日本がオリンピックに参加するようになったことで、世界の選手のレベルを痛感する一方、日本選手もメダルを獲得できるようになってきました。
すると、国民のオリンピックに対する関心も自然と高まってきた…そんな頃。
アジアで初のオリンピック開催を目指し、招致活動を進めていくことになります。
東京がオリンピック招致に初成功したのは1940年の第12回大会(日中戦争のため返上)です。
その時に活躍した人物の一人に永田秀次郎がいます。
この永田秀次郎役を、大河ドラマ『いだてん』では、イッセー尾形さんが演じられます!
そんな永田秀次郎とは、どのような人物か早速見ていきましょう。
目次
永田秀次郎役はイッセー尾形!
画像引用元:http://issey-ogata-yesis.com/profile/index.html
大河ドラマ『いだてん』で、永田秀次郎(ながた・ひでじろう)という人物が登場します。
この永田秀次郎というのは、東京市長(現在の東京都知事)就任した4か月後に関東大震災が発生し、不眠不休で災害対応にあたり、それからも生涯を通じ復興事業に尽力したことから「復興市長」と呼ばれた人物で、知られています。
震災~7年後の1930年。
復興した東京の姿を世界に伝える為、1940年東京でのオリンピック招致を決意したのです。
そんな永田秀次郎の役を演じるのは、イッセー尾形さん!
イッセー尾形さんは、みなさん一度は見たことある俳優さんではないでしょうか。
老若男女の認知度No.1なのでは?と思ったりします。
それは、
・桃井かおりさんや小松政夫さんと二人芝居。
・映画。
・ドラマ。
・CM。
・司会。
・小説の執筆。
・絵画。
…。と、こ~んなに幅広く活動をされていて、数々の賞を受賞されたりと、ホントに多才な方で驚きます。
たくさんの作品に携わっておられるイッセー尾形さんですが、最近のNHK関係で言うと、連続テレビ小説『まんぷく』にも出演されています。
萬平が脱税の罪で実刑判決。
刑務所へ…。
で、その刑務所で出会った占い師の受刑者・剛田一隆が、イッセー尾形さんが演じた役です。
知ってる~っ!と、なった人も多いのでは?
連続テレビ小説は、他にも
・凛凛と(1990年)
・つばさ(2009年)
・スカーレット(2019年)にも出演予定です。
大河ドラマ(NHK)も、
・独眼竜政宗(1987年)
・炎立つ(1993年 – 1994年)
に出演されて、今回三作品目の出演になります。
でも、やっぱりなんといってもイッセー尾形さんといったら、一人芝居の第一人者ですよね。
一人芝居のスタイルを確立し、全国各地での精力的に公演されています。
いまや日本だけに留まらず、アメリカやヨーロッパでも巡業を行っていて高評価を獲得しているんですよっ。
でも…。一人芝居ってどんなの?
って思われる方も多いのでは?と思うので、イッセー尾形さんの魅力を知って欲しいので、少しご紹介すると…。
一人芝居は、読んで字の如く!です。
そう、たった一人で芝居するのですが、だいたい公演時間は、1時間30分〜1時間45分前後で、6演目前後のネタが披露されます。
用意されるのは簡単な衣装と必要最低限の小道具だけ。(一ネタは10分~20分前後。)
暗転に始まり暗転に終わるのですが、ネタ中は、照明 & 音響効果などは殆ど使われません。
ネタのあい間の着替えにはBGMと照明がつき、観客は衣装替えやメイクの過程を見ることができます。
公演の最後には「歌ネタ」(ギター、チェロなどの楽器を使用したネタが演じられる。)と呼ばれるネタが通例なのだそうです。
掛け合いのシチュエーションが主で、落語っぽい感じはあるのですが、落語とは全くの別物で、状況説明はなし!
演目名を明かされることもなし!
(演目名は終演後に公演劇場のロビーの掲示板などで確認はできます。)
なので、観ている人は状況が??なわけです。
それでも、イッセー尾形さんの演技力によって状況が理解できるようになる。という…。それが最大の魅力の一人芝居なのです。
一番驚くところは、複数公演しても、同じネタをビデオで比較すると、セリフはほとんど同一!
