大河ドラマ『いだてん』第2部・田畑政治篇に、日本を代表する水泳選手で日本水泳界躍進の基礎をつくったスーパースターの高石勝男と大横田勉が登場します。
この水泳界のスーパースターを演じるのは、斎藤工さん(高石勝男)と林遣都さん(大横田勉)です!
どれだけの選手なのか?記録は?
気になることたくさんですね。
さっそく見ていきましょう!
目次
いだてんで高石勝男と大横田役は斎藤工と林遣都!
大河ドラマ『いだてん』で登場する日本のクロールの第一人者、高石勝男役を演じるのは斎藤工さん!
そして、ロサンゼルスオリンピックの銅メダリストとなった大横田勉役を演じるのは、林遣都さんです!
高石勝男さんは、
・見た目ヨシッ!
・性格ヨシッ!
で、女性人気は絶大の選手!
高石さんをみた〜い♥お観客さま大集合となる大会。
まさにスター選手!斎藤工さんにぴったりですよね!
想像つきまくり!って感じ。。。
大横田勉さんは、すっごく繊細で真面目な人だったそうです。
林遣都さんは見た目がかっこいいのにどこか守ってあげたくなるような雰囲気の俳優さんなので、これまたピッタリ!
お二人とも「超」がつくほどのイケメンで、もちろん女性人気は高いのですが、男子にも結構人気があるので、きっと男臭くって迫力ある演技が見られるのではないでしょうか。
イケメンが真剣な表情でスポーツで競っているのを見ると、女子はそれだけで キュンキュンしちゃいますよね〜。
嬉しい!(心の声が…。)
しかも、水泳選手ってことはですよ、水着姿の登場もあるってことですよね。
お二人の肉体美を拝見できるのですねぇ〜。(ま、この時代の水着が少し魅力を半減しますが・・・(-_-))
とにかくこのキャスティングってだけで、キュンキュンポイント倍増です!(笑)
高石勝男と大横田勉とは
高石勝男と大横田勉は、水泳界の大大大スター選手です!
今回大河ドラマ『いだてん』に登場されるので、簡単にご紹介したいと思います。
高石勝男
画像引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki
高石勝男は大阪府出身。
高石勝男の通った茨木中学校は、日本初の学校プールがありました。
1910年に大阪府知事から「大阪府立中学校の生徒には、夏季水泳の訓練を必修の課目として実施すべし」という言葉と共に作られたプールです。
そしてこのプールから、たくさんの水泳選手が誕生することになります。
当時、オリンピック参加者が経験したこと見てきたことを元に、各地で泳ぎの研究が進められている段階で、競泳での泳ぎ方自体が定まっていませんでした。
1920年、ベルギーアントワープ大会。
内田正練(うちだ まさよし)は、100mと400m自由形に古式泳法で参加し、予選敗退。
この時、欧米の選手たちはクロールで泳いでいて、内田は世界と戦うにはクロールしかない!とクロールを習得してから帰国。
日本でクロールの普及活動を行っていきます。
このような背景があり、茨木中学校の教諭・杉本伝(すぎもと つとう)はクロールを研究し、生徒に指導しました。
当時の一般的なクロールの考え方は短距離専用の泳ぎ。
なので息継ぎはしない。というのが一般的でしたが、泳ぎを修正し、息継ぎができるようにするなどの改善を重ね、茨木中学校独自のクロールが出来上がっていきました。
そのおかげで、高石勝男の泳ぎはめきめき上達し、素晴らしい選手へと成長していったのです。
さて、茨木中学校でクロールを習得した高石勝男は、オリンピックに出場します。
1924年 パリ大会出場。
1928年 アムステルダム大会出場。
高石勝男と田畑政治は選手と監督ですが、高石のことを「かっちゃん」と呼んだり、一緒にマージャンしたりする間柄だったそうです。
そんな仲良し監督の田畑政治からロサンゼルス大会の前に、事実上の戦力外通告を受けます。
そして、念願叶わず…。
1932年 ロサンゼルス大会。
選手からは外れましたが主将として参加しました。
1949年 芦屋水練学校の開校。
「子どもたちの夏休みを有意義なものにしたい」と、知人だった芦屋市長・猿丸吉左衛門(さるまるきちざえもん)に相談すると、市の主催事業として開かれる事になりました。
芦屋水練学校の理念「国民皆泳」「水難事故防止」「低年齢層からの水泳選手強化」を掲げ、泳げない子どもも泳げるようにと、スポーツ科学を取り入れ、弱点を明確にし改善する重要性を説き、指導方法を試行錯誤します。
そしてプールで泳ぐだけでなく、筋力アップのトレーニングについても大事にしました。
時が経ち、1964年第18回夏季オリンピック東京大会。
・日本水泳連盟4代目会長など歴任。
・水泳日本代表総監督を務める。
そして高石勝男は選手強化本部長を兼任し、これまでの実績を踏まえ選手育成に励みました。
母校の早稲田大学(戸山キャンパス)に『高石記念プール』があります。
高石勝男は、近畿産業社長も務めていて実業家としても活躍されました。
そして、芦屋水練学校の開校から17年経った1966年4月13日、高石勝男は59歳で病死しました。
大阪扇町プールで日本水泳連盟葬が盛大に執り行われ、金メダリスト・鶴田義行や前畑秀子などを含めた3,000名以上とも言われた葬儀で、参列者がたえることはありませんでした。
大横田勉
画像引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki
大横田勉は広島県出身で、1913年4月20日に生まれました。
旧制修道中等学校(現修道中学校・修道高等学校)で水泳部の主将として活躍。
1932年、ロサンゼルスオリンピック出場。
明治大学卒業後陸軍に入軍。
・砲兵大尉として終戦を迎えました。
1950年には自衛隊に入隊し、大隊長と副連隊長を歴任します。
1964年 東京オリンピック。
・オリンピック支援集団競技支援部長として運営に携わりました。
1970年57歳でこの世を去りました。
高石勝男と大横田勉の記録は?
高石勝男選手と大横田勉選手、お二方とも水泳界のスター選手でした。
性格がいいから?
もちろん性格はめちゃくちゃ良かったそうですが、それは一因です。
イケメンだから?
いえいえイケメンですが、それだけではありません。
やはり、結果もちゃあ〜んと出しているのです!
高石勝男選手
■ 1924年 パリ大会出場。
・自由形の100メートル→5位入賞。
・1500メートル→5位入賞。
■ 1928年 アムステルダム大会出場。
・自由形800mリレー→銀メダルを獲得! 9分41秒4という成績。
・100m自由形→銅メダル。
この時代に、メダル2個獲得は素晴らしい成績です!
■ 1932年 ロサンゼルス大会。
・主将として参加。
残念なから、選手として参加はしていませんが、オリンピックに3回も行くなんて、凄すぎやしませんか。
日本競泳チームを支え、5/6種目に金メダルをもたらしました!
大横田勉選手
■ 1932年(明治大学在学中)
・200M自由形→2分14秒6。
・400M自由形→4分50秒4。(日本新記録)
■ 1932年 ロサンゼルスオリンピック。
・男子400M自由形→銅メダル獲得
この時、優勝間違いなしっ!って周りから思われていたそうです。
しかしプレッシャーだったのか、まさかの胃腸炎を罹ってしまい、辛い中での銅メダル!
凄いですね!
記録はやはり凄いですが、共通して言えることは、水泳に対する熱量が暑いこと。
水泳に真摯に向き合った結果が今の水泳界の礎になっています。
スター選手だったのもなるほど納得ですね。
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