大河ドラマ『麒麟がくる』で、尾張と三河の調整役で、権力を誇った徳川家康の叔父・水野信元が登場します!

 

実はこの水野信元は、織田家 & 徳川家を語る上で絶対に外せない重要人物。

織田 & 徳川の同盟や、両家の躍進は水野信元がいたからこそ!と言っても過言ではありません。

 

しかし彼は、織田、松平に対しあまりにも影響力を持ちすぎたので最期は暗殺されてしまいます。

大河ドラマの常連キャストの一人である水野信元の人生を、早速見ていきましょう。

 

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『麒麟が来る』水野信元役は横田栄司!

 

『麒麟が来る』水野信元役は横田栄司!

画像引用元:https://www.talent-databank.co.jp/search/t2000042867

 

大河ドラマ『麒麟がくる』で水野信元が登場します。

役を演じるのは、俳優 & 声優の横田栄司さん!

 

横田栄司さんの名前とお顔が一致しないか方もいらっしゃるかも知れませんので、少しご紹介しますね。

 

横田栄司さんは、身長180㎝の長身でダンディーで、なかなかのイケメン!

しかも、超絶セクシーな声。

 

横田さんは、舞台、映画、ドラマ、吹き替え、CM…。と、めちゃくちゃ活躍の幅が広~いのです。

しかも、顔は少々濃いめなので、見たらわかる人も多いのでは。と思います。(誉めてます(笑))

 

たくさんの有名作品の中からいくつか抜粋すると、ネオレストのCMで「菌の親子編」~ビッグベン役~

個人的には面白くてめちゃくちゃ印象に残っています。

2015年のCMなのですが、つい最近のように感じますね。

ドラマだと、逃げ恥じダンスが流行った『逃げるは恥だが役に立つ』で神原社長役を演じていました。

 

あと『下町ロケット』も認知度高いのではないでしょうか。

巻田真介役で出演されています。

 

大河ドラマにも出演されていて『真田丸』で尾藤道休役演じられています。

 

あと、『デスノート THE MUSICAL 』も出演されていましたが、舞台をあまり見ない人でも、ポスター見たことあるのではないでしょうか。

リューク役素晴らしかったです。

 

ざざっとご紹介しましたが、まだまだ語りきれない魅力溢れる横田栄司さん。

どの役を演じても、全部違う人に見える演技力。

 

観ている人をその世界に引き込んでくれます。

今回、大河ドラマ『麒麟がくる』でも素敵な存在感を出してくれるのではないでしょうか。

 

織田と松平に大きな影響力を持っていた水野信元とは

 

織田と松平に大きな影響力を持っていた水野信元とは

 

水野 信元(みずの のぶもと)は、戦国時代の大名です。

父・水野忠政の次男として誕生しました。

 

まず、ざっくりとした関係として、水野氏は、尾張 & 三河の境界国。

知多半島を中心に勢力を誇る国人衆。

 

水野忠政(信元の父)の代に、周辺国に勢力を拡大していきます。

そして隣国の松平氏と婚姻同盟を繰り返し、松平氏と同等の実力を持つ様になります。

 

ちなみに於大の方(家康の母)は水野信元の異母妹なので、甥は徳川家康。

1543年(天文12年)父・忠政の死去を受け、水野宗家の家督を継ぎます。

 

そして尾張国知多郡東部および三河国碧海郡西部を領していくのです。

水野信元は、今迄の親今川路線から、尾張の織田氏路線に一転していきます。

 

この頃の松平氏は…。というと、清康(家康の祖父)暗殺で動揺していて、領国経営は今川義元の援助を受けながら…。という状況。

 

なので水野家と当主・松平広忠との関係は悪く…。

於大の方は、家康を産んですぐ離縁されています。

 

その後、松平広忠暗殺。

一方、水野信元は、於大の方を久松俊勝に嫁がせます。

 

いわゆる政略結婚ですね。

で、後に久松氏も徳川家康の異父弟として一門・譜代に列することになりました。

勢力拡大

 

その後の信元はというと、

・織田信秀の三河侵攻に呼応。

・知多半島の平定に乗り出す。

・水野氏に対抗する弱小国衆を次々と討った。

 

ちなみに知多半島には、水野氏と戸田氏がいて、戸田氏は信元の圧迫を受け、今川義元の元から、人質(竹千代(家康))を途中で強奪。

 

そして織田方に協力するのですが、義元と家臣・太原雪斎に再び竹千代を奪還され、戸田氏は信元に降伏。

で、1547年 無事知多半島の平定を成し遂げることとなったのです。

 

その頃の織田信秀は、陪臣の身で大名の格はあまりなく、

・尾張の守護大名

・斯波氏の守護代

・織田家の三奉行

のうちの一人という立場でしたが、熱田神宮があったり伊勢湾の海運を掌握していたりと、財政が潤っていて、兵 & 武具は大名並み。

 

信秀は隣国、今川義元と早くから小競り合っていて、信元の知多半島統一以降、三河侵攻を進めます。

そして1547年、織田信長初陣。

目的は信元の援軍でしたが、2年後、今川方は一転し反撃を開始。

信元の危機

 

1551年信秀病死。

信長が家督を継ぎましたが、反対派も多く内紛に突入。

今川どころではない状態でした。

 

