皆さん織田信秀という人物を知っていますか?

織田」と言ったらやはり織田信長!ってイメージがあるのではないでしようか。

 

大河ドラマ『麒麟がくる』で、織田信秀が登場します。

この人物を今回大河ドラマで演じるのは高橋克典さん。

 

織田信秀は尾張(愛知県)に一大勢力を築いた戦国大名として知られています。

そして織田信長の父でもあります。

 

この父の礎があったからこそ、信長は勢力拡大できたといっても過言ではありません。

では、さっそく織田信秀はどのような人物だったのか見ていきたいと思います。

 

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麒麟がくるの織田信秀役は高橋克典に決定!

 

麒麟がくるの織田信秀役は高橋克典に決定!

画像引用元:https://www.vip-times.co.jp/

 

大河ドラマ『麒麟がくる』の織田信秀役を、五十代になった今でも、男の色気があってかっこいい高橋克典さんが演じることが決定しましたー!

 

織田信秀は織田信長よりも注目されていなかったりしますが、歴史を知っていくとわかるこの織田信秀の重要さ。

 

きっとドラマでも大事な役どころになると思われますね。

そんな役を高橋克典さんのキャスティング。いいですね~。

 

高橋克典さんは演技力もありますが、渋~い低音ボイスがまた演技を深めて、それがまた人の心の動きを感じて切なくなるんですよね~。

織田信秀楽しみです。

 

織田信定の長男として生まれた織田信秀

 

織田信定の長男として生まれた織田信秀

 

1510年、尾張の勝幡(しょばた)城主・織田信定の長男として、織田信長の父・織田信秀は誕生しました。

 

織田家は「清洲三奉行」と呼ばれる立場の家柄でした。

清洲三奉行」というのは、戦国時代の尾張国守護代、清洲織田氏(大和守家)に仕える奉行三家のことを指します。

 

身分については、そんなに高くはありませんでした。

 

父・信定は、津島(尾張の商港)や熱田を領地とし、交易などの利益を税収として得て、財を蓄え、領地の発展、勢力拡大していました。

 

商業重視のこの姿勢は織田氏の特徴でもあります。

1527年に信定は隠居します。

 

そうして信秀は18歳で家督を継ぎ、当主となりました。

 

この時代は、身分は関係なく、実力で勢力を伸ばせる下剋上の風潮がありました。

信秀は「尾張の虎」と呼ばれ恐れられるほど知勇に優れており、領地の経済力と才知をもって勢力の拡大を図ります。

 

この時に築いていった勢力は、後に織田信長が大きな飛躍をとげる基盤となるのです。

1551年、信秀は急病に倒れ居城である末森城で亡くなっています。

 

死因は流行病、脳卒中、心筋梗塞などの説が言われています。

42歳でした。

 

信長が上り詰める基盤となった織田信秀の勢力拡大手腕とは

 

信長が上り詰める基盤となった織田信秀の勢力拡大手腕とは

 

 

先ほど織田家は「清洲三奉行」と紹介しましたが、その中の清洲織田氏(大和守家)に仕えていて、尾張の南半分を支配していました。

 

そして残りの一部は、大名・今川氏親(本拠地:駿河(静岡県東部))が支配していました。

 

あと、那古屋城(後の名古屋城)の方は、今川氏豊(今川氏親の一族)が、同地の経営にあたっていました。

 

那古屋城奪取

 

1532年、信秀は那古屋城奪取をもくろみます。

信秀は、連歌好きな今川氏豊が催していた『連歌の会に何度も参加していました。

(連歌=多人数で和歌を連作して楽しむこと。)

 

そして次第に氏豊と親しくなっていき、那古屋城に何日も逗留できるほどの関係になると、計略を実行に移します。

 

ある日信秀は城内で仮病をつかい、氏豊に「家臣に遺言をのこすので城内に入れて欲しい」と願い出ました。

同情した氏豊はためらわずに許可。

 

家臣が入城すると信秀は仮病のふりをやめると、城に火を放ち、城外に待機させていた兵を引き入れ、兵の損害を出さずに那古屋城を乗っ取ります。

それはそれは鮮やかな手腕で、勢力の拡大に成功しました。

 

そして22歳の時、捕らわれた氏豊は信秀に命乞いをし、京都に逃げます。

それからも、信秀は順調に勢力を拡大させ、古渡城、末森城といった拠点を那古屋城の周辺に築き、尾張南西部~南東部へ支配地域を広げていきました。

 

そして、京都に上洛し、朝廷に献金。

従五位下・備後守に叙任されます。

 

さらに伊勢神宮の式年遷宮の際、700貫を献上。

三河守にも任じられ、実力、格式、ともに主家を上回る立場となりましたが、信秀には主家を倒し、取って代わろうとする野心は、なかったようです。

 

もしかすると、実行に移すと、自身への反発が強すぎて、尾張の統制が取れなくなるかも…。と、考えたのかもしれません。

 

それでも、この時点で信秀は尾張で敵なし!

