日本女子水泳で初の金メダルを獲得した水泳選手の前畑秀子選手を皆さんご存知ですか。

大河ドラマ『いだてん』では、主人公の田畑政治が活躍を魅せる後半で、「前畑、ガンバレ!」の実況で超有名な前畑秀子が登場します。

 

ドラマでは、この前畑秀子役を上白石萌歌さんが演じられます。

楽しみですね!

今回は、そんな上白石萌歌さんが演じる前畑秀子の人生について紹介していきたいと思います!

 

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前畑秀子役は上白石萌歌!

 

前畑秀子役は上白石萌歌!

 

前畑秀子役を演じるのは女優でモデルでタレントの上白石萌歌(かみしらいし もか)さん。

 

上白石?どこかで聞いたことが…。

あっ!『せごどん』にも出てたっ!

・・・と、大河ドラマファンの方の中には珍しい苗字に注目されたかもしれませんね。

 

せごどん』に出ていた上白石さんは、お姉さんの萌音さんです。

今回、大河ドラマ『いだてん』に登場するのは妹の萌歌さんです。

あまりご存知でない方もおられると思いますので、少しご紹介します。

 

上白石萌歌さんは、ドラマやCM、映画、舞台と活躍中のとってもキュートな女優さんです。

きっとお顔を見たら「知ってる!」となる人結構多いのでは?

 

最近のドラマでは、3年A組~今から皆さんは、人質です~』に出演されていましたね。

個人的には『義母と娘のブルース』が面白くて何回も見ました。(笑)

 

純な演技がかわいい萌歌さんですが、今回スポーツ選手の役をされるということで、あんなに細くて似合うのかな?と思っていましたが、なんと、撮影の3カ月前〜トレーニングを始めて、体型に説得力をもたす為に、体重を+約7Kg!!

見た目にも拘った役作りには、頭が下がります。

 

しかも、水泳選手なので筋肉もアップさせちゃってます!

あと、ヒサロに行ったりもしたのだとか。。。

女子は殆どの人が、増量&日焼けを嫌がるのに、それをやってのけるところに萌歌さんの女優魂を感じます。

 

まぁー。

元がかわいいので、少し増量しても日焼けしてもかわいいんですけどね。

役に真摯に向き合う萌歌さんの演技に注目です!

 

水泳女子で日本人初の金メダリスト前畑秀子とは?

 

水泳女子で日本人初の金メダリスト前畑秀子とは?

画像引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki

 

前畑秀子は、1914年(大正3年)5月20日に、和歌山県伊都郡橋本町(現、橋本市)で、誕生しました。

 

ご実家は豆腐屋さん。

5人兄弟の2番目で、意外にも生まれた時から病弱なお子様だったとか…。

 

それで、元気に育って欲しい!と思ったご両親は、秀子の髪を短く切って、見た目から男の子みたいにしていたら、すくすく元気に育っていったそうです。

 

前畑秀子 水泳との出会い

 

水泳デビューは3歳でした。

紀ノ川の“ 妻の浦 ”に連れて行ってもらうと、いつも両親の背中に乗せてもらって泳いでいたとか。

 

いつの間にか泳ぎを覚えていて、大きくなると、ひとりでも泳ぎに行っていたようです。

小学生になっても泳ぐのが好きで、暑い季節がやってくると泳いでいました。

 

そして4年生の時、小学校に新しく出来た水泳部に入部。

当時、小学校にプールがあるのは珍しく、熱心な先生方の手によって紀ノ川に天然プールがつくられたのです。

 

作り方はこんな感じ↓

 

 

① 流れの穏やかな紀ノ川の湾。

② そこに数本の杭を打ち込む。

③ 上に板をはる。

④ スタート台完成!

⑤ そこから25メートル離れた所に、杭を打ち込む。

⑥ 板を壁のように打ち付ける。

⑦ ターニング台完成!

⑧ 縄でコースロープをつくる。

⑨ 25メートルの天然プールの完成!

 

 

なかなか大変そうですね。

 

先生たちが次に取り掛かったのは、クロール、背泳ぎ、平泳ぎなどの正式な泳ぎ方を、秀子たちに教える為に大阪まで習いに行きました。

そして、子どもたちの前で披露!

 

水しぶきを上げずに、進んでいく平泳ぎを見て秀子は一番驚いたそうです。

西中武吉元校長に、好きな泳ぎを一つ選んでいいよ。と言われ迷わず平泳ぎを選びました。

 

平泳ぎを習得した秀子

 

5年生の時に秀子は、学童水泳大会(開催地・大阪)に参加し、50メートル平泳ぎで学童新記録を更新します。

 

そして、1927年(昭和2年)高等科1年生(中学1年生)には、100m平泳ぎで1分38秒を出し、これまた学童新記録!&日本女子新記録!