すると今川義元は、これはチャンスとばかりに三河の親織田勢力の討伐に乗り出しました。

多くの城主が降伏する中、もちろん水野信元も窮地に立たされます。

 

1554年、信元の居城である刈谷城を包囲され、滅亡の危機に。

そこで信長が、自国領内を斎藤道三(義父)の兵のみで固め、信元の援軍として、信長家臣総出で駆けつけ、村木砦(今川方の侵略拠点)の攻略に乗り出します。

 

すると辛勝ではありましたが、織田方の勝利となります。

今川方は撤退。

 

それからも西三河を巡り、今川 VS 織田を繰り返します。

そして力関係が変化が…。

水野家は信長を補佐する立場に変わったのです。

家康・信長が同盟を組む手助けをする

 

1560年の「桶狭間の戦い」で、義元が討死。

それがきっかけで、徳川家康は今川家から独立宣言をしました。

 

ということは、信元は家康の命を狙えたのですが、見逃しました。

甥っ子だからでしょうかね。

 

しかし、その報復として信元は、

・今川家臣

・岡部元信に刈谷城を攻略されることに…。

そして弟の信近を失うこととなるのです。

 

義元亡き後は今川家の力が弱くなり、松平氏は今川氏から独立。

水野信元と対立もなくなりました。

 

その頃、尾張では、義龍が謀反を起こし父・道三を討ち、状況は一変。

 

斎藤家と信長は対立関係になり、周辺国衆との関係見直しが織田家に必要となり、その一環として家康と信長は同盟を結びます。

それを薦めたのは信元です。

 

1562年、家康は信長の居城・清州城を訪問。

以降同盟関係として戦うのです。

 

初めは対等な同盟関係でしたが、次第に信長は、

・足利義昭、浅井朝倉など畿内を平定。

・天下人に等しい大大名と成長。

 

対する家康、信元は…。

・勢力拡大。

・旧今川領を平定。

 

と、対等だった関係はいつしか従属的な関係へと形をかえていくのでした。

ですが、信元の知多半島への支配力は大きく、織田 & 徳川にとって目障りになっていきます。

信元 追い詰められる

 

1576年、秋山信友(武田家)が、東美濃(美濃全体に影響を与える重要な拠点)攻めをし、これに対して信長は援軍を送ることが出来ず、おつやの方(信長の叔母で岩村城の女城主)は信友に寝返ります。

 

信長は激怒し、状況を立て直し60,000人の大軍で、城主共々岩村の城兵を殲滅。

この時ちょっと不穏な噂がありました。

 

それは「水野方も秋山信友に内通している」というもの。

佐久間信盛(信長の宿老)の讒言(ありもしない事を告げ口する)で、信元が「岩村城へ食糧の輸送を許可をした」という嫌疑がかけられます。

 

同じく1576年、徳川方の刺客に、信元は信政(跡継ぎ)と共に暗殺されてしまったのです。

 

水野信元はなぜ暗殺された?

 

水野信元はなぜ暗殺された?

 

秋山信友が攻略した美濃国岩村城。

 

この城を1575年(天正3年)に信長が囲城しましたが、その時に水野領から食料の調達に応じる者がいるとの噂が…。

これを聞いた佐久間信盛は、信長に水野信元の内通を訴えたのです。(「松平記」)

 

1580年(天正8年)、水野信元の死後、所領は佐久間領となった(信盛失脚までの間)ことが(「信長公記」)の記述より推測されています。

 

このことから、水野信元の死に佐久間信盛が絡んでいたのか…。と考えられますが、水野信元の暗殺が起きたタイミングからすると、武田氏の脅威が除かれた時点で起こっているので、水野信元の権力の排除が最大の目的であったと見られています。

 

現在最も有力な考え方として、信元殺害は、織田 & 徳川双方の合意によってなされた。

というものです。

 

命を出したのは信長のようですが、信元粛清は信元亡き後も続き、久松俊勝(信元家臣)は

信元をだまし討ちにして殺すなど何と家康は残虐な男だ

外聞を聞くのも恥ずかしく思い、家康を深く恨む

と、出奔(逃げ出し行方知れずとなる事)します。

 

その後、信俊(俊勝の子)は佐久間信盛指揮する軍で「石山本願寺との戦い」に従軍しています。

しかし、またもや佐久間信盛に「一族が一向宗を保護している」とされ、信俊は子供共々再粛清。

 

知多半島から水野家の影響は完全排除されました。

信長もこの水野家のいきさつには思うところがあったのか、後に佐久間信盛追放の際、<19か条の折檻状>をあげ、

 

「信元死後、お前に刈谷の領地を与えたから(水野旧臣を召し抱えて)家臣を増やすのかと思ったら、逆に水野家臣まで追放してしまい、跡継ぎまで潰して水野領を横取りしたことは言語道断」

 

と書いています。

 

水野信元の粛清は元々は、信長の意志であったとされますが、水野家の扱いは佐久間信盛の暴走と言うことだったのでしょうか。

その後信長は、「信元は冤罪だった」と言い、忠重(信元の未弟)の帰参を許しています。

 

今となっては何が真実なのかはわかりませんが、国衆として無視できない程、力が強大だったことから、その彼の存在が織田 & 徳川にとって目障りとなっていたのは推測できます。

大大名の存在というのは当時、それだけ脅威だったということですね。

 

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