大河ドラマ『麒麟がくる』で登場する細川晴元。

演じるのは国広富之さん!

 

父の仇を討つ家臣から下剋上を果たすのですが、生涯死ぬまで反、三好を貫いた晴元の執念とも呼ぶべき生き方。。。

芯が強いというか、ブレないというのか・・・

ではさっそく見ていきましょう。

 

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細川晴元を『麒麟がくる』で国広富之が演じる!

 

細川 春元(ほそかわ はるもと) 役

 画像引用元:https://www.talent-databank.co.jp/search/t2000003448

 

大河ドラマ『麒麟がくる』で俳優&歌手の国広富之さんが、細川晴元役を演じられます!

国広富之さんは、数々のドラマ&映画にご出演されていて、受賞歴もお持ちの素晴らしい俳優さんです。

 

そんな国広富之さんのイメージですが、『噂の刑事トミーとマツ』のトミー役の印象が強いと言う方も未だに多いです。

 

演技力はもちろんですが、若きし頃の国広富之さんは、甘〜いマスクにキラリと光る白い八重歯に魅了された女性ファンも多くいました。

 

今でもハンサムでいらっしゃいますが、少し貫禄もでてきてさらに素敵さに磨きをかけておられますね。

 

過去の大河ドラマにも多数出演されていて、どの役も好演されています。

どの役を演じても新鮮で、新しい感じがする俳優さんだなぁ〜。と、素人なのでうまく表現できませんが、とにかく演技は抜群です!

 

最近の大河ドラマ出演の印象は『西郷どん』の近衛忠煕役を演じられた事でしょうか。

京のイメージというか、京都弁が印象的で、何となく女性っぽい雰囲気でしたね。

 

さすがトミーとマツの、トミコを演じた国広富之さんだなぁ。。という感じ。^^;

今回の細川晴元役もどのように演じられるのでしょうか。

楽しみですね。

 

父と争った細川高国を排除する事に成功

 

父と争った細川高国を排除する事に成功

 

細川晴元は、1514年(永正11年)、父・澄元と、母・清泰院の間に誕生しました。

名門・細川京兆家の血筋です。

 

当時、細川政権は混乱期。

管領・細川政元の死を機に、政元の養子らの権力争いが起こっていました。

 

父・澄元は養子の一人で、当主の座を巡り細川高国と争い、1520年(永正17年)敗死。

細川晴元はこの時7歳。

父の死によって、幼いながらも家督を継ぐこととなるのです。

 

その頃高国は、室町幕府10代将軍・足利義稙を追放します。

義稙は再起を図り戦いますが、復権には至らず1523年(大永3年)、助力を求め晴元の下を訪れた矢先に亡くなりました。

 

そして高国は、さらに12代将軍に足利義晴を擁立します。

そうして勢力を高めていったのです。

 

さて、高国の独走に思えた細川家争いでしたが、1526年(大永6年)、家臣の讒言を信じ配下の香西元盛を高国が殺害した事で風向きが変わります。

波多野稙通(元盛の兄)や柳本賢治がこれに激怒。

 

すると細川晴元が、家臣の三好元長に擁立され挙兵。

畿内へと進出し、波多野軍と合流します。

 

高国軍との戦いに臨む上で、賊軍扱いにならない為に足利義維(12代将軍義晴の弟)を擁立。

(賊軍=朝廷&幕府に対し反乱する軍)

もし、賊軍扱いになると、味方も謀反を起こす危険があるからです。

 

1527年(大永7年)「桂川原の戦い」で細川晴元が勝利。

高国&義晴を近江国へ追放し、入京します。

 

ついに晴元は、父と争った細川高国を排除する事に成功したのです。

そして晴元は、

・細川宗家当主の座を獲得。

・足利義維を事実上の将軍とした政権を樹立。

 

以後、5年間義維は「堺公方」と呼ばれ幕政の中心にいたようですが、将軍にはなっていない様です。

 

そして1531年(享禄4年)、高国は「打倒!晴元」ということで、備前守護代・浦上村宗と摂津国に進軍し、三好元長軍(晴元方)と激突します。

 

両軍は膠着状態に陥り、赤松政祐(高国の援軍)が参戦しますが、実は、内部は晴元と内通していて、寝返り、高国軍は総崩れに…。

その後、高国を自害に追い込み、父の仇を完全に討ったのでした。

 

