2019年大河ドラマ【いだてん】で野口源三郎役をイケメン俳優の永山絢斗さんが演じます!

さて、この野口源三郎ですが、第5回オリンピック選考会で金栗四三と共に、競技に参加しているんですよね。

 

惜しくも、その時は選考に漏れてしまいましたが、その後はマラソン以外の競技で頭角を現していきます。

そんな陸上を一途に愛した野口源三郎の人生について紹介していきたいと思います。

 

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野口源三郎役はイケメン俳優の永山絢斗に決定!

 

野口源三郎役はイケメン俳優の永山絢斗に決定

画像引用元:https://eiga.com/person/83087/

 

さて、永山絢斗さんといえば、『西郷どん』で大久保利通役を演じた瑛太さんの弟です。

さすが兄弟揃って男前ではありますが、瑛太さんとは少し雰囲気が違う感じですね。

 

兄の大河ドラマが終わって、弟へバトンタッチ!といった感じですかね。

さて、そんなイケメン俳優の永山絢斗さんが、今回『いだてん』で演じる役は『野口源三郎』です。

 

なんでも、今回が大河ドラマ初出演だそうで、永山絢斗さんいわく『大河ドラマのオープンセットも感動しましたし、細かい部分を美術さんが頑張っていて、スタッフの皆さんが素敵だった』と語っています。

 

確かに大河ドラマのセットは、独特な雰囲気だなぁと思うので、美術スタッフが細かい部分にもこだわって作られているんだなぁと思いますね。

 

それと永山絢斗さんは『いだてん出演者発表会見』で、『大河ドラマは篤姫以外、ほとんど観た事がない』なんておっしゃってました。

 

うーん・・・正直な人。。。^^;

でも、出演をきっかけに観てくださいよ!(そりゃそうか・・)

 

今回『いだてん』での永山さんの役(野口源三郎)は、砲丸投げやらマラソン、棒高跳びなど十種競技を披露するのでかなり大変だと言う事ですが。。。

いやいや、そこはイケメン俳優ですからねー、爽やかに演じてくれる事でしょう!

 

嘉納治五郎に見出された野口源三郎

 

嘉納治五郎に見出された野口源三郎

 

野口源三郎は、明治21年(1888)8月24日、榛沢郡横瀬村(現在の深谷市横瀬)にて誕生しました。

母は野口源三郎が生まれてしばらくして、亡くなった為、榛沢郡岡部村大字宿根(現在の深谷市宿根)にある母方の親戚の養子となりました。

 

そんな野口源三郎は、埼玉師範学校(現在の埼玉大学)を卒業してから、金栗四三と同じ東京高等師範学校(現在の筑波大学)へ入学します。

 

実は、東京高等師範学校へ入学する前に、野口源三郎は岡山県の岡部小学校で2年ほど教員職を勤めていました。

そんな野口に転機が訪れ、校長の勧めもあって東京高等師範学校へ入学を決める事になります。

 

そこで野口は、再度勉学とスポーツに励む事にしました。

東京高等師範学校に入学した野口源三郎は、スポーツの奨励に熱心な嘉納治五郎が始めた、春・秋に開催される校内マラソン大会に出場します。

 

野口は、初出場ながら6位になった事で、校長の嘉納治五郎(かのう ごじろう)にスポーツの才能を認められます。

そして、その事がきっかけとなり、野口は陸上競技に専念する事になるのです。

 

その後、校長の嘉納治五郎は国際オリンピック委員会(IOC)の委員となっていたので、その関わりもあり、野口は日本人初のオリンピック選手選考会に金栗四三と共に出場します。

 

結局、金栗四三がオリンピック日本代表選手となり、野口源三郎はオリンピックには出場出来ませんでしたが、その後も陸上競練習には、熱心に取り組んでいました。

 

それから野口は、マラソンから棒高跳びへ転向します。

棒高跳びでは、第5回日本陸上選手権で3mという日本記録を樹立するなど、メキメキとその才能は開花するのです。

 

そうして大正9年(1920)、第7回オリンピック・アントワープ大会に、十種競技選手兼主将として参加します。

野口源三郎のオリンピック初参加の結果は、12位でした。

 

しかし、この経験は野口の人生に大きく影響を及ぼすのです。

 

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後に野口源三郎はスポーツ界に名を残す人物となった

 

後に野口源三郎はスポーツ界に名を残す人物となった

 

さて、初めてオリンピックに出場した野口源三郎は、世界のスポーツを目の当たりにした事で、その経験を日本スポーツに反映させようと試みます。

野口はその後、欧米のスポーツ界を視察し、世界的視野から高い水準の知識と技能を日本にもたらす事になるのです。

 

それは、陸上競技のヘッドコーチをしながら、海外と日本選手の違いなども研究し、教育者として学校体育の基盤を作ったりしていきます。

教育者というのは、恩師であった嘉納治五郎の誘いで、野口は東京高等師範学校の嘱託教師となり、スポーツについての研究も熱心に行っていました。

 

そうして野口は第二次世界大戦後、東京教育大学兼埼玉大学教授となります。

日本に初めて設けられた体育学部の学部長に就任し、全国の大学に体育学部が設けられる事になり、野口源三郎の長年の悲願が達成されたのです。

 

その他野口は、金栗四三と沢田英一と共に、箱根駅伝を作りあげた人物としても有名ですね。

そんな野口源三郎はその後、数々の功績が認められ、日本陸上連盟の第1号『功労章』を授与します。

 

昭和35年(1960)、政府から『紫綬褒章』、昭和39年(1964)には『勲三等瑞宝章』も授与しました。

 

そして、昭和42年(1967)年3月16日に亡くなりました。

享年80歳でした。

 

元々野口源三郎には、陸上競技の才能があったのでしょうが、その後の人生に影響を与えた人物の導きなどもあって、陸上というスポーツに対して一緒懸命向き合った素晴らしい人生を送る事が出来たのだろうなぁと思うと、羨ましく思いますね。。。

 

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