隣国への侵攻を開始します。

 

隣国への侵略と陰り

 

1535年戦場で松平清康が家臣に殺害されてしまったという悲劇を、信秀はチャンスと捉え、すぐさま西三河への侵攻を開始します。

そうして尾張→東に向かい、勢力の拡大を図りました。

 

1540年信秀は、安祥城(尾張、三河の国境付近)を侵略。

 

これにより松平氏は危機的状況となってしまいます。

そして、駿河にある今川義元の傘下に入ります。

 

そうなると、今川氏が三河に介入する情勢となります。

で、この時の今川氏はというと、家督相続争いの余波で混乱が続いている状態。

つまり、十分な軍備を整えられない状況。

 

それでも1542年今川義元は、三河に兵を送っていますが、信秀は「小豆坂の戦い」で破り、西三河の支配権を確立しました。

 

時同じ頃、美濃では国主の土岐頼芸が家臣・斎藤道三に追放される事件発生。

またもや信秀はこの混乱につけこみ、土岐頼芸を保護し、斎藤道三と戦います。

 

そして美濃西部の大垣城奪取に成功します。

しかし、これが原因で朝倉氏(越前(福井県)の領主)の介入を招くことになり、信秀は名将・朝倉宗滴と戦います。

しかしこの戦いには負けてしまい、美濃から撤退。

 

1547年には、稲葉山城(斎藤道三の本拠地)まで攻め込みますが、撃退されてしまい、当初の勢いはだんだん衰えていきます。

 

そんな中、1548年には、甥・織田信清が謀反を起こしてしまいます。

それはすぐに鎮圧していますが、実質信秀の勢いは、目に見えて勢いがなくなっていったのでした。

 

松平竹千代を人質に

 

同年、松平広忠(西三河の領主)が、主君・今川義元に、嫡男・竹千代を人質として送ろうとしますが、その護衛役の戸田康光(三河の国人領主)が信秀に寝返り、竹千代(後の徳川家康)を尾張に送ってきます。

 

そして、松平氏の嫡男を預かる事になるのです。

今川義元は、その後も変わらず従属を続ける松平広忠を信用し、三河への派兵を決定します。

 

そうして義元は、腹心の太原雪斎に軍1万人を与え、西三河を攻めさせます。

もちろん信秀も出陣しますが、4000人の兵を出陣したのも虚しく、織田勢は撤退。

 

更に1549年、太原雪斎は大軍で再度来襲、織田方の重要拠点・安祥城を包囲します。

安祥城は信秀の庶長子(側室の子)・信広が守っていましたが、その勢いに耐えきれず、落城してしまいます。

 

そして太原雪斎は、信広と竹千代の人質のチェンジを申し入れ、信秀はこれを受け信広を取り戻しましたが、三河の拠点を失う事となり、結局、織田勢力は縮小。

 

この敗戦で、織田氏の劣勢が明らかとなり、三河と尾張の国人領主たちの離反を招くことに…。

三河 & 美濃の両方面に敵を抱え、危機に陥った信秀は、斎藤道三(美濃)と和睦。

 

で、あの有名な、道三の娘の濃姫と、嫡男・信長との婚姻を行い、斎藤氏との関係を改善したのです。

そして自分の娘を道三の側室として、差し出します。

 

その結果、道三は信長の才能を高く評価する事となり、信秀にとっても良い結果をもたらすのです。

 

そんな信秀は、斎藤氏との関係の改善には成功しましたが、今川義元との戦いについては、敗北続きでした。

そんな中、信秀は自身の後継者を信長に定めると、周囲に意見されても変えることはありませんでした。

 

なぜ信長が周りから意見されたかと言うと…。

・信長は素行が悪い。

・奇矯なふるまいが多い。

 

などなど、信長で将来を心配する声があがったのです。

しかも弟・信行は、行儀がよいので、余計に周りは、「何も無理して長男にしなくても…。」という思いがあったのかもしれませんね。

 

しかし、信秀は信長の才能を見抜いていたのか、周りの言葉に揺れることはなく決定したのです。

信秀は結果、広大な勢力を築くには至りませんし、尾張国内に他勢力が残存していて、統一にも至っていませんが、織田弾正忠家を発展させ、信長が尾張を統一するための礎を作りました。

 

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