 

1928年(昭和3年)高等科2年生、オランダ・アムステルダム第9回オリンピック大会にて、

三段跳び・・・織田幹雄選手。

平泳ぎ200メートル・・・鶴田義行選手

が、日本人初の金メダルを獲得!

 

女子では、800メートル競走で人見絹枝選手が銀メダルを獲得しました。

15歳の秀子にはこの日本人選手たちの活躍は眩しく映ったのではないでしょうか。

 

この年、平泳ぎ100メートルで1分33秒2という大記録で、秀子も自分の持っていた日本記録を更新しています。

すごいですねぇ〜。

 

そして、1929年(昭和4年)高等科3年生。

汎太平洋女子オリンピック大会(水泳大会)が、ハワイで開催されることになりました。

 

参加者は、

・カナダ

・アメリカ

・ニュージーランド

・オーストラリア

など、太平洋の周りにある国々の女子選手。

もちろん秀子も出場しました。

 

そこで、平泳ぎ100メートルで優勝を飾り、平泳ぎ200メートルで2位!

素晴らしい成績を出しました。

 

同年9月15日、日本女子体育教育を重要視していた椙山正弌校長は、椙山高等女学校(名古屋市内・現在の椙山女学園)に、日本初の室内プールを学園内に作りました。

 

そのプールでの初泳ぎの依頼がきて、秀子は初めて室内プールで泳ぎました。

そして、椙山校長に橋本尋常高等小学校高等科から椙山高等女学校への編入を勧められるのです。

 

椙山高等女学校へ

 

橋本尋常高等小学校の西中元校長たちの勧めもあって、同年10月5日、椙山高等女学校に編入。

秀子は充実した学園生活を送っていました。

そして、さらなる記録更新を目指し練習に励み、数々の水泳大会で日本記録の更新を続けていきました。

 

1931年(昭和6年)1月14日、椙山高等女学校・寄宿舎に「ハハキトク スグ カエレ」と電報が届きました。

椙山校長はすぐ確認の電報を打ち返すと、「ハハシンダ カエリマツ」と電報が届きました。

 

母・光枝は48歳。

脳溢血でした。

 

それから5ヶ月後の6月14日。

父・福太郎も51歳に脳溢血で、母を追うように亡くなりました。

 

深い悲しみの中、家業の豆腐屋の存続が気になった秀子は椙山校長に、女学校をやめさせてほしいという手紙を書いたのです。

 

椙山校長をはじめとする秀子を知る多くの人は、水泳を続けて欲しいと願っていました。

そして、親類や先生方の計らいで、兄・正一が結婚することで豆腐屋を継ぎ、秀子は女学校へ戻って水泳を続けられることとなります。

 

と、いっても半年以上も練習を休んでいたので、秀子の泳ぎは生彩を失っていました。

心が折れそうになりながらも、応援してくれた人たちのことを思うと、簡単にはやめることができず、もう一度、頑張る決意をしたのです。

 

ロサンゼルスオリンピック大会

 

秀子は練習を重ね、自信がもてるようになった1932年(昭和7年)、ロサンゼルスオリンピック選手選考会。

 

自身がもつ日本新記録とタイ記録の3分12秒4で1位。

見事な復活で、ロサンゼルスへと旅立つのでした。

 

この時秀子は、椙山女子専門学校に進学しており18歳になっていました。

 

ロサンゼルスオリンピックでは、平泳ぎ女子200メートル決勝に出場しましたが、0.1秒差で負け、2位。

1位は、オーストラリアのデニス選手。

 

この時、一位になれなかったのに『あまり悔しくなかった』と、言っています。

それよりも、日本記録(3分12秒4)を6秒も縮めたことに喜びを感じたと言っています。

 

全力を出して泳ぎ切った!やりきった!と、意気揚々と帰って来た秀子に、永田秀次郎(当時の東京市の市長)は、

なぜあと10分の1秒縮めて金メダルを取ってくれなかったんかね。私はそれが悔しくて悔しくてたまらないんだよ。4年後のベルリンオリンピックで頑張ってくれよ。日本女子でメインポールに日の丸を揚げられるのはあなたしかいないんだ。」と言いました。

 

