日本伝説のスプリンター「暁の超特急」と呼ばれた吉岡隆徳。
スプリンターを語る上で、外すことができないレジェンドの一人です。
日本の陸上競技史上初となるオリンピック100mファイナリスト。
彼の最大の魅力ロケットスタートで見事オリンピックで6位入賞という偉業をなしとげ、日本中が歓喜しました。
大河ドラマ『いだてん』では、どんなふうに登場するのでしようか。
目次
子供の頃から『馬』と呼ばれた吉岡隆徳
画像引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki
吉岡隆徳(よしおかたかよし)は、1909年(明治42年)6月20日、島根県(出雲市湖陵町)で、1100年以上も続く彌久賀(みくが)神社の宮司である「春日家」の四男として誕生しました。
小学校1年生の時。
学校のかけっこで1着をとると、賞品に鉛筆がもらえ、このことがとても嬉しくて嬉しくて…。
走る事にハマったきっかけになったそうです。
純粋さが伝わる何とも可愛いエピソードでほっこりしますね。
それからの運動会では常に一番!
あまりに足が速いのでこの頃のニックネームは『馬』。
子どもの頃から足がとても速かったのがわかりますね。
小学校卒業するのを機に、神職「吉岡家」(同市内)の養子になり、名字がここで変わっています。
隆徳は陸上を志し、杵築中学校(現大社高校)
↓
島根師範学校(現島根大教育学部)
↓
東京高等師範学校(現筑波大)
と進学し、23歳の時、ロサンゼルスオリンピックに出場したのです。
吉岡隆徳はオリンピックで東洋人初の6位入賞を果たした
自身初のロサンゼルスオリンピックに出場した吉岡隆徳。
吉岡隆徳は、お母さんに縫ってもらった白い鉢巻を、頭にきりりと締めて走り、男子100メートルで決勝に進出し、見事10秒8で東洋人初の6位入賞を果たしました!
凄いですよねー!
吉岡隆徳は決して恵まれた体格ではなかったそうで、身長は165㎝と、当時でも小柄なタイプの選手でした。
体の大きい海外の強豪選手に囲まれての、この6位入賞がどれだけ素晴らしいかが実感できますね。
そんな小柄な日本人、吉岡隆徳の世界最速を誇るスタートダッシュは、現地の大観衆にも大きな印象を残しました。
優勝したエディ・トーラン(米国)の愛称だった「ミッドナイト・エクスプレス(深夜の超特急)」をヒントに「暁の超特急」というキャッチフレーズをスポーツライターの川本信正(当時読売新聞記者)が付けたという、この言葉は有名です。
この言葉は、吉岡隆徳の代名詞ともなる有名な言葉となりました。
さて、オリンピックでは素晴らしい成績だったのですが、吉岡隆徳はそれからも、走りに改良を重ねていきました。
吉岡隆徳は以外にも足に土踏まずがなく、ぺちゃぺちゃ音を響かせ走っていたとか。。。
そこで研究し編み出したのが、吉岡隆徳の代名詞のスタートダッシュ。
手順はこう!
・両足を「ハ」の字にする。
・左、右、左と3歩踏み出す。
・前傾姿勢をとる。
・体が前に倒れる直前に足を出し、推進力に変える。
というもの。
吉岡隆徳は「足の回転を速くすれば大丈夫」といっていたそうですが、並の筋力では絶対に無理!
まず体を支えられません。
これがどれほどすごいかというと、故郷、湖陵総合公園に隆徳のスタートの瞬間をかたどった銅像があるのですが、銅像を造るのに、活躍当時の吉岡隆徳のスタートの写真を見て学生が真似てモデルを努めたそうです。
しかし体勢が低すぎるので、大学生部員の筋力で姿勢をキープできなかったという逸話があります。
ちなみに銅像は鉄骨を組み、ワイヤで部員の体をつり、やっと隆徳のスタート姿勢を再現したそうなんです。
話は戻り、
フォームの改良を重ねていった吉岡隆徳は、世界タイ記録10秒3をマークします。
国民の期待は一気に上がり、次のオリンピックでのメダル獲得に期待が向けられるのでした。
二度目の五輪は重圧の重さに耐えかねた?
初めてのオリンピックで6位入賞し、その後も走り方に改良を重ね、世界タイ記録をマークするなど、どんどん理想的な走りに近づけていった吉岡隆徳。
周囲の期待は勿論ですが、本人ももしかしたらイケるかも!?みたいな気持ちあったのではないでしょうか。
そしてその日はやってきました。
メダルを狙って挑んだ2度目のオリンピック。
しかし、そういった重圧からか、まさかの2次予選で敗退。
吉岡隆徳は失意のどん底。。。
日本に帰る路で、マラッカ海峡に身を投げようとしたそうです。
未遂に終わったのですが、当時の状況が伝わってきますね。
そんな逆境を乗り越え、吉岡隆徳は3度目の挑戦となる東京オリンピックを目指していましたが、日中戦争の激化もあり、アジア初のオリンピック開催は流れてしまい…。
そうしてスポーツ選手は引退します。
その後吉岡は、後進の指導をし、世界で活躍する多くのアスリートを育てました。
晩年は、故郷で陸上教室を開きました。
「気をつけ」の姿勢を見ただけで、足が速い子を選ぶことができたそうです。
また、吉岡隆徳はその後もずっと走り続けていて、年代毎に100メートル世界記録に挑戦し、生涯かけて記録に挑み続けました。
記録を抜かれるのを嫌がる人の方が多いと思いますが、吉岡隆徳は誰が自分の記録のところまで来るのを楽しみに待っていたそうです。
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