足利義輝は足利幕府第十三代将軍です。

剣術に長けていてので「剣豪将軍」として知られています。

 

大河ドラマ『麒麟がくる』で足利義輝が登場するのですが、演じるのは向井理さん!

向井理さんってことは、足利義輝はかなりのかっこいい将軍様だったのでしょうか。

 

彼の生きた戦国時代は下克上の時代で、幕府が開かれた頃の力はほぼありませんでした。

そんな逆境の中で生きた彼の最期とはどんなものだったのか。

では、さっそく見ていきましょう。

 

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足利義輝を【麒麟がくる】でイケメン向井理が演じる!

 

足利義輝(あしかが・よしてる) 役

画像引用元:https://talent.thetv.jp/person/1000055583/

 

2020年NHK大河ドラマ『麒麟がくる』で、明智光秀が出会う室町幕府13代将軍・足利義輝をイケメン俳優向井理さんが演じられます。

 

向井理さんがドラマにでるだけでテンション上がるわぁ!と思われた方も多いのではないかと思います。

 

ファンはもちろん、ファンじゃなくても見ていて癒されるイケメンっぷりは太鼓判ですよね。

恋人にしたいランキングで1位をとったこともありましたよね。

 

って、イケメンを全面に推しすぎましたが、向井さんは見た目だけではないのです。

演技力もなかなかです。

 

たくさんのドラマ&映画に出演されていますが、NHKで言うと連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』は、向井理さん!?って思うくらい別人でした。

 

そして、大河ドラマにも出演されていますね。

江~姫たちの戦国~』で、徳川家康の息子・徳川秀忠役で登場されていましたね。

 

こんなに今時のイケメンなのに、武将の格好がホントよく似合っていてかっこよかったですよねぇ~。

 

向井理さんは今回大河ドラマにでると決まってこんなコメントを出されています。

「自分にとって時代劇の原点。あの時の恩返しができればという思いです。」

 

人柄が優しい感じなので、戦国武将っていう大変な時代を生きる足利義輝をどんなふうに演じられるのか楽しみですね。

これから、毎週日曜日が更に楽しみになりそうですね。

 

足利義輝はかっこいい武将だった?

 

足利義輝はかっこいい武将だった?

画像引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki

 

あまり歴史が詳しくない方でも聞いたことがあって、知っている歴史ワードの中に、「征夷大将軍」や「幕府」は、あるのではないでしょうか。

では、「征夷大将軍」「幕府」と聞いてどのようなイメージをもたれますか?

 

だいたいの人は何となく、

・位の高い人。

・お飾り的な感じ。

・周りに守ってもらわないとなにもできない。

などではないでしょうか。

(歴史の好きな方あるいは詳しい方は違うのだと思いますが。)

 

実際、将軍はお飾り的に言われることも多いですが、今回大河ドラマに登場する足利幕府第13代将軍・足利義輝が将軍になる頃は、下克上の戦国時代。

 

応仁の乱(1467年)以降、初めの頃の幕府にはあった威光 & 権力は失われていた…。

そんな頃に生まれ育ち、将軍の権威を復活させようとしていた将軍が足利義輝です。

 

また「剣豪将軍」としても有名なほど、剣術に長けていて、剣豪についての逸話がのこされています。

このあたりも、それまでの将軍とは違うポイントなのですが、これはとても稀な例なので、それだけ凄いことなのです。

 

では、ここで足利義輝が生まれた1536年当時の日本の情勢はどのようなものだったのか簡単に見ていきたいと思います。

 

1467年の「応仁の乱」の影響で、将軍の権威は落ちに落ちていました。

で、将軍に代わり実権を握っていたのは、幕府のNO2で官領だった細川晴元です。

 

当時の将軍は、足利義輝の父・義晴だったのですが、権威を取り戻す為、細川晴元と争います。

しかし、争いには負けてしまい、結局、近江国坂本に逃れ、足利義輝はここで幼少期~少年期を過ごすことになります。

 

1546年(天文15年)、足利義輝は11歳、第13代将軍に就任します。

同時に元服。

名を当時の菊童丸 から→ 義藤(よしふじ)に変更。

 

1548年(天文17年)父と細川晴元が和解します。

そして足利義輝は京都へ戻り、細川晴元と政治を行おうとしましたが、細川晴元 VS 三好長慶(晴元の家臣。)に巻き込まれることに…。

 

内訳はこんな感じ↓

・細川晴元方 → 足利義晴・足利義輝

VS

・細川氏綱(以前から晴元と対立)→ 三好長慶

これに、畿内(京都南部・大阪・奈良)の大名 & 諸勢力も加わります。

細川晴元陣営は三好長慶に敗北し、近江国坂本へ逃れます。

1550年(天文19年)、父・足利義晴が亡くなります。

父の無念を晴らす為、三好長慶と戦う決意をしますが、1551年(天文20年)

 

・3月三好長慶暗殺に失敗。

・5月長慶家臣・遊佐長教が暗殺され、

・7月幕府軍が長慶家臣・松永久秀と戦い敗れました。「相国寺の戦い」

と、この短期間で足利義輝は劣勢ピンチに立たされますが、三好長慶の考えは、室町幕府を滅ぼす気はない』という事と『幕府の実権を握ることが目的』だったので、足利義輝&三好長慶は、和睦。。。やっぱり→対立→和睦→対立→…。と、いったことを繰り返します。

 

・1553年(天文22年)、三好軍に敗れる。(東山霊山城)

・1558年(永禄元年)、三好長慶と和解。(六角義賢の仲介により。)

