大河ドラマ『いだてん』に、今度は山形県酒田出身の英雄!茂木善作(もぎ ぜんさく)が登場します。

もちろん実在する人物です。

オリジナルキャラクターもいいですが、やはり実在した方の方が興味が湧いてきますよね。

 

実は茂木善作は、金栗四三の後輩で一番弟子です。

金栗四三の門下生として、マラソン道を極めていき箱根駅伝を経験し、アントワープオリンピックにも出場した実力者であり郷土のヒーロー。

では、どんな方だったのか見ていきましょう。

 

 

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箱根駅伝でアンカーだった茂木善作

 

箱根駅伝でアンカーだった茂木善作

画像引用元:https://jaa2100.org/entry/detail/052869.html

 

茂木善作は、飽海郡豊原村(現在は酒田市本楯地区)で、茂木家の三男として生まれました。

お家は農家をされていました。

 

1913(大正2)年、山形県師範学校を卒業後は、蕨岡尋常高等小学校(現在の遊佐町)の先生になりましたが、もっともっと学びたい!と思うようになり、1918(大正7)年、東京高等師範学校(現在の筑波大学)に入学します。

 

そこで、金栗四三と出会い、金栗の門下生としてマラソン道に励むことになるのです。

しかし、金栗四三が優れたランナーだとは言え、全ての人が華開くわけではありません。

 

もちろん、金栗四三という指導者の存在は大きいですが、それだけ茂木善作がマラソンのセンスがあり、運動神経を持ち合わせていたのでしょうね。

 

茂木善作は、有望選手として頭角を現していきます。

 

オリンピック出場後、金栗四三が国内の競技力向上の必要性を痛感し企画し1920(大正9)年2月に開催された第1回箱根駅伝(当時→四大校駅伝競走。)

に東京高等師範のアンカーとして出場。

 

この駅伝には、

・東京高師。

・早稲田。

・慶応。

・明治。

計4校が出場しました。

 

茂木善作は二位でたすきを引き継ぎました。

トップを走っていた明治との差は11分52秒。と、大差がありましたが、ゴール近く新橋付近でトップ明治を抜き、見事な逆転勝利で優勝を飾り伝説となりました。

 

しかも、二位の明治とは25秒もの差をつけての逆転優勝でした。

 

茂木善作はアントワープオリンピックにも出場

 

1920年、茂木善作はベルギー・アントワープオリンピックに出場。

世界を相手に20位!と、大健闘!

ちなみに、金栗四三は16位と、これまた大健闘でした。

 

茂木善作は、アントワープに出発する前に、

マラソンの練習上で注意すべきこと。

・足を冷やさないこと。

・競走前は殊に大切。

・練習後は風呂に入り、自己マッサージをやって伏臥(ふくが)する(うつ伏せに寝る)こと。

・心中に一片の邪念もなくしておくこと。(山形県体育史より)

と、語っています。

これはマラソン以外でも基本となる大切なことですよね。

 

1921(大正10)年5月、第5回極東選手権競技大会(上海で開催)のマラソンで、各国の強豪に交じり2位。(東京高師4年生の時。)

 

他、東京高師在学中に、

・800メートル。

・1500メートル。

・1万メートル。

で日本記録を樹立。

 

卒業後は、旧制水戸高の助教授を経て、満州に渡り、旅順工科大助教授となります。

そして更に、吉林師道大教授を経て、1943(昭和18)年、承徳師道学校長に就任。

 

満州各地を転々と渡り、体育で培われた強靭な指導理念を土台に、多くの学生に教育の種をまいています。

 

その後の茂木善作

 

それから1946年に茂木善作は帰国します。

日本体育協会役員や地域の体育関係の仕事に、日夜精魂を傾けました。

 

その後、茂木善作は、本楯(もとたて)(山形県酒井市)に住んでいましたが、娘の茂木満子さん(六女 )と住むため若宮町二丁目に引っ越しました。

しかし、1950年に脳梗塞で倒れ、病床生活となってしまいます。

 

茂木善作は、長距離選手育成へ願いを込め、酒田市に寄付金を寄贈。

酒田市ではこれに基づき1967年、茂木善作の功績を顕彰した茂木杯マラソン大会・駅伝大会」を創設。

 

2011年の第45回大会まで続きました。

2012年からは「酒田つや姫マラソン」(酒田シティハーフマラソン)として引き継がれています。

 

タイトルから茂木杯の冠がなくなったことに地元の方は残念そうに語っています。

地元の誇りであり英雄となった茂木善作。

 

1974年81歳で亡くなりました。

 

茂木善作と金栗四三はアントワープオリンピックで戦った戦友

 

茂木善作と金栗四三はアントワープオリンピックで戦った戦友

画像引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki

↑ アントワープオリンピックの日本選手団

前列左から2番目が茂木善作・後列右端が金栗四三・前列真ん中が嘉納治五郎

 

金栗四三は、初めてオリンピック出場したのがストックホルムオリンピック。

当時は、オリンピック出場が初めてということで、日本とは勝手が違うことが多く苦労し、思うような成績を残すことができませんでした。

 

そして、その悔しさをバネにひたすら練習に励みまいしたが、四年後のオリンピックは戦争で中止。

その思いもあり、金栗四三はアントワープオリンピックにかけていました。

 

オリンピックは四年に一度の大会なので、初参加から八年後のオリンピックとなります。

 

経験して知っていることやわかっていることは金栗四三が他の選手たちに教えて、いつも通りに近い状態でできるように努めました。

 

初めての時よりはいい状態とはいえ、まだまだ世界と戦うのは厳しい状況。

 

茂木善作と金栗四三はマラソンでは師弟関係にありますが、アントワープオリンピックでの厳しい競争を共に経験し、戦った仲間。戦友でもあるのです。

 

その為、二人の絆は深く、茂木善作が病に伏せた時も金栗四三は見舞に訪れています。

 

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