そして三好長慶の下剋上に遭う

そして三好長慶の下剋上に遭う

 

細川高国を滅ぼした細川晴元は、目標を堺公方府として政権奪取にシフトチェンジ。

将軍・義晴と和睦し、管領に就こうとします。

 

1532年(享禄5年)、晴元に仕えていた三好元長(高国討伐の際の功労者)と対立。

一向一揆」の手を借りて三好元長を葬ってしまうのです。

 

一見、それで内部反対派を排除でき成功したかにも思えましたが、勢力を強める「一向一揆」に手を焼くこととになります。

(一向一揆・・・浄土真宗本願寺教団の信徒たちが起こした、権力に対する抵抗運動の一揆)

 

で、「一向一揆」鎮静に力となったのは、三好長慶(謀略によって晴元が葬った元長の子ども)です。

鎮静する為に長慶は奔走し、和睦を図りました。

 

この時12歳でしたが、優秀な手腕を見せ、細川晴元は長慶を家臣に組み込みました。

長慶はこの後も、優秀な家臣として力を発揮していきます。

 

そんな1539年(天文8年)、三好長慶は上洛。

河内十七箇所を巡り、三好政長(同族)と争が始まります。

 

しかし晴元は政長を援護します。

それが原因で長慶と対立関係になりましたが、将軍・義晴&六角定頼が間に入り和睦。

 

1541年(天文10年)、木沢長政が政長の排除を訴え始めます。

しかし、長慶はスルー。

 

1542年(翌天文11年)「太平寺の戦い」では、長慶&政長軍が木沢長政を討ち取りました。

 

そして1543年(天文12年)、細川氏綱(高国の養子)が、「打倒!晴元」(?!どこかで聞いたような…。)を掲げ、和泉国で挙兵。

 

3年後の、1546年(天文15年)、細川氏綱は三好長慶の動きを封じ、摂津国の殆どを晴元から奪い取ります。

すると晴元は、丹波国へ一旦、逃亡。

 

1547年(天文16年)、晴元は越水城で待機中の三好長慶と協議し反撃。

細川氏綱を打ち破り、摂津を平定しましたが、1548年(天文17年)に摂津国人(細川氏綱に寝返った)、池田信正を切腹させると、長慶&摂津国人衆の離反を招いてしまいます。

そして三好長慶は氏綱側へ転属し、挙兵と繋がります。

 

そうして摂津榎並城を攻囲される事態に発展したのです。

晴元軍の兵力は長慶軍より劣るとはいえ、榎並城で籠っていた三好政勝(政長の子)を見捨てると、畿内の国衆から見限られるかも…。

 

そう感じ、戦うしかない…。という思いもあったでしょうが、晴元は主力決戦を回避し、六角軍の到来を待つことにしました。

しかしその間に先制されてしまい、細川晴元は戦わないままに敗北してしまいます。

(「江口の戦い」)

 

晴元は三好政長、高畠長直ら多くの配下を失い、将軍・義輝らと近江国坂本まで逃れます。

彼らが不在の京都では、三好長慶が幕府及び京都の実権を握るようになります。

 

晴元が父の仇敵、高国を討ったように、三好長慶の下剋上に晴元も遭うとは、何とも皮肉ですね。

 

1550年(天文19年)、足利義晴が死去。

晴元は近江国(逃亡先)で義輝を擁立。

 

・香西元成

・三好政勝

などを率いて京都奪回を試みますが、失敗。

 

1553年(天文22年)、義輝と晴元は長慶と交戦しますが、結果は敗北。

霊山城(義輝側)が三好軍に落とされ、近江国朽木へ逃亡。

 

そして1555年(弘治元年)に再戦。

しかし、勢力を拡大した三好長慶に晴元は手も足も出せず…。

 

1558年(永禄元年)、晴元&義輝は上洛を図り、将軍山城で三好軍と交戦。「北白川の戦い

そして、六角義賢の仲立ちで義輝と三好長慶が再度和睦を結びます。

 

しかし晴元、恐るべき執念。。。^^;

 

1561年(永禄4年)に晴元は隠居し、1563年(永禄6年)普門寺で亡くなりました。

49歳でした。

 

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