「金栗足袋」って聞いたことありますか?
「金栗足袋」は、オリンピックに日本が初めて出場したときのマラソン選手・金栗四三がオリンピック経験から「足袋のハリマヤ」の店主・黒坂辛作(くろさかしんさく)に相談してできたマラソンシューズのことです。
大河ドラマ『いだてん』では、この黒坂辛作役をピエール瀧さんが演じます。
マラソンシューズの品質はピカイチ!
拘り抜いた先に誕生した「金栗足袋」は正に職人魂の塊と言えます。
そしてこの金栗足袋は、世界一のランナーを生み出しました!
黒坂辛作の職人としての生き方は格好よく、学ぶべきところがたくさんあります。
ちなみに、ピエール瀧さん演じる黒坂辛作は実在します。
しかも同姓同名です。
黒坂辛作をピエール瀧さんはどう演じられるのでしょうか。
楽しみですね。
目次
はりまやの黒坂辛作をピエール瀧が演じる!
画像引用元:https://eiga.com/person/61029/
2020年東京オリンピックに合わせてスタートした大河ドラマ『いだてん』。
さて、その大河ドラマ『いだてん』の中で黒坂辛作という人物が登場します。
黒坂辛作というのは、金栗四三(日本初のオリンピック選手)のマラソン用足袋の開発を手掛けた東京・大塚の足袋屋「ハリマヤ」店主。
金栗四三が偶然、ここのお店の足袋を履いて長距離走で優勝したことがきっかけとなり、マラソン用の足袋開発へことは進んでいきます。
年齢差のある二人ですが、同じ目的を持って、一緒に努力するうちに盟友となっていきます。
黒坂辛作は、職人気質で頑固一徹!といった昔ながらの職人さん。
そのハリマヤの店主・黒坂辛作役を演じるのがピエール瀧さん。
ピエール瀧さんは、ミュージシャンでタレント、そして俳優に声優。
ナレーター&ラジオパーソナリティなど、活躍の幅が広く、たくさんの賞も受賞されている多才な方なので、知っている人は多いのでは。と思います。
色々な有名な作品に出ておられますが、NHK関連でいうと、朝の連続テレビドラマ小説『とと姉ちゃん』で仕出し&弁当屋「森田屋」の主人兼板前という役は個性的でインパクトがあって面白かったですよね~。
あの時も色々なシーンで感じたのは、職人気質で頑固一徹!
でも、心根はあったかくって、どこか憎めないといった役でしたね。
人間味溢れる役は難しいと思いますが、ピエール滝さんは、内側からにじみ出るからすごい!
だから見ているこっちもドラマの世界に引き込まれちゃうんですよね。
今回のドラマでも職人さんという役どころ。
ドラマを楽しく彩ってくれること間違いなしですね!
金栗足袋はオリンピックに出場した事で誕生した
画像引用元:金栗四三の生涯
現代何気なく履いている、とっても履き心地のいいマラソンシューズ。
当然ですが昔からあったわけではありません。
マラソンシューズの歴史を遡ると、足袋にたどり着きます。
そう!靴という名の代物がなかった時代があったのです。
想像つきませんよねぇ〜。
足袋は長距離を走ると底が剥がれることがありました。
そんな経験から金栗四三とハリマヤ足袋店がマラソンをする為に初めて改良し、共同開発して出来たのが、“マラソン足袋”と呼ばれる、日本初のマラソンの為の足袋だったのです。
金栗四三はこの“マラソン足袋”を履いて、ストックホルムオリンピックに出場したのです。
金栗足袋の特徴
この足袋の特徴は・・・というと、
・底を布で3重にしている。
という点!
当時、マラソンをするには日本で一番いい足袋でしたが、舗装されたストックホルムの道路を走るには、布を3重に補強しただけの足袋底では、走った時に足の裏にかかる衝撃を吸収できませんでした。
そのため金栗四三は、ストックホルムに到着してからの練習中、衝撃が吸収しない足袋により、膝を痛めてしまったのです。
しかも、金栗四三は初参加ということで、当日に向けてのスケジュール調整や体調管理など・・・
サポートのノウハウが全くないので、困ったことが次々にでてきます。
ストックホルムでの困った事
まず日本 → ストックホルムまでは、船+鉄道=20日!!