 

幕府の実権を巡り足利義輝と三好長慶が対立している頃、織田信長は1552年(天文21年)当主として尾張統一に動いていました。

 

・1554年(天文23年)、織田一族・織田尾張守護代家を滅ぼす 。

ちなみに織田信長は織田弾正忠家。

 

・1556年(弘治2年)、「稲生の戦い」織田信勝(実弟)に勝利。

・1558年(永禄元年)、弟・信勝を殺害。

(謀反を再度起こそうとした為。)

 

信長が家督を継いでから4年で、織田弾正忠家をまとめ尾張の統一に動きだしたのです。

同年、足利義輝にも権威を復活させる一筋の光が見えました。

 

三好長慶に不満を持つ畿内の大名らが、軍を興し三好長慶の弟・義賢を討ち取りました。(久米田の戦い)

 

三好義賢は三好政権を支えていた重臣の一人でもあり、このことは三好氏衰退の始まりとなり…。

しかし、足利義輝は三好長慶との協調を選び、討とうとしませんでした。

 

そして織田信長は、尾張の新統治者として認めてもらう為、1559年(永禄2年)2の月2日京へ上洛し、足利義輝に謁見します。

これが二人が直接会った最初となります。

 

謁見した目的は忠誠を誓うことではなく、京の情勢を確認の為といわれています。

そんな謁見後の二人の行動は?というと、

 

・足利義輝 → VS 三好長慶。(将軍の権威復活の為。)

・織田信長 → 1560年「桶狭間の戦い」で勝利し、これをきっかけに上洛への道を探り、動いていました。

 

・1563年(永禄6年)、織田信長と松平元康(徳川家康)が清洲同盟を結びます。

・1565年(永禄8年)、織田信清(織田一族)を滅ぼし、尾張を統一。

 

そして織田信長が武田信玄と同盟を結び、伊勢地方に進出し、勢力を拡大していきます。

 

一方、足利義輝は実権を三好長慶に握られながらも、将軍として各地の大名との親しくしていて、親政を行います。

(親政→国王・天皇・将軍が直接政治を行う。)

 

省略しますが、1548年~1563年に義輝は、たくさん大名家の争いごとを仲介したり、自身の名の「義藤」や「義輝」の一字を与えています。

 

・1564年 足利義輝と争っていた三好長慶が急死します。

死因は弟の死と嫡男・義興の死による精神的なものによるものだと言われています。

 

三好氏家臣の三好三人衆ら三好長慶の養子が、後継者とし、三好義継の後見役として実権を握ります。

そして、松永氏と三好氏の連立政権を樹立します。

 

この連立政権の樹立が足利義輝の命運を決めることになるのです。

 

将軍の権力を取り戻す為に奮闘しながらも、あくまで和睦に拘り、討つことはなかったというエピソードは、男気があってかっこいいですよね。

 

このような逆境の中に生まれ育った足利義輝の最期は、必死で周辺の敵対勢力に抗っていましたが、松永・三好勢に拠点の二条御所を包囲され壮絶な最期を遂げることになります。

 

講談では、

「将軍家秘蔵の名刀を畳に突き立て、切れ味が落ちると、そのたび刀を取り変えて戦った。」

という話も…。

真偽はわかりませんが、もし本当だったらかっこいいですよね。

 

内面のかっこいい武将、足利義輝。

大河ドラマではどのような形で登場するのでしょうね。楽しみです。

 

暗殺された足利義輝の最期

 

暗殺された足利義輝の最期

画像引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki

 

足利義輝は三好長慶の死を好機と見て、武田信玄や上杉謙信に上洛要請をしますが、松永久秀と三好三人衆の新将軍・足利義栄(義輝の従弟)の就任要請については断ります。

 

そうして足利義輝は、将軍の権威復活に動きます。

 

そんな、足利義輝の行動に危機感を持った松永久通(久秀の嫡男)、三好義継、三好三人衆らは、1565年(永禄8年)に京都二条御所にて足利義輝を襲撃します。(永禄の変

 

清水寺の参詣を名目に1万の兵を集め足利義輝がいる二条御所へ押し寄せ、三好軍は屋敷に押し入り、足利義輝を暗殺。

 

足利義輝は屋敷に押し寄せてきた兵を自ら迎え撃ち、薙刀を手に応戦。

 

この時、薙刀以外に畳に数十本の刀を刺して戦い、(刃がかけると新しい刀に持ちかえ)一人で多くの敵を討ち取ったと言われていますが、だんだん体力が無くなり、最期は転倒したところを襖(ふすま)をもった敵兵に抑えられ、自慢の剣術を封じられてしまいます。

 

そうしてその上から何本もの槍で刺され討ち取られました。

そんな足利義輝が最期に持っていた刀は、源頼光が鬼を退治で使った「童子切安綱」だったそうです。

 

足利義輝は30歳で命を落としました。

将軍権威の復活という夢半ばで、暗殺されてしまいます。

 

足利義輝の死と同じころに慶寿院(実母)は自害しています。

そして側室の小侍従殿、義輝弟の周暠(しゅうこう)らは殺害されます。

 

唯一義輝の弟・足利義昭だけ生き残っています。(後の第15代将軍)。

1567年(永禄10年)2月、京の真如堂で義輝の追善(冥福の祈り)が行われました。

 

この追善に、畿内を中心に約8万人の群衆が集まったという話から解る事は、群衆にとって足利義輝の存在というのは、細川氏、三好氏の政治脱却を願ったものではないかといえるのではないでしょうか。

 

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