日本初、マラソンで金メダルを獲得した人物が孫基禎(ソン・ギジョン)です。
マラソンでは、それまで日本はまだ金メダルを獲った事がありませんでしたが、ベルリンオリンピックで初めて日本に金メダルをもたらしてくれました。
しかし、孫基禎自身は日本人として金メダルを獲得したという事に納得してなかった様に記録されています。
そんなマラソン初金メダリスト孫基禎(ソン ギジョン)について紹介していきたいと思います。
目次
【いだてん】マラソン金メダリスト孫基禎(ソン ギジョン)登場!
画像引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki
【いだてん】にオリンピックのマラソンで日本初の金メダルをもたらした、孫基禎(ソン ギジョン)が登場します。
しかし・・・
『孫基禎(ソン ギジョン)』と聞くと、日本人っぽい名前ではないですよね。
というのは、孫基禎は、当時の平安北道新義州府新義州近くの町で育っているのです。
ここは、現在でいうと朝鮮民主主義人民共和国新義州市になります。
当時、新義州市は日本統治時代、領域に入る場所でしたので、孫基禎は日本人としてオリンピックに出場されています。
孫基禎は子供の頃から足が早かった
小さな頃はとても貧しかった孫基禎。
新義州近辺は冬はとても寒く、川には氷が張るので、子供達はスケートをして遊んでいたそうです。
孫基禎の家は、そのスケート靴さえ買うお金がなかったため、他の遊びとして走る事に興味を持ったそうです。
当時、学校に行く時は足袋を履き、走って学校に通っていたと言います。
なんだか四三を思い出しますね。
学校に通う時に歩くのではなく、走って学校に通うというスタイルは、将来マラソン選手になる可能性あり??
例えば自宅が洪水の災害に遭い、学校に通う事が出来ず、やむなく働かなければならなくなった時でも、ずっと走る事だけは止めなかったそうです。
こんな所も四三と似ていますね。
『とにかく走る事が好き!』
『走る事を止めない!』
これが、マラソン選手として大成する要因なのかもしれませんね。
明治神宮体育大会で世界記録を出した孫基禎
ずっと走る事は止めなかった孫基禎。
1932年 孫が19歳の時、養正高等普通学校(現在の養正高等学校)にスカウトされます。
そこで孫は、陸上部に入り猛練習します。
今までとは違い、きちんとした練習の場が提供された事もあり、孫は急速に走る能力が飛躍していきます。
そうして1935年11月3日、第8回明治神宮体育大会のマラソンで、孫基禎は世界記録を出したのです。
記録は2時間26分42秒。
これにより1936年のベルリンオリンピック日本代表候補として名前が上がったのでした。
ベルリンオリンピックのマラソンで日本初の金メダルを獲得!
そして迎えた1936年8月のベルリンオリンピック!
孫基禎はマラソンの日本代表選手として出場し、2時間29分19秒2の記録で金メダルを獲得します。
しかし、大会直後に事件が起こります。
それは、朝鮮新聞『東亜日報』の紙面に掲載された孫基禎の写真ですが、胸にある日の丸が塗りつぶされたものが掲載されていました。
そして、朝鮮総督府の警務局によって同紙記者の逮捕・発刊停止処分が下され、帰国した孫には警察官が張り付く事となります。
この騒動で、帰国した孫の歓迎会も大半が中止され、孫自身、競技を続ける意欲を失っていきます。
なので、明治大学専門部法科に入学しましたが、陸上部には入りませんでした。
大学卒業後は京城の朝鮮貯蓄銀行本店に勤務しています。
孫基禎自身は日本のメダルになる事を望んでいなかった?
孫基禎自身は、ベルリンオリンピックの表彰台で『君が代』が流れた事に納得していなかったと言います。
『なぜ、君が代が自分にとっての国歌なのか・・』と涙ぐんでいたそうです。
確かに日本の統治時代に領域に入っていた場所で育っている孫基禎。
孫は、民族意識がとても強かったと言います。
なので、国歌についてもそういった思いがあり、更にはベルリンオリンピック滞在時に外国人へのサインは『KOREA』と書いていたそうです。
それに、孫基禎の長男・孫正寅は、在日本大韓民国民団の事務部長として横浜市に在住していましたが、2010年、小学校などの講演の際、父である孫基禎の金メダルについて、次の様に語っています。
「あのマラソンで日本は勝ったんです。でも日本人が勝ったわけじゃない。それがどういう意味なのかを考えてほしいです」
こういった孫基禎と息子の孫正寅の発言を考えると、オリンピックマラソンで日本人初金メダリストだ!と紹介するのも、少し気持ちが憚られる思いですが・・・
孫基禎は、第二次世界大戦後の大韓民国の建国後、韓国籍となります。
そして、マラソンコーチとして選手を育てていきました。
後に大韓陸上競技連盟会長に就任し、1988年のソウルオリンピック開会式で聖火をスタジアムに持って登場します。
その時の気持ちを『金メダルを獲得した時よりもこの時の方が嬉しかった』と述べています。
韓国に貢献出来たという思いから、この様な発言をされていたのかもしれませんね。
そして、2002年11月15日、孫基禎はソウルの病院にて死去。
享年90歳。
孫基禎自身や息子の孫正寅の発言からも、この金メダルに対しての思いは日本人として、どういう思いを持ってあげれば良いのか難しいなぁと思いますが・・・
皆さんはどう思われますか?