今井宗久は日本で最初の武器商人で、堺の豪商&茶人として知られる人物です。

その、今井宗久が今回の大河ドラマ『麒麟がくる』で登場します。

織田信長と武器商人はどのような関係があったのか人物と合わせて見ていきましょう。

 

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今井宗久役を陣内孝則が演じる!

 

今井宗久(いまい そうきゅう) 役

画像引用元:https://www.vip-times.co.jp/?talent_id=M93-1712

 

大河ドラマ『麒麟がくる』で、今井宗久(そうきゅう)が、ドラマの後半戦「京〜伏魔殿編」に登場します。

役を演じられるのは、最近、白髪ヘアーがとてもお似合いで素敵な俳優の陣内孝則さん。

 

今井宗久は、戦国時代、堺の豪商&当代髄一の茶人の1人として知られる人物です。

陣内孝則さんは、大河ドラマファンにはわりとお馴染みな俳優さんなのではないでしょうか。

 

陣内さんは俳優以外にも、映画監督、歌手、タレントとしても幅広く活躍されていますし、老若男女に知られている俳優さんなので、もし出ていればすぐに気づかれると思うのですが、それでも、「大河ドラマ、出てたっけ?」って方もいらっしゃるようです。

 

しかし、それこそが陣内孝則さんの演技力の証なのです。

というのは、出る役柄によって全く別人。

毎回本人なのでは?と錯覚するほど。。。といった事でしょう。

 

大河ドラマ以外にも、多数、映画やドラマに出演されていて、受賞歴もある俳優さんですよね。

 

個人的には「愛しあってるかい!」とか「君の瞳をタイホする!」は好きでしたねぇ〜。

むか~しですが、かなり印象に残っています。

 

あのひょうきんな感じは他の人には出せない感じですよね。

画面に映るだけで何だかハッピーになるあの感じ。

今回は、どのように演じられるのか・・・

楽しみです!

 

今井宗久 奈良から 武器商人として堺へ

 

今井宗久 奈良から 武器商人として堺へ

 

1520年(永正17年)

今井宗久は、大和国(現在の奈良県)の今井町で、今井宗慶の三男として誕生しました。(母は不詳)

・通称→彦八郎

 

青年時代は、大和国(現在の奈良県)「本願寺」寺内町今井で商売を始めたとされますが、定かではありません。

社会的地位を得ることを志し、堺へ出ました。

 

その頃の堺は、南蛮貿易で活気溢れる街。

そこで、納屋宗次宅にて暮らしていました。

そして豪商&茶人の武野紹鷗に茶の湯を学び、商人としての教養を身に付ける修業を重ねました。

 

同門には、

・津田宗及

・千利休

もいたそうです。

 

この時今井宗久は、武野紹鷗に気に入られ、娘さんと結婚しています。

 

そしてその後、鉄砲の時代がくることを予測し、今井宗久は薬種業を始め、納屋宗次から独立しました。

 

織田信長との関わり

 

織田信長との関わり

 

1543年(天文12年)

種子島に鉄砲が伝来すると、1年後には橘屋又三郎によって鉄砲は堺にまで伝わってきましたが、当時、一挺200貫(現在の100万円相当)と高価な品でした。

しかしクオリティーは極めて低かったようです。

 

そこで、宗久は全財産をはたいて、鍛冶職人を集めると、

・鉄砲の改良

・性能を向上

させ、さらに製造法を変え、大量生産に成功させました。

 

1548年(天文17年)

硝石(火薬の原料)を買い占める。

 

1552年(天文21年)

河内鋳物師を集め、鉄砲の本格的な生産に乗り出しました。

 

そして、今までの価格から1/3にまで下げ、武将たちから大量に受注するようになっていきました。

最盛期には、1年に1万挺ほどの生産量だったと記録に残っています。

 

高性能の火縄銃を生産し、武将たちの注目を集める一方で、1555年(弘治元年)〜1589年(天正17年)の間に83回もの茶会を主宰したと記されています。

(宗久の茶会記『宗久茶湯書抜』より)

 

そうして宗久は、武将&堺の豪商など人脈を広め、会合衆の仲間入りを果たしました。

 

1555年(弘治元年)武野紹鷗急逝。

(紹鷗の長男)はまだ幼少だったので、娘婿の宗久が後見人になり、武野家の財産管理を任されました。

 

織田信長が上洛すると、

茶器の名品

・松島の茶壺

・紹鷗茄子

などを献上。

 

1569年(永禄12年)

織田信長が堺の豪商らに戦費2万貫を要求。

宗久は会合衆たちを説得し、要求に応えました。

 

これにより、宗久は、織田信長から堺五箇庄の代官に任命。

実は、織田信長が代官に任命したのは、鉄砲&火薬の独占を狙って。です。

 

信長が堺を抑えたので、敵対する武田信玄&上杉謙信は火薬の原料(硝石)が入手困難となり、鉄砲を多用できなかったとも伝えられています。

 

そして信長の力によって宗久は、

・塩合物座(塩魚や干物を扱う商人組合)の権利

・淀川通行船の関税免除

・生野銀山の開発などの特権

…。

を次々に得ることとなり、政商としてのし上がって行きます。

そして、

・鉄砲の大量生産や販売

・南蛮貿易にも進出

・火薬の原料となる硝石&鉛(鉄砲玉の原料)の調達

などなど。

 

1570年(元亀元年)〜10年におよぶ「石山合戦」では

・鉄砲

・大砲

・甲鉄戦艦

が登場。

合戦は長期化。

 

1575年(天正3年)「長篠の戦い

信長は3千挺の鉄砲を使用。

騎馬戦→鉄砲隊による歩兵戦へ、戦術に変化をもたらしました。

 

宗久は背後で、大量の鉄砲&火薬を供給。

総合軍事産業の事業家として巨万の富を築いていき、織田信長の天下統一を支えたのです。

 

また、茶人として信長の茶頭を務めています。

他にも一緒に務めた

・千利休

・津田宗及

は「天下の三宗匠」と称されましたが、「本能寺の変」で時代が織田信長から羽柴秀吉に変わると、茶の湯の世界は千利休が牽引するようになり、宗久は主役の座を降りました。

 

1593年(文禄2年)

今井宗久は静かにその一生を終えました。73歳でした。

 

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