「本能寺の変」から半月程前の、1582年(天正10年)の5月中旬のことです。
安土を訪れた徳川家康の接待を、織田信長は明智光秀に任せました。
信長がどれだけ光秀を信頼していたかがわかるエピソードですが、実はこの時に「光秀が信長ともめた」という逸話が残されており、「信長に恨みを抱いた光秀が謀反を起こした」という見方があります。
実はこのことが原因で「本能寺の変」を決めたのかはわかりませんが、重要な出来事であったことは間違いなさそうですね。
目次
織田信長に狙われていたのは家康?
画像引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki
1582年(天正十年)「本能寺の変」がおきました。
これはとても有名ですよね。
明智光秀が織田信長を討った裏切り行為。
でも、実はこの「本能寺の変」には、他の説もあるのです。
実は、被害者だと思われた織田信長が、本当は徳川家康を本能寺に呼びつけ、暗殺しようと計画していた。というもので、明智光秀がその計画を逆手に取り、家康到着前に本能寺を襲撃。
で、信長を討った。という説です。
信長はわずかな手勢だけで本能寺に宿泊したのは、ずっと謎だ。と言われていましたが、核心がここではないでしょうか。
信長は、本能寺で討たれるのは家康だと思っていたからです。
信長はこの直前に、家康を三河から安土に呼び出し、大坂見物させています。
用心深い家康を本能寺に招き入れる為に、警護が手薄だよぉ〜。と、安心させる必要があったのです。
で、家康を討つ予定だったのが、明智光秀だったとされています。
光秀に従事した武士・本城惣右衛門の手記「本城惣右衛門覚書」にて光秀軍の生き残り兵の証言に、「信長の命で家康を討つと思っていた」という記述があります。
でも、実際に明智光秀が討ったのは家康ではなく信長でした。
信長は光秀と事前に打ち合わせていたことが、仇となったわけです。
この節が本当だとしたら、織田信長にとって、信頼をおいていた光秀が裏切るなんて夢にも思っていなかったでしょうね。
家康をもてなす『安土饗応膳』の魚が腐っていたという説
時代は、武田氏は滅び、信長の天下統一が見えてきた…。
そんな1582年(天正10年)5月。
織田信長は、武田征伐の功労者「徳川家康」を安土城に招き、もてなすことにしました。
その「饗応役」を明智光秀に命じました。
日頃は、織田信長と明智光秀はソリが合わなかったそうですが、こういう大事な仕事は明智光秀に任せるって事で、織田信長がいかに明智光秀の力を認め、頼りにしていたのかが解りますよね。
光秀は、贅を尽くした宴を準備しましたが、それを見た信長は激怒。
光秀は饗応役を解任。
・中国毛利攻めに出陣中の秀吉の援軍として、中国へ出立を命じられる。
・三国の所領は没収。
・攻め取ってもいない毛利の土地を与えられる。
冷酷な命令を下されました。
光秀にとって屈辱以外の何者でもないですよね。
それまでにも抱いていた色々な思いが爆発したのか、その約半月後に、光秀は運命の決断をするのです。
それが「本能寺の変」です。
でも、なぜ織田信長は、贅を尽くした饗応メニューに激怒したのでしょうか。
この事に関しては諸説あります。
・「御成(将軍など大御所)」のような贅沢な食事を用意したから。
・光秀が用意した魚が腐っていて、城内に腐臭が漂っていた。
という説です。
どちらの説が本当かはわかりませんが、今のように流通が便利な時代ではないので、海のものを腐らせずに内陸の安土まで運ぶなんて至難の業。
相当の苦労があったのではないかと思います。
しかも、この時代の五月は現代でいうと丁度梅雨時期。
雑菌が繁殖するには最高の気候。そりゃあ腐るでしょうね。といったところです。
ちなみに、家康に出された五膳の献立に出されたとされる海の幸をご紹介すると…。
・たこ。
・鯛。
・真魚鰹(まながつお)の刺し身。
・ほや。
・あわび。
豪華ですねぇ〜。
光秀頑張りましたね。
海&川&山の幸をふんだんに取りそろえた豪華絢爛な饗応食。
信長の怒りをかった真意ははっきりとはわかりませんが、現代でも十分に通用する豪華メニューだったことはわかりますね。
徳川家康と明智光秀は『おんな城主直虎』の様な背景はあったのか?
NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』では、徳川家が駿河を拝領し歓喜に沸いているところに、織田信長の使者が訪れ、「甲斐から戻る途中、遠江の名所を訪ねたい」と言われ、家康は粗相がないよう万全の体制で信長をもてなしました。
信長は喜び「この礼がしたい」と、家臣一同安土城に来るよう家康に伝えます。
家康は「罠では?と疑います。」が、誘いを断ることができません。
ちなみに武田家が滅亡したら、信長にとって家康は、不要な存在となっていました。
その頃、井伊谷で謎の捨て子(光秀の実の子)が見つかります。
(後に今川氏真が関わっていたことが判明。)
直虎は、氏真に仔細を問いただすと、
・信長が家康を招いたのは罠。
・明智光秀は逆手にとり信長を討つ予定。
と聞かされました。
計画を実行する為、光秀が氏真に差し出していたのです。
直虎は、家康に「信長に代わり天下取りを目指すように!」と、迫るといった展開でしたね。
信長による家康暗殺計画。
「本能寺の変」の背景にあったという説はあるのですが、ドラマでは取り上げられることは珍しかったですね。
この説は、
・信長は家康を京に招き暗殺計画を立てていた。
・暗殺の実働部隊・光秀が裏切り、結果「本能寺の変」で信長は命を落とした。
という「信長が自分の策にはまった。」という説です。
今となっては真相はわからないので、これが正解!ってのはないのですが、見る角度を変えたり立場を変えると、考えや思いも変わるので、数々の説が生まれるのもわかりますね。
歴史は知れば知るほどホント面白いです。
今回の大河ドラマ『麒麟がくる』では、どのような説を参考に演出されるのか楽しみですね。
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