鶴田義行をご存知でしょうか。

アムステルダムオリンピック&ロサンゼルスオリンピックで金メダル獲得した、日本人初オリンピック2大会連続覇の水泳選手です!

 

大河ドラマ『いだてん』にももちろん登場します!

役を演じるのは大東駿介さん。

では、さっそく鶴田義行とはどのような人物だったのか見ていきましょう。

 

 

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鶴田義行役を大東駿介が演じる!

 

鶴田義行(つるた よしゆき) 役

画像引用元:https://www.shunsuke-daitoh.com/

 

大河ドラマ『いだてん』に登場する日本人初オリンピックニ連覇を達成した鶴田義行役を演じるのは、182cm長身でイケメンの大東駿介さんです。

 

どんな役をしてもカッコいいのは隠せないのですが、やんちゃな顔や内気な雰囲気、好青年…。など、表情から役になりきるので、その時その時の写真で同じ人?って思ってしまうほど、色々な表情を見せてくれる俳優さんです。

 

今回も鶴田義行さんの雰囲気にかなり似せてくるのではないかと期待しています。

 

大東駿介さんは中学時代、陸上をされていたそうなのでスポーツ万能そうに思えますが、以外にも撮影前は全く泳げなかったようです。

実は、水泳に関してはからっきし。。。だったみたいですね。

 

特訓して今は泳げるようになったそうですが、泳げないギャップも、結局女子にはたまらない~!なんて、萌えポイントになっちゃう事も多いんですよ。

 

ドラマを見て、大東駿介さんのファンが更に増えそうですね。

楽しみです。

 

鶴田義行とは

 

鶴田義行とは

画像引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki

 

1903年、鶴田義行は鹿児島県の農家の家庭に生まれました。

兄弟は9人で、鶴田義行は次男です。

 

1920年、鉄道省(国有鉄道)鹿児島機関区に就職。(17歳)

1924年、海軍佐世保海兵団に志願し入隊。

 

鶴田義行の平泳ぎを見た艦長に水泳の素質を見出されたことがきっかけで、本格的に水泳を始めることになりました。

この時、22歳でした。

 

1925年、第2回 明治神宮競技大会(芝公園プール)に出場し、200m平泳ぎで優勝。(3分12秒8)

そして、第2回日本選手権水泳競技大会に出場し、200m平泳ぎ→優勝。

 

1928年、アムステルダムオリンピック出場。(報知新聞社所属)。

鶴田義行は、競技三日前早朝選手村を抜け出して、4箱のタバコを買い込み、警備員に渡します。

そして、練習させてもらえるように頼み込み、本番前に立入禁止の会場のプールを使って練習することに成功した逸話が残っています。

 

そして当日。

予選から順調に勝ち進み、エーリッヒ・ラーデマッハー(世界記録保持者)を抑えて、鶴田義行が優勝したのです。

しかも記録は、2分48秒8!

オリンピック新記録を出しました。

 

金メダルは日本人二人目!

競泳種目では日本人初!

水泳を初めてわずか3年で金メダルとはびっくりですよね!

 

1929年 200m平泳ぎで世界記録を樹立。(京都)

記録は2分45秒0。

 

この記録は、アメリカのスペンスに破られるまでの614日間保持されました。

その後鶴田義行は水泳を続ける為、1929年のこの時期に、明治大学専門部法科へ入学しています。

 

1932年、明治大学専門部を卒業。

南満州鉄道に就職。

 

4年後の1932年、ロサンゼルスオリンピックに出場。(南満州鉄道所属)

当時、16歳の小池禮三が優勝候補とされていて、29歳になっていた鶴田義行は、補佐役としてロサンゼルスオリンピックに出場しましたが、鶴田は小池を1秒リードし、2分45秒4のオリンピック新記録で優勝!

ロサンゼルスオリンピックでも、金メダルを獲得したのです!

 

日本人で初のオリンピック2連覇を達成!

今でも平泳ぎで2大会連覇は男女を通じてこの鶴田義行と北島康介の二人だけ。

 

凄い快挙!ですが、南満州鉄道に所属していたのに、有給休暇が認められなかったので、欠勤扱い。

しかも、ボーナス、昇給カット。という現実だったそうです。

 

なんだか可愛そうだなぁって思います。

せっかく日の丸を背負ってオリンピックに出場するのに、ボーナスや昇給もナシなんて・・・

 

オリンピックに出るって色々と大変なことだったんですね。

引退後は愛媛新聞に勤めながら、愛媛県の水泳普及に尽力しました。

 

 

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鶴田義行の引退後

引退後の鶴田義行の人生

1934年、鶴田義行は名古屋市役所の体育主事になりました。

そして1943年に第二次世界大戦が始まり、召集された鶴田は再び海軍に入ります。

 

戦後は妻の故郷愛媛県松山市に移り、亡くなるまで居住しました。

1948年、愛媛新聞社に入社。

 

1949年、愛媛新聞社主催の水泳学校を開校。

泳げない子をなくす活動を開始。

 

以後37年間で5,400人の生徒を育てました。

子どもたちに水泳を教えていた時に、

苦しみから逃れようとすればするほど、苦しみに追われる。

苦しみにみずらから挑み、これを突破すれば、永久に楽を得られるのではないか

と、語っています。

 

そうして愛媛県体育協会、愛媛県水泳連盟理事を歴任します。

その後、

・事業部長。

・営業次長。

・東京支社長。

・監査役

を歴任。

 

同時期に、

・愛媛県水泳連盟副会長。

・理事長。

 

その後、

・愛媛県体育協会理事。

・松山水泳協会会長。

・日本水泳連盟顧問。

・日本体育協会会賓

などを兼務。

 

1959年 愛媛県教育文化賞受賞。

1962年 紫綬褒章受章。

 

1968年 国際水泳殿堂入り。

1974年 勲四等旭日小綬章受章。

 

1977年 愛媛県功労賞受賞。

 

1980年 オリンピックオーダー(功労者)賞受賞。

1986年7月24日 脳梗塞により逝去。

享年82。

 

鶴田義行生家前には、鶴田義行の銅像&記念碑が建てられています。

(鹿児島市伊敷八丁目国道3号沿い。)

 

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