吉之助が月照と入水自殺して辿り着くのが、『奄美大島』です。

月照は残念ながら命を落とすのですが、吉之助は一命をとりとめ、奄美大島での暮らしが始まります。

 

何もかもが嫌になってしまった吉之助の前に現れる島人の愛加那(あいかな)、龍佐民(りゅうさみん)、富樫(とがし)、石千代金(いしちよかね)達によって、吉之助の心は変わっていきます。

 

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目次

吉之助、奄美大島へ

 

 

1858年、島津斉彬の死によって西郷吉之助の運命は大きく変わりました。

 

後ろ盾を失い、吉之助は幕府から追われる身となり、追求から逃れるために薩摩藩は吉之助の名前を菊池源吾(きくち げんご)と名乗らせ、奄美大島に移しました。

 

吉之助の身を守るための対策でしたが、吉之助には不満でした。

当時、奄美大島は罪人が送られる場所になっていたので、薩摩育ちの人からみた奄美大島は良い印象がありませんでした。

 

奄美大島は現在鹿児島県に属していますが、当時は琉球の方が近いということもあり、言葉や習慣の影響を強く受けていました。

 

今回はこの奄美大島で出会った人々の中から龍佐民・富堅・石千代金をピックアップして、吉之助とはどういう関係があるのか、簡単にご紹介したいと思います。

 

西郷吉之助は、奄美大島に来た当初、心は哀しみに暮れ沈んでいました。

奄美大島には藩から米の支給はあったそうですが、生活習慣は今までとは全く違います。

 

しかも吉之助は謹慎のために来たわけですから、島の人は流罪人だと思っていたので吉之助のことを怖がって、避けていました。

なので、島の人と仲良くなれず、島での生活にはなかなか馴染めないでいました。

 

そんな中、吉之助を助けたのが龍佐民(りゅうさみん)です。

 

西郷吉之助が奄美大島にきた時、龍佐文(愛加那の叔父)が龍家の当主でしたが、佐文が10歳と幼かったので、叔父(佐文の父の弟)の龍佐民が後見人になっていました。つまり実質的には龍家の当主です。

 

龍家は名家なので、佐民は島民の代表として、島に来た吉之助の世話をしてくれたのかもしれません。

 

そして吉之助の世話をしたり、子どもたちの教育を吉之助に依頼するなど、島の人々と交流を深められるようにしてくれました。

教えを受けた子どもの中には、龍家の跡継ぎ・龍佐文もいました。

 

もしかすると佐民は、搾取するだけの薩摩の役人とはどこか違うものを吉之助に感じたのかもしれません。

島に馴染めなかった吉之助を助けてくれた龍佐民と妻・石千代(石千代金)

 

もし龍佐民や妻・石千代(石千代金)たちがいなければ、吉之助はずっと馴染めず、傷ついた心は癒えないままだったかもしれません。

 

元々、情に熱い吉之助ですが、親切にしてもらったので余計に奄美大島の人々に対する気持ちも違っていたのだと思います。

 

今回の大河ドラマ『西郷どん』では、龍佐民を柄本明さん、その妻・石千代金(いしちよきよかね)は木内みどりさんが演じます。

心温まるシーンの一つになるのではないでしょうか。

 

島人 龍佐民・石千代金・富堅・愛加那達との出会い

 

島人 龍佐民・石千代金・富堅・愛加那達との出会い

 

藩主・斉彬の死で、心にぽっかり穴が空いた西郷吉之助と、安政の大獄で追われる身となった月照は、冬の鹿児島錦江湾に身を投じました。

 

しかし西郷吉之助は奇跡的に蘇生し、月照は亡くなるという悲しい結末に…。

 

そんな状態でしたがお尋ね者となっていた吉之助を守るため、薩摩より奄美大島にて身を隠すように命じられました。

そして1859年に奄美大島へ。

 

吉之助は名前を菊池源吾(きくち げんご)と名前を変えて島にやってきましたが、あまりに違う習慣が多く、島の生活に馴染めないでいました。

そんな中、吉之助を助けたのが島の代表・龍佐民(りゅう さみん)です。

 

そして、吉之助の世話をしてくれたのが龍佐民と妻の石千代(ドラマでは石千代金といいます。)でした。

 

龍家は先祖代々奄美大島で暮らしている名家で、祖先は、笠利為春(かさり ためはる)

15世紀の琉球の尚稷王(しょうしょくおう)の孫だとされている人物です。

 

龍佐民は、琉球から渡ってきた由緒ある豪農で、サトウキビの栽培、黒糖生産など手広く行っていました。

抱えている使用人は、年貢を払えず使役につく「家人(やんちゅ)」たち。

 

