2018年の大河ドラマは『西郷どん(せごどん)』!!
主人公・西郷吉之助(隆盛)の、目の上のたんこぶだったのが、島津斉興の側室『お由羅』。
そのお由羅を演じるのが小柳ルミ子さんです。
お由羅のイメージは、かなりしたたかな女性。という印象ですが、小柳ルミ子さんが演じるお由羅は、どんな悪女っぷりを魅せてくれるんでしょうね~。
目次
小柳ルミ子が演じるお由羅に期待!
今回、『西郷どん』ではこのお由羅を、小柳ルミ子さんが演じることになりました!!
お由羅という女性は、島津斉興がものすご〜く愛した女性です。
本妻の立場からすると、したたかで小悪魔的なイメージも浮かびます。
しかし島津斉興が、夢中になった事によって騒動が起こるくらいなので、きっと〝由羅〝は、すごく魅力的な女性だったんじゃないかと想像します。
女性の色気があって、気配りのできる素敵な女性だったというイメージも浮かびます。
小柳ルミ子さんは、綺麗でスタイルも良くて素敵だし、華やかな色気も十分もってる・・・
ってか、由羅のイメージにぴったりじゃないですか!!
小柳ルミ子さんは、芸能生活長いですけど、若い人にはちょっと馴染みがない方もいると思うので、どんな方かご紹介すると、
元々、小柳ルミ子さんは宝塚歌劇団出身で、芸能界には歌手としてデビューしています。
デビュー曲『私の城下町』は、〝第13回日本レコード大賞最優秀新人賞〝を受賞されています。
他にも様々な曲を世に放ち、〝日本歌謡大賞〝などなど。いくつか賞を受賞しているんですよね。
紅白歌会戦にも18回出場していますし、歌手としても素晴らしいのですが、最近では女優としての活動の方がイメージとは大きいかもしれませんね。
大河ドラマは1993年の『琉球の風邪』以来、今回の『西郷どん』が25年ぶりとなります。
1982年公開映画『誘拐報道』は〝キネマ旬報賞助演女優賞〝〝第6回日本アカデミー賞最優秀助演女優賞〝を受賞しました。
1983年公開映画『白蛇抄』では、圧巻の演技を披露し、〝第7回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞〝に輝いています。
数々の名誉ある賞を受賞している小柳ルミ子さんの演技。
おそらく今回、『西郷どん』の序盤の中で、とても重要なシーンになると予想される島津家の出来事では、由羅の存在がとても大きいですからね~。
『西郷どん』の中で、お由羅はちょっと悪い役寄りになるとは思いますが、小柳ルミ子さん演じる由羅の悪女っぷりに、視聴者の感情も一気に大河ドラマの世界へ移入しそうですね。
島津斉興が愛したお由羅の方
薩摩藩主・島津斉興が愛したお由羅の方とは、いったいどういう人物なのでしょうか。
お由羅の方は、イメージ的に京都の祇園の女性みたいですが、(勝手に言ってますが^^;)実際には江戸で、庶民の娘とされています。
家業は大工、八百屋、船宿…諸説が色々ありますが、はっきりしたことは、わかっていません。
そんなお由羅の方と、薩摩藩主・島津斉興との出会いは、江戸にある薩摩藩邸で働いていた時でした。
お由羅は、島津斉興に見初められ、側室となります。
よほどのべっぴんさんだったんでしょうね~。
島津斉興には正室の弥姫が江戸に住んでいたので、正室がいる屋敷に側室を置くわけにも行かず、お由羅の方は薩摩に住むことになりました。
正室の近くで、気まずい思いをしないように…と、配慮してもらっていたとの説もあります。
とはいえ、島津斉興はお由羅の方のことをものすご〜く愛していたので、参勤交代で江戸に行く時は、お由羅の方も連れていっていたようですが。。。^^;
片時も離れたくないほど…って、お由羅は本当に愛されていたんですね。
江戸の庶民だったのに、殿様の側室にしてもらって、生活は安泰で羨ましい気もしますが、ずっと一緒っていうのも、これまた息が詰まりそうになったりしないんですかね。。。
それに親兄弟にも、自由に会いに行けてなさそうで、ちょっとかわいそうな気もします。
まぁ、お由羅はとにかく愛されていたようなので、本当に魅力的な素敵な女性だったんでしょうね。
お由羅の方と島津斉興との間には3人の子どもが授かりました。
その子どもの一人が、のちに薩摩藩や明治維新の重要人物となる島津久光です。
その島津久光、更に斉興の正室の子・斉彬が絡んだ『お由羅騒動』。
お由羅騒動とは・・・
お由羅騒動とは?
