大河ドラマ『麒麟がくる』に登場する甲賀の和田惟政(わだ これまさ)をご存知ですか。

室町15代将軍・足利義昭(覚慶)を匿い織田信長の家臣となり、この二人の板挟みになり、義昭と信長の仲が険悪度が増すたびに巻き込まれていく…。

 

大雑把にいうと、こんな感じの立場にいた戦国武将です。

では、和田惟政はどのような人物だったのか、さっそく見ていきましょう。

 

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甲賀で生まれた和田惟政

 

甲賀で生まれた和田惟政

画像引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki

 

和田惟政は1530年(享禄3年)、近江国甲賀郡和田村(滋賀県甲賀郡甲賀町和田)に生まれました。

 

(実は生まれた年数は、はっきりとしていませんが、亡くなった時が1571年で42歳ということがわかっており、逆算してこの年ではないか。とされています。)

 

生まれた家は、「甲賀武士」南山六家 or 山南七家の一つといわれた有力豪族の出です。

 

初めは六角氏に被官として仕えていましたが、惟政の父(和田惟助)の代に、足利義輝の幕臣としてつかえるようになりました。

 

1565年(永禄8年)「永禄の変

足利義輝が家臣らに暗殺され、そのことを知った和田惟政は、興福寺に軟禁されていた一乗院覚慶(出家していた義輝の弟・のちの足利義昭)を細川藤孝三淵藤英らと救い出し、甲賀の自邸で匿いました。

 

それは足利義昭を、奈良→伊賀→甲賀へ脱出させ、六角氏を説得し、上洛する作戦だったのではないかとみられています。

 

実際に和田惟政は、六角氏を味方につけることに成功し、さらに義賢織田信長浅井長政斎藤龍興も味方につけようとしていました。

実際に義昭が、和田惟政に使者として信長に会うように命じた自筆書状が残されています。

 

しかし、六角氏と斎藤氏の離反が起こり、近江にいることができなくなった義昭。

和田惟政は義昭に付き添い、放浪することに…。

 

その後義昭は、信長の援助で15代将軍に就任すると、信長より摂津国芥川山城(高槻城)が与えられ、義昭からは「摂津守護」の一人として任命され、

・池田勝正

・伊丹親興

と、和田惟政は「摂津三守護」と称されました。

(「足利李世記」)

 

それからは足利幕臣として、京都の周辺の政治&外交に関わりながら、織田氏の家臣としても政治&戦に関わり、義昭と信長の橋渡し的働きをしていました。

 

そして1569年(永禄12年)には、信長に援軍要請した播磨国の赤松氏の援軍として、備前国の浦上氏上攻めに参加しています。

 

その後和田惟政は、信長から蟄居(外出禁止)の命を受けます。

ルイス・フロイスによると惟政は、蟄居の他に

・引見の不許可

・和田惟政の近江に持っている城の破壊

・収入のうち20,000クルザード(ポルトガルの通貨)の没収

というとても厳しい処分を受けていました。

 

これについてフロイトは、「朝山日乗が和田惟政を陥れるために、信長にありもしないことを告げ口した」と記していますが、足利義昭と織田信長の仲が悪くなってきたことが原因なのでは?と推測されています。

そんな和田惟政は、剃髪して講義したそうです。

 

足利義昭は将軍になったのですが、どうやら職務怠慢なところがあり、信長より

・十七箇条意見書

・殿中御掟

といったものを渡されました。

 

内容を簡単に言うと、「もっと仕事してください」という注意など、改めて欲しい内容が書かれてありました。

そういうのが嫌だったのか、義昭は次第に信長を厭うようになり、「信長包囲網」に助力し、信長の命を狙うまでに感情は膨らむのでした。

 

こうして敵対していく幕府と織田氏。

和田惟政は、幕府と織田氏の間に板挟みとなりました。

 

1570年(元亀元年)

信長は和田惟政の地位を回復させます。

 

そして30,000クルザードの棒禄を加増される圧遇を受け、「姉川の戦い」には織田信長側について参戦。

和田惟政は、戦功をあげました。

 

多方面に敵を抱える織田信長。

そんな信長と六角氏相手との和睦交渉にも、和田惟政は関与しています。

 

1571年(元亀2年)、和田惟政は池田友正を討つべく

・伊丹氏

・茨木氏

と参戦。

 

そして「摂津国白井河原の戦い」で荒木村重(池田氏家臣)に敗れ、亡くなりました。

この時、たくさんの刀傷、銃槍を受けていたといいます。

 

そのような状態であったにもかかわらず、

首を取ろうとした相手にも傷を負わせ、和田惟政は戦死したとみられています。

 

足利幕臣として政治に関わる

足利幕臣として政治に関わる

初めは六角家に仕えていた和田家ですが、父の和田惟助の代のときに、足利義輝が三好長慶と対立。

 

その時に、義輝が六角氏を頼ってきたのをきっかけに、和田惟政は室町幕府13代将軍・足利義輝と出会い、義輝と和田惟政は密な関係を築いていったのではないか。と、推測されています。

 

そしてこの時の出会いがきっかけで、和田惟政は幕臣として仕えるようになりました。

1565年(永禄8年)「永禄の変」、足利義輝が三好三人衆によって暗殺されました。

 

当時、和田惟政は幕臣として仕えていましたが、丁度その頃、足利義輝を怒らせてしまい、側に付いていない時でした。

なので、巻き込まれずに無事だったのです。

 

暗殺の知らせを聞いた和田惟政は、「永禄の変」で興福寺に幽閉されていた義輝の弟・覚慶(のちの足利義昭)を、細川藤孝、一色藤長と甲賀の自邸で匿いました。

 

その後、覚慶を次の将軍にするべく上洛を開始。

六角義賢を頼り、織田信長、斎藤龍興などの勢力を味方につけますが、六角義賢、斎藤龍興の突然の裏切りによって、和田惟政と覚慶は放浪するハメに…。

 

1568年(永禄11年) 覚慶は還俗し、足利義昭として室町幕府15代将軍となりました。

そうして和田惟政は、摂津三守護の一人となります。

 

和田惟政は幕臣として政治に関わり、また、織田家家臣として両家の繋ぐ役割を担い活躍した武将なのです。

 

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