2018年大河ドラマ『西郷どん(せごどん)』で薩摩藩主・島津斉興を演じるのは、料理の鉄人でお馴染みの鹿賀丈史さん。

見た目も声もダンディなイメージですが、今回演じる島津斉興は、少~しひねくれた部分もあるんですよね~。

まぁ、鹿賀丈史さんが演じるんですから、これまた、カッコよく演じるんだろうなぁ。。。

 

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目次

迫力ある島津斉興役を演じる鹿賀丈史!

 

 

島津斉興のキャスティングを見た時、「おぉ~。」と、思いました。

薩摩藩主ってどんな感じの人かなぁ~・・・と、想像すると、何となく大きい貫禄のある人物を想像しませんか。

 

鹿賀丈史さんはダンディで貫禄もあるんですけど、背も高くて180cmあるそうです。

67歳で、180cmってなかなか素敵じゃないの!と思いますよねー。

 

だから薩摩藩主の役ってのは、ナイスキャスティングだと思いましたねー。

 

しかも、低音がステキ!!

鹿賀丈史さんは、見た目も声もピッタリだと思います!!

 

あまり歴史に詳しくない人がドラマを見ても、見た目で薩摩藩主だっ!!と、解りやすそうですもんね。

 

さて、薩摩藩主・島津斉興といえば、『お由羅騒動』を引き起こすきっかけをつくった人です。

 

側室の由羅のことをとても愛していたので、由羅の子どもを後継者にしようと、計画を立てました。

そうしてお家騒動になるのですが、表面的には薩摩藩主としてしっかり仕事をするので、慕われていたようですね。

 

しかし、裏でこっそり計画して、後継者を側室の子になるようにたくらむところは、本当に陰険ですよね~。。。

 

鹿賀丈史さんは、どんなふうに島津斉興の陰険っぷりを表現するんでしょ。

 

さて、鹿賀丈史さんは劇団四季出身でドラマや映画、数多くの作品を残されています。

 

賞もたくさん受賞していて、演技は折り紙つきの俳優さんです。

そりゃ、陰険さの一つや二つ、お茶の子さいさいってな訳ですわ。

 

いや~、ホント楽しみですよ。。。

 

島津斉興とは!

 

画像引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki

 

島津斉興は、薩摩藩の第9代藩主・島津斉宣の長男として誕生しました。

母親は、生まれが浪人の鈴木氏で側室でした。

 

島津斉興が生まれた時に、薩摩藩と鈴木氏の間にいさかいが起こりました。

島津斉興の父・島津斉宣は薩摩藩の藩主ではありましたが、前藩主の祖父・島津重豪に実権を握られたままでした。

 

島津斉興が18歳ごろに、77名もの処分者を出した『近思録崩れ』と、いわれるお家騒動が起こります。

 

この騒動の責任を取る形で、父の島津斉宣が藩主の座を退き、島津斉興が次の藩主となりました。

 

しかし結局は、祖父・島津重豪が89歳で亡くなるまで、またもや実権を握り続けます。

 

そうして島津斉興は、祖父の死後にやっと、実権を握ることができました。

そこでまず財政改革に着手したのです。

 

祖父・島津重豪は、西洋技術などに費用の多くを使っていました。

そのため、『蘭癖大名』と呼ばれており、薩摩藩の財政は厳しいものとなっていました。

 

そこで斉興は、サトウキビを使った砂糖の専売、清国との密貿易(鎖国中で、外国と貿易を勝手に行うことは禁止されていました。)などで、財政を立て直していきました。

 

そんな島津斉興ですが、正室の〝周子(弥姫)〝との間に島津斉彬という息子がいました。

 

正室の子である島津斉彬、次の藩主の座につくのは自然な流れなのですが、島津斉興は斉彬に、藩主の座を譲ろうとはしませんでした。

 

そうこうしている間に、島津斉彬は40歳を超えてしまうのです。

島津斉興がなぜ藩主の座を譲らなかったのか。

 