舞台は、幕末の薩摩!
戦国時代同様、まだまだ激しい運動や戦もある時代です。
幕末の薩摩で有名なお家騒動といえば『お由羅騒動』ですよね。
お由羅騒動の〝由羅〝とはお察しの通り、薩摩藩主・島津斉興の側室である〝由羅〝のことです。
まぁ、『お家騒動』を、『お由羅騒動』ってな感じで、ちょっと掛けた様な言い方してたんちゃいますかね。。。
さて、島津斉興と由羅の間には息子がいました。
島津斉興は本妻との間にも6人の子どもがいましたが、そのうち4人は幼児のうちに命を落とし、女の子2人だけが生きていました。(当時、女の子は家督を継ぐことができませんでした。)
江戸時代は、幼児の死亡率が高い時代でしたが、4人も…と、なると不運が続いたといえます。
という事もあって、斉彬派の藩士はこの不運が続いたことを『お由羅が呪い殺した』と、信じていたそうです。
斉興はお由羅をとても愛していており、その子供の久光を藩主の座につけたいと、考えていました。
まぁ、別の見方をすれば、お由羅自身が自分の子供に継がせたかったので、斉興を操っていた。といった風に思っていた者の方が多かった様ですね。
この時代、跡継ぎは正妻の長男と暗黙で決まっていたので、お由羅の息子は、自然の流れに身を任せていては後継にはなりません。
そこで斉興とお由羅は、本来、後継者になるはずの本妻の息子(島津斉彬)を排除しようとした結果、薩摩藩が斉興派と斉彬派に分かれて、お家騒動が起こりました。
斉彬派の武士は、藩主・斉興を害することは出来ないので、そこで立てられた計画が、久光とお由羅の暗殺計画です。
側室であるお由羅が悪の根源であるとし、お由羅が斉彬の子を呪い殺した敵討ちのつもりでもあったと、言われています。
斉興の愛する由羅と息子の久光を暗殺し、諌めようという計画でしたが、結局情報が漏れ、失敗に終わりました。
それによって斉興は怒り、実行犯を捕らえて切腹させました。
暗殺計画に携わっていない斉彬派の者に対しても、遠島や謹慎などの処分を課し、斉彬派に対する弾圧を始めました。
これに、西郷隆盛・大久保利通らも巻き込まれています。
大久保利通の父・次右衛門も、鬼界島に長期に渡って島流しにされ、大久保の家族は貧困の生活が続きます。
西郷はこの事により、敬愛する斉彬の為、そしてお由羅と斉興によって殺されたとされる薩摩藩の者達の為にも、何がなんでも斉彬を薩摩藩主に!と、更に強く願う様になります。
さて、島流しや切腹などの処分が行われた後ですが、結局、徳川家慶の命により斉興は隠居する事となります。
家慶により、『隠居して茶などたしなむがよい』という形で、隠居勧告がなされました。
そうして、嘉永4年2月2日、斉彬が家督を相続したのです。
ただ、お由羅の名前までついた『お由羅騒動』でしたが、その名前の当事者・お由羅には、何もお咎めなどはありませんでした。
斉彬が亡くなった後は、お由羅の息子・久光が、薩摩を取り仕切る様になるのですが、西郷との確執は埋まる事はありませんでした。
それに、西郷が尊敬していた斉彬は、急死したのですが、一説には毒殺だったのでは?と言われています。
そして、その毒殺に久光が関与してるのではないかという事が西郷の心の中にあり、それが原因だという話もあります。
後々まで引きずっていた『お由羅騒動』の影響ですが、ある意味、そんなに斉興を狂わせる事が出来たお由羅という女性には、ただただ『スゲー!』という言葉しか出てきませんね。