織田信広ってご存知ですか?

なんと、織田家の長男なんです!

といっても家督相続権のない庶子。

でも、信長の兄!

 

折角、織田家に生まれたのに何とも不遇な長男の人生はどのようなものだったのでしょうか。

さっそく見ていきましょう!

 

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織田信広 側室の子として生まれる

織田信広 側室の子として生まれる

 

織田信広とは・・・

織田信長の兄です。

 

生まれた日と母の詳細については不明ですが、父は織田信秀です。

 

しかも織田信秀にとっては初めての子。

つまり順番で言うと長男です。

しかし母は側室(人物不明)なので、家督を継ぐことはありませんでした。

 

それでも、父・信秀からは期待されていたようで、安祥城(現・愛知県安城市)の城主には就いています。

安祥城は、三河松平氏の拠点だった場所。

 

安祥城は三河側へかなり突出している城で、一番の危険地帯。

織田家にとってこの城は VS 今川の最前基地。

この城を信広は任されていたのですね〜。

 

1549年(天文18年)、小豆坂の戦い」安祥城は太原雪斎を先頭に(今川家)攻撃を受け、落城します。

 

この時、織田信広は捕虜となりました。

なぜ首を取られず、織田信広は捕虜に?と思われた方も多いのではないかと思うので、少し掘り下げると…。

 

この頃、田原城主・戸田康光の裏切りによって、松平竹千代(後の徳川家康)が、信秀の手元にやってきました。

 

そして信秀の元で、人質生活を送っていた竹千代を、松平家の家臣たちが取り戻す策を講じていました。

 

当時の松平家は事実上、今川義元の家臣でしたが、松平家の当主としての竹千代は、ただの子どもではありません。

松平家が大名としての立場を保つ為に必要な存在だったからです。

 

そして義元の方も竹千代を織田家から引き離し、自分の人質にすることが必要。と考えていました。

そこで織田信広を使います。

信広は竹千代奪還作戦の道具だったということです。

 

1549年(天文18)義元は軍師・太源雪斎に命じ、信広の居城である安祥城を攻略させます。

もちろん攻略の目的は信広の生け捕り。

 

そして、狙い通り信広は捕虜にされ、竹千代と人質交換を行います。

この当時は、城を攻略された城主は切腹が当然の時代。

 

なので、生きて戻ってきた信広の武将としての評価はどうだったのでしょうね。

肩身が狭かったのではないでしょうか。

 

1551年織田信秀 死去。

家督は信長が継ぎましたが、これに信広も従いました。

 

家督相続は不満のない納得の結果だったのか…。というと、そうでもなく「俺は本当は長男だ!」という気持ちはどこかにあったようです。

 

家督相続から5年後の1556年(弘治2年)清州城の乗っ取り計画を画策しています。

どんな作戦かというと…。

 

・斎藤家→「陽動作戦

織田領付近まで出兵。

 

防御の為、信長が出陣する時に信広軍が清州城へ入る。

つまり、挟み撃ち乗っ取り作戦!

 

しかし、敵(斎藤家)の動きに違和感を感じた信長は、「んっ!?」「いつもと何か違う!?」と、策を看破。

清州城を固く閉ざし、信広軍の侵入を許さず、信長軍との小競り合い後、信広は諦め降伏した…。という結果となりました。

 

信広は信長に対して一度、謀反を企み失敗し、赦された後からは、織田家の為に働いて、重要な役割も担う人材となっています。

この時、信広のバックにいたのが美濃の斎藤義龍だったと言われています。

 

1573年(天正元年)、信長&足利義昭衝突の時に、信広は名代として和睦&締結させています。

 

1574年(天正2年)「長島一向一揆

長島一向一揆」勢は、1570年〜反織田として、織田包囲網の一角を担っていました。

 

拠点を、

・木曽川

・長良川

・揖斐川(いびがわが)

合流し伊勢湾に注ぎ込む中洲に構え、織田信興(信長の弟)を自害へ追い込み、2度の信長の侵攻を食い止めたのです。

 

中洲の長島城は水路に囲まれた天然の要害。

織田軍も攻めにくい城でした。

 

1573年武田信玄 死去。

これをきっかけに、

・足利義昭を追放。

・浅井長政&朝倉義景を討つ。

 

織田家は長島へ80,000人の大軍でもって侵攻します。

信広は信長に従って伊勢長嶋の一向一揆攻めに中核部隊の一員として参戦。

 

この戦は泥沼の全面対決となりました。

この戦で一揆衆殲滅を決心していた信長は、兵糧攻めで一揆勢を降伏に追い込み、「命は助ける」と約束をし、一揆衆が退却しようとしたところを討ち殺しました。

 

これに対し、逆上した一揆勢の一部が刀一つで織田軍へ決死の突撃。

激しい両軍の戦闘に、信広はこの反撃に一歩も引かず戦い、そこで命を落としてしまうこととなるのです。

 

信広は斎藤義龍と謀反を起こした

 

斎藤義龍と謀反を起こす

 

父・信秀の死後、家督を継いだのは信長。

腹違いの兄の信広は側室の子どもなので家督は継げず、弟の下で働くことになりました。

 

当時、信長は若く、しかも周りから「大うつけ」と呼ばれ、当主が信長になったことに不満をもつ者もいたとか…。

それでこの頃の織田家は家族内での争いが多かったようです。

 

それらの戦に触発されたのか、信広も謀反を企てます。

そこで信広は美濃・斎藤義龍と共に、信長を討つ策略を練ったのです。

 

まず敵を知る!

・信長は敵がくると軽々しく居城から出陣するタイプ。

・出陣のタイミングに信広が兵を連れ清須城下に入る。

・佐脇藤右衛門(城の留守番役)が信長の兄上ということで、食事などを出してくれる。

といった事を利用しようと考えたのです。

で、どんな策かざっくりというと…。

 

・佐脇藤右衛門が門を開く。

・すぐ殺害。

・城を乗っ取る。

・成功したらのろしを上げる。

・美濃勢に知らせる。

・美濃勢は川を渡り信長の付近まで攻め込む。

・信広は、信長の味方のふりをし後方から挟み撃ちにする。

といった策。

 

目論だ通りに信長は出陣しましたが、信長はいつもと何となく違う美濃勢の様子を不信に感じます。

しかも、信長方のスパイの者から「美濃勢がウキウキしている」と報告が…。

 

戦前になぜウキウキ…。?

緊張感のなさに、信長は身近な人物の裏切りを悟り、

・佐脇は一切外に出さない。

・町人も惣構えの城戸を閉める。

・信長が帰陣するまで人を入れるな。

 

と、すぐに指示を飛ばしました。

 

その頃、信広は中に入ることができず、「謀反がバレたかも」と悟り撤退。

美濃軍も引き返しました。

 

謀反がバレてしまい、厳しい罰を覚悟していた信広でしたが、信長は全てを水に流し、許しています。

そして信広の謀反計画は終わり、その後は家臣として二度と反逆心を起こさないことを信長に誓います。

 

そんな信広を信長も徐々に信頼した様で、何かと優遇するなどして、二人の関係は、その後円満な状態になっていったのです。

 

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