大河ドラマ『麒麟がくる』で一色藤長役を上杉柊平さんが演じられます!
足利義昭派室町幕府、最後の将軍になる人物です。
この人物を足利義輝の側近だった一色藤長が救うことになるのですが、一体どういうつながりがあったのでしょうか。
ドラマのキャストで言うと、
・足利義昭役 → 滝藤賢一さん
・足利義輝役 → 向井理さん
・一色藤長役 → 上杉柊平さん
です。
気になるぅ〜。
では、さっそく見ていきましょう!
目次
上杉柊平が一色藤長を演じる!
画像引用元:https://www.vip-times.co.jp/?talent_id=M16-0102
大河ドラマ『麒麟がくる』の一色藤長役を、端正な顔立ちと高い演技力に定評のある上杉柊平さんが演じられます。
では、上杉柊平さんのことを簡単にご紹介したいと思います。
上杉柊平さんはシブい雰囲気のイケメン!
そういえば何となく松田優作さんを思い出させる表情もありますね。
モデル出身で、身長が185cm!スタイル抜群です。
モデル時代も人気があって東京コレクションでトップをつとめたそうです。
趣味は「囲碁」。
12歳から3年間ハマってたそうなのですが、これがなかなかの腕前でプロに弟子入りするほどの実力者!
夢中になるととことん努力するタイプなのでしょうね。
しかも、行動力がすごい!
そして行動力といえば、中学生の時に何となく高校に進学することに疑問を感じ「もっと世界を見たい!」と、オーストラリアの高校に日本人一人で留学されています。
しかも、英語は全く話せないのにこの決断!すごいパワーですよね。
それに、この留学によって英語を勉強し、話せるようになったので、今や特技となっているようです。
素晴らしいですね。
俳優としても素晴らしく、
・ドラマ
・映画
・舞台
・PV
・WEBドラマ
・CM
…。と
数々の有名作品に出演されています。
なので、見たことないと思っていた方も実は見ていた。な〜んてことあるかもしれませんね。
NHKつながりでは、連続テレビ小説『とと姉ちゃん』で「キッチン森田屋」の料理人・南大昭役を演じておられました。
杉咲花さんと恋人役だったのですが、誠実そうな感じが役を引き立てていました。
髪型でも雰囲気が大分と変わる俳優さんで他の出演作でパーマにしても違うタイプの人の雰囲気を出せる方なので、今回大河ドラマでは、おそらく「ちょんまげ」ですよね。
イケメンなのできっと、これまたお似合いなのでしょうね。
新たにファンになる方が増えるのではないかと思われます。
一色藤長はあまり史料に残されていませんし、あまりイメージのない武将という方も多いと思います。
上杉柊平さんは一色藤長をどのように演じられるのか楽しみです。
一色藤長とは?興福寺に幽閉された覚慶を救出!
一色藤長は、足利泰氏(一色氏の祖)の七男で、公深から十数代後に誕生しています。
しかし、一色藤長についての史料が少なく誕生した日は→(?~1596年 or 1600?)
と、はっきりとした日にちがわかりませんが、戦国時代の武将であることは確かなようです。
一色氏は足利氏の一族になります。
公深の代に、三河国吉良庄一色(現在の愛知県)に住んだ頃から「一色」姓を使い始めたようです。
一色藤長は庶流出身で、戦国時代末期、足利義輝将軍家の近臣を務めるうちに、格上の御供衆へと家格を上げました。
これは一色藤長の姉妹が、足利義晴の側室だった事も理由の一つのようですね。
しかし、この頃の一色藤長について詳しい事は解っていません。
その後、足利義昭に仕えてから、一色藤長の名前が世に出る事になります。
一色藤長は足利義昭の元服前から近侍していて、越前にも付き従った家臣の一人です。
足利義昭は義晴(十二代将軍)の次男として生まれています。
義輝(兄)がいたので、将軍になるとは夢にも思わず、当時の習慣通り興福寺の僧籍に入り「覚慶」と名乗っていましたが、1565年(永禄8年)足利義輝が三好善継、松永久秀らに暗殺され、覚慶も松永らによって幽閉される事になります。
すると、幕府の近臣である
・一色藤長
・細川藤孝
らが覚慶を救出します。
その後近江に逃れ、覚慶は還俗し「義秋」と名乗ります。
そして、室町幕府再興を正式に宣言したのです。
足利義昭が京都に入ると、一家臣にすぎなかった一色藤長は、大名別申次の一人として各地の大名との連絡役を担いました。
担当した相手はというと…。
・伊予河野氏
・毛利氏など中国方面
・甲斐武田氏
・大友氏
・上杉氏
・徳川氏
・朝倉氏
・本願寺
一色藤長は室町幕府における、外交を担当していたのです。
のちに、若狭&伊勢&三河にも領地をもつ、丹後の守護となりました。
室町時代には、四職家の一に数えられる名家でした。
「応仁の乱」の後は、勢力を失っていましたが、丹後宮津城主ではありました。
1552年(天文21年)
・従五位下を受ける。
・式部少輔に任じられる。
1573年「槇島城の戦い」では、足利義昭が織田信長に敗れ、状況は一変。
一色藤長は、それまで他の家臣の担当だったルートも一手に引き受けていくようになりました。
1597年(慶長2年)、足利義昭が亡くなると、一色藤長は家臣団の要となるかと思われましたが、失策により追われる身となり、その後、時の権力者
・足利義輝
・義昭
・織田信長
・豊臣秀吉
らに仕えていったのでした。
豊臣秀吉政権下では、細川藤孝、細川忠興の「細川父子と一緒に能を見ていた」ということくらいしか記録に残っていないそうです。
1600年(慶長5年)の「関ヶ原の戦い」では西軍に属し、細川忠興の兵に討たれました。
といっても、これにも諸説ありまして、「関ヶ原の戦い」の前には既に亡くなっていた。という説があります。
どちらにしても、生まれた年月日がわからないので、没年齢も不詳です。
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