当時奄美大島は、貴重品だったサトウキビの生産地で、サトウキビからつくられる黒糖は薩摩藩の大きな収入源でした。

 

サトウキビの生産農家に対し、畑のサイズに準じて、各々負担するノルマが割り当てられていて、その内容は非常に厳しく、取り立ては過酷なものでした。

 

ノルマが達成出来なかった農民は島役人に拘束され、激しい拷問を受けていることを知り、そんな非情なやり方に憤りを感じた吉之助は、在番役人の相良角兵衛に面会を求め、農民たちを解放するように迫りましたが、相良角兵衛は役人風を吹かせて傲慢に…。全く聞く耳ももちませんでした。

 

吉之助はその態度に腹を立て

おはんが態度を改めんのなら、おいにも考えがありもす。直接藩主公に対して事の顛末を報告するから覚悟されよ!」と言い放ち、役所を後に。

 

すると態度を一変し、吉之助の要求を聞いて農民たちを解放したそうです。

吉之助はやはり優しい人で、困っている人を放っておかない性格だったようです。

 

他にも、島で病気の人やお年寄りが困っていると、自分の扶持米を分け与えることも多かったとか。

 

今まで薩摩藩の苛烈な搾取に屈してきた佐民には、吉之助のこの行動が少々奇異にうつりました。

お侍なのに島の人々の立場に立つ不思議な男だなぁ。と…。

 

しかし、こうして生活していくなかで自然に島の人々に慕われ、信頼を得ていき、島の人々は吉之助に魅了されていきます。

 

そして、佐民は一族の龍佐栄志の娘との縁談を吉之助に勧めました。

その女性こそが、のちに吉之助が最も愛したと言われる愛加那(あいかな)です。

 

愛加那には兄・富堅(とがし)がいるのですが、富樫にとっては薩摩のイメージは悪く、結婚は反対していたみたいです。

 

愛加那の父・龍佐栄志は薩摩の役人と縁組させ、人脈を築くなどメリットがあると判断したのでしょうか。

 

事実、吉之助が薩摩に帰国すると奄美の人々の待遇を改善するために薩摩藩上層部に訴えています。

 

龍家としては吉之助と親しくすることは奄美のためになると思ったのかもしれませんね。

 

吉之助と愛加那との婚礼では、叔父の龍佐民とその妻・石千代ともに媒酌人を務めたといわれています。

 

愛加那との出会いや奄美での暮らしが吉之助の心を癒やし、奄美大島の人々への偏見を改めるきっかけになりました。

 

大河ドラマ『西郷どん』では愛加那と吉之助とは恋愛結婚の末に結婚。

と史実とは違う展開で、ドラマチックに設定されているそうなので楽しみですね。

 

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富堅は吉之助になかなか心を開かなかった

 

富堅は吉之助になかなか心を開かなかった

 

愛加那には兄がいます。名前は富堅(とがし)

 

富堅は薩摩藩に強い嫌悪感があり、吉之助のことを知ろうともせず今まで見てきた役人と同じ嫌なイメージの先入観から、初めは警戒してなかなか心を開こうとしませんでした。

 

そんな中、妹の愛加那との結婚の話が持ち上がり、妹のことを心配した富堅は猛反対。

妹思いの優しいお兄さんだったのですねぇ〜。

 

そりゃそうですよね。

愛加那と吉之助が結婚するということは、愛加那は島妻になる。ということです。

 

薩摩から来た役人や、薩摩から送られてきた罪人が島にいるときだけ妻にする女性のことを島妻(あんご)と言うのですが、これは、愛人とか現地妻のことを指し、男が薩摩に帰るとき島妻は、薩摩には連れて帰れないきまりになっていました。

 

兄としては苦労するかもしれない妹を心配するのは当然だと思います。

 

しかし、産まれた子どもは郷士格で、島内では高い身分になり、家族も恩恵をうけることができました。

 

当時、薩摩に重い税をかけられ、差別的な扱いを受けていた奄美大島の人々にとって、島妻は苦しい生活から逃れるための手段の一つで、娘を島妻にする家も珍しくなかったようです。

 

愛加那の実家は奄美では有力者なので、この理由は合わないですよね。

きっと、吉之助の人柄に惹かれたのだと思います。

 

無骨な態度だった兄・富堅は、愛加那と吉之助の愛し合う姿や吉之助が島の人々のために奮闘する姿を見て、妹のために…。と少しずつ認めるようになり、菊池源吾(吉之助)の深い心に魅了され、愛加那との暮らしを応援するようになります。

 

ドラマでは富堅役を高橋 努さんが演じます。

愛加那役は女優の二階堂ふみさんが演じます。

 

島での暮らしは時代もどんどん動いていくので、どんどん面白くなると思います。

目が離せませんね。

 

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