NHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』で、おそらくドラマのキーパーソンの一人となるであろう人物の一人。
三遊亭圓生(さんゆうていえんしょう)が登場します。
で、この落語家の三遊亭圓生(さんゆうていえんしょう)役を演じるのは、中村七之助さん!
いや~・・中村七之助さんといえば、金栗四三役の中村勘九郎さんの弟さんですので、兄弟共に同じ大河ドラマに出演するんですから、びっくりですねー。
そして、その三遊亭圓生ですが、古今亭志ん生と同じく落語の世界で有名な方ですね。
なので二人の仲や関係、エピソードなど気になりますよねぇ~。
それでは早速、見ていきましょう。
目次
三遊亭圓生役を中村勘九郎の弟 中村七之助が演じる
三遊亭圓生役を演じるのは、『いだてん』第1部で大活躍だった主人公の金栗四三を演じた中村勘九郎さんの実の弟である中村七之助さんです。
中村七之助さんは歌舞伎、俳優と活躍されていますから、ご存知の方も多いですよね。
綺麗な顔立ちだなぁ~。といつも見とれておりますが、最近年齢を重ねてきて貫禄がついてきたからか、何だか少し、お父様にも似てきたような気がしますね。
七之助さんは歌舞伎という独特の世界で芸を磨かれているので、落語界の独特の世界観は近からずも何か通ずるものはありそうな気がしますね。
大名人!と呼ばれるほどの落語を真似るというのは、至難の技ですが、七之助さんはどんなふうに表現なさるのでしょうか。
七之助さんは、過去の大河ドラマにもいくつか出演されているんですよね。
大河ドラマに初出演されたのは、5歳の頃!
1988年に放送された『武田信玄』では、武田信義の幼少時代を、七之助さんが5歳の頃に演じています。
再び大河ドラマに出演されたのはその11年後。。
1999年に放送された『元禄繚乱』で、大石主税役を16歳で演じています。
今回の『いだてん』では、お兄さんの中村勘九郎さんの演技というか、金栗四三という人物も独特なので(走り方にも特徴あるし)その印象もあって、『弟だ!』と思いながらドラマを観る人も多いかもしれませんねー!
いや~・・・そういった意味でも、とにかく楽しみです。。。(^^)
三遊亭圓生とは
画像引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki
1900年(明治33年)9月3日、三遊亭圓生(さんゆうていえんしょう)は大阪市西区花園町で誕生しました。
生家は名主の家柄。
実父と生家の女中との間の子でしたが、あくまで両親の子として育てられました。
本名は「山﨑松尾」
本当は「山﨑松雄」だったようですが、戸籍上「山﨑松尾」になっていて、結局そのままになったそうです。
山崎松尾は、5、6歳の頃から豊竹仮名太夫の元、義太夫節(三味線で語る音曲)の稽古を受けました。
そんな中、生家が破産してしまいます。
そして両親は離婚。
母は三味線の師匠として生計を立てていて、豊竹小仮名という名前で相三味線を担当し、5代目三遊亭圓生(当時は橘家小圓蔵)と母は再婚。
5代目三遊亭圓生は義父となったのです。
ここで、三遊亭と繋がりができたのですね。
今回『いだてん』にも、この落語家の三遊亭圓生が登場します。
端正で、洗練された語り口が持ち味の彼は、当時とても有名で、昭和の大名人!と言われ、落語の神様の古今亭志ん生と並んで称される落語家です。
同じ落語家でも芸風は対照的と言っていいほど全く違います。
記憶力が抜群で、それに関する逸話もいくつか残されています。
その記憶力は幼少の頃からで、大人よりも噺を覚えるのが早かったそうです。
持っている噺の数は300超え!
そういった事もあり、自分はできる!と調子に乗ってたのではないか・・・?と想像しますが、少年の頃には自分の芸の未熟さを感じ、愕然としたそうです。
それにその頃、周りから優遇されているという自覚もあった彼は、芸を磨くのに精進したそうです。
なんだか凄いと思いますし、やはり真摯に芸に向きあっていたのですね。
芸(落語)が好きなのか伝わってきます。
さて、昭和の大名人!とまで言われた三遊亭圓生ですが、この名前になるまでに何度も襲名と改名をしています。
橘家圓童→橘家小圓蔵→橘家圓好→橘家圓窓→橘家圓蔵→三遊亭圓生。
実力者ではありましたが、芽が出るまでには時間のかかった落語家でした。
結構苦労されているんですね。
表向きの華やかなことしか見えないので、過去や裏側を知ると、より魅力を感じます。
人生の深みがまた、落語を豊かに面白くしてくれるのでしょうね。
技術も凄かったようですが、人間味も溢れる素敵な方だったのではないかと想像します。
三遊亭圓生は志ん生を満洲に置き去りにした?
昭和20年の5月。
三遊亭圓生と志ん生は慰問団の一員として満州へ渡ると、すぐに終戦を迎えました。
現地で演芸会などを催しながら帰国する船の出航を待つ間、志ん生と二年間もの長い間生死の境をさまよいました。
その後、日本には妻子を残して来ていた三遊亭圓生でしたが、生活の不便さから、現地で日本人女性と結婚生活を送りました。
しかし1947年、志ん生を満州に置いて、三遊亭圓生は先に帰国してしまい、このことを志ん生はめちゃくちゃ恨んでいて、殺意も芽生えたとか。
でも、その後三遊亭圓生が手をついて謝ったので許したのだそうです。
こういうこともネタのようになるって、なんだか、粋ですよね。
帰国後の二人の落語家人生は対照的で、志ん生は帰国するとすぐに、落語界のスターに!
一方の三遊亭圓生はというと…。
相変わらず売れていませんでした。
55歳になる頃から、少しずつ落語ファンに認められるようになってきて、ホール落語のスターとして脚光を浴びます。
三遊亭圓生の落語は一字一句吟味し、ムダな所を削り、かつ豊かさをプラスした正に現代落語家のお手本となるような話芸。
当時高価で珍しいテープレコーダーを購入して、自分の口演を聴き直しては練り上げていき、磨き上げ完成させたのです。
三遊亭圓生は売れていない頃も、決して目先の人気に走らなかった。といいます。
そうやって磨かれた落語の話芸はやはり今でも素晴らしい噺として受け継がれています。
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