この何が凄いって、年月が隔たった公演においても変わらないのです!
イッセー尾形さんの天才的 & 記憶力がひかりますよね!
そんな、イッセー尾形さんの永田秀次郎役、見なきゃそんそん!
これを知って観るのと、知らずに観るのとでは大違い!といった感じで、きっと演技に見入ってしまうと思いますね!
東京オリンピックを招致した永田秀次郎とは?
画像引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki
東京がオリンピックの招致に初成功したのは、1940年第12回大会(日中戦争のため返上)です。
この時に活躍したヒーローとして語り継がれているであろうそのヒーローの名は永田秀次郎。(第14代東京市長(のち拓務大臣))
永田秀次郎は、なぜこのタイミングで東京でのオリンピックを招致しようと計画したのかといいますと、昭和15(1940)年という年は、神武天皇の即位から2600年目(皇紀2600年)に当たるとされ、この記念すべき祝典行事が盛大に行われる予定でした。
そこで、オリンピックをその1つとして組み込めないか…。絶好のタイミングではないか…。と、考えたのです。
この頃のオリンピックは、まだ東洋で開催されたことがありませんでしたので、これはかなり画期的案なのです。
それに関東大震災から復興した東京で、オリンピックを開催することは、日本スポーツが世界的水準に到達しつつある時である。ということにも繋がり、それは、国民体育向上にも繋がり、帝都の繁栄をも招くものと確信する。
という建議で、満場一致の可決!
昭和7年 正式に IOC委員長に渡されました。
招致候補地は、
・ローマ(イタリア)
・バルセロナ(スペイン)
・ヘルシンキ(フィンランド)
・ブダペスト(ハンガリー)
・アレキサンドリア(エジプト)
・ブエノスアイレス(アルゼンチン)
・リオデジャネイロ(ブラジル)
・ダブリン(アイルランド)
・トロント(カナダ)
の9都市。
これに東京が加わり、招致活動が行なわれました。
永田秀次郎市長の熱意で、昭和11年、東京でのオリンピック開催が決定したのです!
ここにいたるまでに、7年間!
長いですよねぇ~。
努力し続けた結果が実った瞬間でした。
(この後、日中事変などの世界情勢の悪化で、中止となりました。)
ただ、永田秀次郎はオリンピックを東京に誘致したいという思いが強く、当時ロサンゼルスオリンピックで、200m平泳ぎで銀メダルを獲った、前畑秀子選手に『なぜ、君は金メダルを取れなかったんだ、0.1秒差なのに・・・』と言ってしまったという出来事もありました。
まぁ、女子には金メダリストがいなかったので、一人でも女子の金メダルリストが欲しかったという思いが、そういった発言になってしまったんでしょうね。
しかし、前畑秀子はその言葉を前向きに捉え、周りの期待に応えるべく練習に励みます。
そして、ベルリンオリンピックで女子水泳初の金メダルを獲得したのです。
そんな熱い男、永田秀次郎は、東京にオリンピックを招致しましたが、その他に関東大震災の復興に尽力した人としても知られています。
震災復興の時、焼け野原に、パリの凱旋門のようなものを建てて、放射状に広い道路をはりめぐらす案をだしたのだそうです。
車に乗っている人が少ない時代だったこともあり、周囲に猛反対され実現に至らなかったそうですが、型にはまらないユニークな感じがまた魅力的ですよね。
この経験から格言として、
『地震は何時いつ来るか知れませぬ。
地震が来てから、考えて居ては、間に合わぬ。
それ故、大きな地震があった時には、
どうすると言う事を、平生から考えて置かねばなりませぬ。』
ということばを遺されています。
とにかく彼は秀でていて、先見のめいがあり、視野が広く情熱があり、困難な状況や新しいことにチャレンジするときに、愛のある決断を重ねてきた人物です。
日本の歴史に残る偉大な政治家。
それが、永田秀次郎なのです。
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