椙山女子専門学校宛にも「10分の1秒差で負けたことが悔しくてなりません。

ベルリンオリンピックで頑張ってください。

といった同様の手紙がたくさん届いていました。

 

橋本に帰るとそこにも、手紙の山が…。

秀子は押しつぶされるような気持ちになりました。

 

大好きな水泳ができて、ロサンゼルスオリンピックに出場することもできて、これで十分!思っていた秀子。

 

水泳を続けていいのか…。

まだ苦しい練習に耐えられるのか…。と、悩みに悩み、ふと、生前母に言われた言葉が背中を押してくれました。

 

一旦やり始めたことは、どんな苦しいことがあっても最後までやり遂げなさい。

そして秀子は、ベルリンオリンピックを目指す決意を固めます。

ベルリンオリンピックに出ると決めたからには、優勝は絶対。

 

椙山校長の好意もあり、椙山女子専門学校で365日、今まで以上に厳しい練習に励みました。

温水プールはないので、プールに入れる時期は限られています。

入れない寒い冬は陸上トレーニングを続け、プールに入れる時期が来ると、2万メートルを朝昼夜の3回に分けて泳ぐのを目標にしました。

 

さて、2万メートルっていったいプール何往復!?

気が遠くなるような距離ですね。

でも、これを秀子は一日も欠かさず行いました。

 

ベルリンオリンピック大会

 

そして昭和10年(ベルリンオリンピックの前年。)

水泳競技大会(開催地・東京)で、平泳ぎ女子200メートルで3分3秒6の世界記録を出すのです。

 

となると、世間の声は「いよいよ金メダルですね。」とか、世界記録を出したから金メダルイケるっしょ!などと、金メダルが当たり前のように期待され…。

秀子にどんどん重圧をかけていきます。

 

1936年(昭和11年)第11回ベルリンオリンピック。

 

・陸上競技の三段跳び

田島直人選手→優勝!

原田正夫選手→2位!

 

・陸上競技の走り幅跳び

田島直人選手→3位!

 

・陸上競技の棒高跳び

西田修平選手→2位!

大江季雄選手→3位!

 

この二人は、互いの健闘を讃え合い、銀と銅のメダルを半分ずつ繋ぎ “ 友情メダル ”を作ったことで知られています。

(秩父宮記念スポーツ博物館、早稲田大学で現在も保存されています。)

 

・マラソン

孫基禎選手→優勝!

南昇竜選手→3位!

 

・水泳競技・自由形男子100メートル

遊佐正憲選手→2位!

新井茂雄選手→3位!

 

・自由形400メートル

鵜藤俊平選手→2位!

牧野正蔵選手→3位!

 

・自由形1500メートル

寺田登選手→優勝!

鵜藤俊平選手→3位!

 

・男子背泳ぎ100メートル

清川正二選手→3位!

 

・男子平泳ぎ200メートル

葉室鉄夫選手→優勝!

小池礼三選手→3位!

 

・男子800メートルリレー

日本チームが優勝!

 

日本人選手の活躍ラッシュにテンションがあがったのでは?なんて思いますが、秀子が最も喜んだのは、椙山高等女学校で共に練習に励んだ小島一枝選手(橋本町出身)が自由形400メートル→6位入賞を果たしたこと。

 

平泳ぎ女子200メートル決勝の前夜。

外国選手のタイムや泳ぐ姿を思い出ししてしまい、なかなか眠れず、寝たと思ってもまたすぐに目を覚ましていました。

 

そして迎えた決勝当日の朝。

決勝は午後3時40分。

 

決勝のスタート台に7人全ての選手が揃いました。

号砲により7人の選手が飛び込みました。

 

秀子は、泳ぎながら「お母さん助けてください。助けてください。」と心の中で叫んでいたといいます。

無我夢中で泳いだ秀子は一番にゴール!

 

日本女子で初のオリンピック金メダリストが誕生した瞬間でした。

2位はドイツのゲネンゲル選手。

 

タイムは

秀子 →3分3秒6。

ゲネンゲル選手 →3分4秒2。

 

わずか0.6秒の差でした。

表彰台に上がった秀子はメインポールに高々と揚がった日の丸を見て涙を流しました。

この時の「前畑がんばれ!」のラジオ実況放送があまりにも有名で、当時全国をわかせました。

 

結婚後は、ママさん水泳教室などで指導者として活躍し、平成2年には文化功労者に選ばれます。

そして平成7年2月24日死去。80歳でした。

 

女子水泳界オリンピック初金メダリストとして前畑秀子は歴史に名を刻みました。

 

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