諸説は色々あります。

その1

島津斉彬は祖父・島津重豪の影響を強く受けていたので、立て直した財政が、また悪化しないか心配したためという理由から。

 

その2

島津斉興は側室のお由羅の方との間にできた島津久光を次の藩主にさせたかったという理由から。

 

その3

従三位の官位を得たかったという理由から。

 

などなど。。。

 

真の理由は解りませんが、とにかく島津斉彬に藩主を譲ろうとしないため、島津斉彬を藩主にしたいと考えている薩摩藩の者たちの間で不満が溜まっていきます。

 

逆に、島津斉彬を藩主にしたくないと考える者たちは、次の藩主には島津久光を。と、考えます。

島津久光は、斉興の側室・由羅との間に生まれた子です。

 

やがて斉彬派 と、久光派 に薩摩藩が分かれて争うようになっていきます。

この争いを『お由羅騒動』といいます。

 

お由羅の方が、自分の息子を藩主にさせたいが故に起こったともいわれるので、その名前がついたと言われています。

 

島津斉興は、島津久光を次の藩主に。と考えていたので、斉彬派の者が、幕府の老中・阿部正弘に、島津斉興と調所広郷の密貿易を告発し、調所広郷は幕府に尋問を受けます。

 

そんな島津斉興に責任が及ばないようになのか・・・

自ら毒を飲んだとか、飲まないとか言われていますが、とにかく調所広郷は尋問の直後に急死します。

 

島津斉興は藩主を降りることなく、斉彬派の計画は失敗に終わります。

 

その後、斉彬派の者達がお由羅の方、久光を暗殺する計画を立てていると疑われ、切腹者、流罪者を多数出し、斉彬自身も追われる立場となり、阿部正弘を頼ります。

 

阿部正弘は、将軍、徳川家慶に要請し、島津斉興に隠居を促してもらうことにしました。

 

将軍に直接呼び出された島津斉興は、将軍の意向に逆らうことはできず、隠居し、島津斉彬に藩主を譲る事になったのです。

 

お由羅を寵愛した事で悲劇が生まれた

 

 

島津斉興が側室であるお由羅の方を寵愛していたことは、とても有名ですよね。

 

どれだけ愛していたかというと、お由羅の方と片時も離れたくなかったので、参勤交代のたびに、お由羅の方を同行して、斉興の側においていたそうです。これは、有名な寵愛エピソードです。

 

今尚、語り継がれています。

 

お由羅の方は斉興の男の子一人、女の子二人、合計三人産みました。

当時の衛生、栄養状態から無事に成長したのは島津久光のみでした。

 

ここで余談ですが、斉興には正室との間にも、ほぼ同時期に子どもを作っていたんです。

側室と正室、公平に愛していたってことですかね。

 

しばらくして正室が亡くなりましたが、お由羅の方は身分が低かったので、正式な後室扱いはされませんでした。

 

それでも家中で『御国御前』と呼ばれていて、実質的には正室同然に扱ってもらっていたようです。

そして、その頃から雲行きは怪しくなっていきます。

 

家臣たちが「次の跡継ぎは誰だ? 正室の子である斉彬か?お由羅の方の子久光か?」という事で、自然と派閥ができました。

色々な人が、各々の立場で思惑が絡めあい、ややこしい事態へ…。

 

事態は『お由羅騒動』へ発展します。

この騒動がきっかけで、よからぬ計画を立てたり、内部告発があったり…と、ドロドロの展開に…。

 

斉興が由羅を寵愛するばかりに、周りが見えなくなって、己の思いに突き進む姿が周りは面白くなかったのかもしれません。

 

深い愛が生んだ、憎しみに似た感情は更なる憎しみをよび、悲劇を生む結果となったのです。

 

いや~、いつの時代もやっぱり、本妻一筋!じゃないと、ややこしい事になるって事ですかね~。。。^^;

 

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