、CM…。と、実に多才で、書ききれない程。
受賞歴もあってすごいなぁー。と経歴を見るとその一覧の多さに見とれますよ。
歌舞伎に興味がない方も今回、大河ドラマで坂東玉三郎さんの魅力に惹かれる方多いのではないでしょうか。
正親町天皇と織田信長の関係
織田信長と正親町天皇の関係を一言で語るのは難しいのですが、簡単に言うとすれば、「持ちつ持たれつ」ってとこでしょうか。
織田信長にとって、第106代・正親町天皇は、時代をともにした人物の一人です。
当時、織田信長は、弟の信行との後継者争いに決着をつけ、武田信玄、上杉謙信が川中島で3回目の合戦を始めていた頃、信長は勢力拡大を図るため、天皇の権威を利用することを考えていました。
「応仁の乱」以降、地方からの税にも限りがあり、朝廷は常に貧窮状態。
代々受け継いできた儀式も中止する事が度々ありました。
そうして幕府の権威自体が、地に落ちていったのです…。
そんな時、1557年(弘治三年)10月27日、後奈良天皇の崩御の為、皇位を受け継いだのが正親町天皇です。
もちろん、こんな状況なので即位の礼を行えず…。
そこから4年がたったある日、
「厳島の戦い」に勝利し、大内氏を滅亡させ…。と、上り調子中!の毛利元就が費用を出してくれた事で、即位の礼を行う事ができたのです。
正親町天皇はこの時、毛利元就を陸奥守に任じ、「桐菊の紋」を与えています。
織田信長はというと、足利義昭を奉じて上洛。
この時、正親町天皇は信長に対して
「京の人々に危害を加えないように、軍の規律を保つように。」と伝えています。
そして信長軍はその言葉通りの行いをし、京の人々からの評判は良かったそうです。
その後、信長は上洛すると、第15代室町幕府将軍・足利義昭との関係が悪化。
天皇家へは、
・皇室御用地や公家の領地回復
・紫宸殿や清涼殿の修理
・借金返済に困った公家のための徳政令を発布
など、援助しました。
正親町天皇は、織田信長の台頭に
・ご褒美の綸旨((りんじ)天皇の意を伝える奉書)
・官職
を与え、それと引き換えに財政援助を引き出そうとしていました。
文面にすると、一見、フィフティーフィフティーな持ちつ持たれつ的な関係にもみえますが、実は正親町天皇から何度も無心され、信長は業を煮やしていたのです。
そして誠仁親王の元服費用を求められた時に、質のわる〜い悪銭を進上して「抗議の意を示した」という逸話が残されています。
1574年(天正2年)
「蘭奢待(聖武天皇の遺宝とされる香木)切り取り事件」
蘭奢待は、東大寺正倉院に収蔵され、「天下第一の名香」と謳われ権力者に重宝されていました。
そこで信長は、自身の権力を誇示すべく、蘭奢待を切り取る勅許を正親町天皇に求めたのです。
正親町天皇は、「聖武天皇の怒りが天道にまで響く」と怒りましたが、最終的には許さざるをえなかったそうです。
しかも、信長の要請に応えて、石山本願寺と毛利を和睦させています。
有力武将や寺社との円満な関係を築くには、全方位に配慮する事・・・
結局は、こうするしかなかったのかもしれません。
そして、信長は正親町天皇に度々、譲位するよう求めるようになったのです。
やがて正親町天皇は信長を、
・太政大臣
・関白
・征夷大将軍
のいずれかに任命し、良好な関係を維持すべく決意を固めるようになりますが、信長は「本能寺の変」で討たれてしまいます。
正親町天皇と信長の関係が、徐々に壊れつつあった矢先の出来事だったので、「本能寺の変」の黒幕だったのでは?といった説もあります。
そして、信長を討った明智光秀を破った豊臣秀吉を関白に任じ、正親町天皇は孫・和仁(周仁・後陽成天皇)親王に皇位を譲り、上皇となりました。
先の天皇が亡くなり、状況的に財政は厳しく、天皇の権威もなかった状態で引き継いだ正親町天皇は、織田信長や力ある戦国武将との連携を保ち、天皇家の地位を回復させたというわけです。
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