大河ドラマ【西郷どん】で、北川景子さん演じる篤姫と仲良く遊んでいる、島津斉彬の息子・『虎寿丸』を演じるのは、子役の藤本悠希さん。

大きな目がチャームポイントで可愛いですね。

 

さて、その島津斉彬の息子、虎寿丸ですが幼いまま亡くなってしまいます。

篤姫らの悲しみは大きく、しかも、その死の原因が『お由羅の呪い』ではないかと言う事ですが・・・

 

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虎寿丸役は『藤本悠希』!島津斉彬の息子を演じる!

 

画像引用元:http://www.hirata-office.jp/talent_profile/hirata_beans/boy/fujimoto_yuki.html

 

大河ドラマ『西郷どん』でカッコイイ名君として登場しているのは、島津斉彬。

そしてその息子、『虎寿丸(とらじゅまる)』役を演じるのは、藤本悠希さん。

 

愛くるしい大きな目が、可愛らしい虎寿丸を演出してるなぁと思います。

北川景子さん演じる篤姫と、相撲を取ったり、ホントに可愛い虎寿丸。

 

でも、幼いまま亡くなってしまう運命なんですよね。。。

男らしくてキリっとした島津斉彬ですが、息子の虎寿丸が亡くなってしまっても、平静を装います。

 

それは、幾度となく子供を亡くしてしまった事や、自分のやるべきことに没頭していたのか・・・

 

島津斉彬はめちゃくちゃ優秀で評判もよく聡明な人物。

長男ですから、跡を継ぐのはごくごく自然なことですが、斉彬は43歳になるまで藩主にはなれませんでした。

 

それは父の斉興と斉彬は、政治方針の違いや家督相続などで対立し、二人の間に確執があり、斉興が家督を譲るのを渋っていたからです。

その陰には理由がありました。

 

一つは、斉彬の曽祖父は西洋のことに興味があり、お金を惜しみなく使った結果、藩は莫大な借金を抱えました。

その曽祖父の生き写しのような性格の斉彬を見ていると、斉興は、少しずつ立て直した藩の財政がまた崩れるのではないかという心配があったのです。

 

二つ目は、父 ・斉興は18歳で「薩摩藩主」に就任したのですが、祖父がなくなるまでずっと実権を握られていたので、藩主とは名ばかり。

やっと誰にも指図されず藩主ができるのに、次に譲るのはちょっと…ってなことで、渋っていました。

 

島津斉興には正室と4人の側室がいて、養子を入れて7人の子どもがいました。

そして1824年正室(周子)が死去。

 

お由羅の方は、そこから「御国御前」と呼ばれ、正室と同格の待遇を受けるようになり、実の子の島津久光の藩主就任を謀るように。

 

そして、島津斉彬の廃嫡を目論見ます。

 

この家督争いが有名な「お由羅騒動」となるのですが、その頃に、斉彬の長男の菊三郎が若くして亡くなったので「お由羅の方の呪詛のせいだ。」と、噂がたちました。

 

その後も斉彬の子どもが、次々に若くして亡くなってしまい、成人したのは3人の娘のみ。

 

何とか藩主の座を勝ち取った斉彬は、喜久との間に「虎寿丸」をもうけましたが、この虎寿丸も6歳で亡くなり「お由羅の呪いか?」と再び噂が広まります。

 

当時は医学も発達していませんし、栄養面や衛生面からも子どもを育てるのは大変なことでした。

 

小さい頃に亡くなるのは珍しくはありませんでしたが、お由羅が自分の子である久光を、藩主にするために呪いをかけたと噂されたのです。

 

それにしても、男の子ばかり…。

お由羅の呪いのせいだと思われたのもわかる気がしますね。

 

島津斉彬の息子・虎寿丸

 

島津斉彬の息子・虎寿丸

 

島津虎寿丸は、斉彬の五男として1849年に誕生しました。

 

大河ドラマでは、虎寿丸と寛之助の母は「喜久(きく)」になっていますが、史実に残る母は旗本・横瀬克己の娘になっているので「喜久」という名前かは不明なので、大河ドラマの架空人物となりますね。

 

虎寿丸は、兄たちが「お由羅騒動」前後に亡くなっていた為、嫡男として周囲から期待され、大変かわいがられて大切に育てられていましたが、結局、虎寿丸も1854年6歳でなくなります。

 

虎寿丸は京都の公卿で、薩摩藩と縁が深かった近衛忠煕の娘  信君(のちの津軽尹子)との縁談(許嫁の話)も進んでいたのに残念です。

 

斉彬は子どもがたくさんいましたが、みんな短命で、成人した女の子3人もわりと早くに亡くなられているみたいです。

 

本当の意味では子宝に恵まれていなかったのかもしれませんね。

 

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虎寿丸の死はお由羅の呪い?

 

お由羅騒動と虎寿丸の死は関係あるの?

 

さて、島津斉彬の五男「虎寿丸」の死と、お由羅騒動とは関係があるのでしょうか。

整理してみていきたいと思います。

 

まず「お由羅騒動」ですが、島津斉興と側室・お由羅の方の子ども『島津久光』を擁立しようと画策したことから始まります。

 

お由羅騒動で島津斉彬は追い詰められますが、第12代将軍・徳川家慶により島津斉興は隠居することになります。

 

そうしてようやく島津斉彬は藩主になりました。

 

しかしこの時、島津斉彬はお由羅の方とその一派を処分しなかったので、お由羅の方たちはそのまま薩摩藩の中に残りました。

 

また、時は幕末。

色々と難しいこの時代。

 

薩摩藩主・島津斉彬の活動はとても目立っていたので、薩摩藩内だけでなく薩摩藩外でも多くの敵がいたと考えられています。

 

島津斉彬には11人の子どもがいましたが、このうち成長したのは女の子3人だけで、後継の可能性があった6人の男児は全て若くして病死しています。

で、出てくるのが数々の噂です。

 

噂の内容は、お由羅の方が息子を藩主にしたくて呪ったとされる呪殺説や毒殺説があります。

 

もちろん、呪殺説は現代でも科学的根拠はありませんし、毒殺説にしても明確な証拠はありませんが、島津斉彬には身内にも敵がたくさん存在していたこともあり、毒殺説を唱える人も多いようです。

 

それ以外にも、原因は家系にある。という考え方もあります。

斉彬の母・弥姫(周)は、鳥取藩主・池田氏の出です。

 

この池田家は、短命の家系であったと言われていて、実際に弥姫も32歳の若さで亡くなっています。

 

科学的に家系が寿命に関係しているのか、認められているのかは定かではありませんが、斉彬の子供に対する噂としては毒殺説や呪殺説だけでなく、家系によるものと考える人もいるようです。

 

この時代は医学が未発達だったので、乳幼児の死亡率は高かったようです。

そう思うと斉彬は11人の子どものうち3人成人したので、良い方と言えると思います。

 

ただ、男の子が全員生き残らなかったことが、後継者がいなくなるということで、この時代色々な噂がたったのだと思われます。

 

タイミング的に自分の子どもを藩主にしたかった、お由羅の方が呪ったという噂がたつのもわかる気がしますね。

 

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