行くだけでヘトヘトでした。
しかも、ストックホルムオリンピック開催期間は、ほぼ白夜でした。
案の定、睡眠に支障が出たそうです。
陽が昇ったら起きて、沈んだら寝て…。といった生活に慣れた日本人にこれはツライですよね。
その上、お米が調達できない状況。
日本人ならお米食べたい〜っ!って思いますよね。きっと!
さらに困ったことに、マラソン試合当日・・・
なんと迎えの車が来ず…!
てなわけで、金栗四三は競技場まで走って行きました。
レース前だというのに、なんという気の毒な事でしょう。
レース当日の気候と金栗足袋
しかも当日の最高気温は40℃!と、記録的猛暑!
金栗四三は熱中症で26㎞付近で意識を失い、意識が戻った時には既に翌日になっていました。
せっかくの初出場だったのに、オリンピックで結果は残せず…。
他の参加者は?というと、半分が途中棄権で、レース中に倒れて翌日死亡した選手までいたというので、どれだけ過酷なレース状況だったかがわかりますね。
ストックホルムから帰国した金栗四三は、4年後のベルリンオリンピックに向け、トレーニングを再開と同時に、播磨屋の店主・黒坂辛作にマラソン足袋の改良を依頼しました。
足袋の裏に自転車のタイヤを裂き貼ったり、良質なゴムを見つけて足袋底に貼ったり、滑らない為にゴムにナイフで溝をつけるなど、二人は試行錯誤して何度も作り直しては、金栗四三が履いて履き心地をチェックし、大正8年(1919)ついに完成させます!
足袋底にゴムを貼ってできた改良マラソン足袋は、“ 金栗足袋 ”と名付けられ、大ヒット商品になりました。
そんな“ 金栗足袋 ”は、金栗四三が初めてオリンピックに出場した経験から誕生した、最初のマラソン足袋だったのです。
金栗足袋から金栗シューズへ!
ストックホルム大会で金栗四三は、“ マラソン足袋 ”を履いて出場しましたが、ストックホルムは舗装された石畳のコース。
布製の足袋は足が地面についたときの衝撃が強過ぎて膝を痛めてしまいました。
オリンピックは残念な結果で終わり帰国するとすぐ、マラソン足袋の改良に着手。
足袋の底に良質、かつ丈夫なゴムをつけます。
良質なゴムというのは、滑り止めはもちろんの事、クッションの問題も重要です。
そうしてショックを柔げる溝を加え、新しく改良した足袋が誕生しました。
金栗四三、他選手達は、下関~東京間1,200kmを20日間かけて走破する耐久マラソンにて実験をしました。
そこで、満足いく成果を得たのです。
1919年に、足袋の “ こはぜ ” 取りを甲紐タイプにチェンジします。
そうしてとうとう「金栗足袋」が誕生したのです!
1928年 アムステルダム五輪で選手たちはこの足袋を履いて出場。
・山田選手 → 4位。
・津田選手 → 6位入賞。
1936年 ベルリン五輪
孫基禎選手 → 優勝。
1951年 ボストンマラソン
田中茂樹選手 → 優勝。
更に改良を重ねていきます。
そうして“ カナグリシューズ ” が誕生するのです。
カナグリシューズを履いて出場した山田敬蔵選手は、ボストンマラソンで優勝しま。!
日本のマラソン界の歴史はハリマヤの歴史でもあったのですねぇ〜。
少しでも速く走れるマラソンシューズを目指して、マラソンシューズは進化してきたのです。
カナグリシューズが世界を制し、当時の新聞記者の取材に黒坂辛作は、
と満面の笑みで答えたそうです。
昭和46年(1971)ハリマヤはアジアに進出。
体育シューズの生産も開始し、大量販売しますが、バブル期には、飲食店、不動産などにも手を広げ、バブルが弾けた1991年に、事実上の倒産をしました。