大河ドラマ【西郷どん】で、品川宿の旅籠『磯田屋』で働く、ふきの同僚のタマが倒れた際、正体不明の医者として登場するのが、風間俊介さん演じる橋本左内です。

橋本左内は、一橋慶喜を次期将軍にする為に吉之助と力を合わせていく事になります。

そうして、吉之助にとって橋本左内は、生涯尊敬し続ける人物になるのです。

さて、そんな橋本左内とはどんな人物なのでしょうか。

 

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『西郷どん』で磯田屋のタマを助ける医者は橋本左内!

 

『西郷どん』で磯田屋のタマを助ける医者は橋本左内!

 

まずはじめに、大河ドラマ『西郷どん』にタマって?誰?と、思った方、結構いるのではないかと思います。

 

ペットの名前みたいな「タマ」という名前の正体は、品川宿の旅籠「磯田屋」で働く飯盛女・高梨臨さん演じる「ふき」の仲の良い同僚です。

 

飯盛女というのは、江戸時代、遊郭の取締が激しくなり遊女(女郎屋の女性)は「飯盛女」と呼ばれるようになりました。

(しかし、現在の仲居の様な仕事として、給仕を行う女性も飯盛女と呼ばれる場合もある)

 

磯田屋」には、大山格之助、有村俊斎が入り浸っていて、特に大山格之助はタマにぞっこん!!

 

タマは男性からモテモテで、アイドル的な存在。という役どころです。

 

史実では大山格之助が、江戸や京に滞在中の愛人の名前は残っていないので、「タマ」という女性は、大河ドラマ『西郷どん』のオリジナルキャラクターのようですね。

 

タマを演じるのは田中道子さん。

小顔で9頭身のスレンダー美女!!

 

画像引用元:http://www.vip-times.co.jp/?s=&sc=st&w=%E7%94%B0%E4%B8%AD%E9%81%93%E5%AD%90

 

色気たっぷりの、めちゃめちゃ綺麗な女優さんなので、この役にぴったりですねっ!!

 

で、そのタマがドラマの中で突然倒れるのですが、その場面に偶然出くわしたのが、西郷吉之助と大山格之助です。

 

吉之助は、「ヒー様」の正体を確かめるべく品川宿の磯田屋を訪れていました。

 

あわてふためく店内に「誰か、お医者様はいませんか?」の声に反応したある男が、橋本左内です。

 

橋本左内もまた吉之助や「ヒー様」の動向を探っていて、丁度、店内にいたのです。

 

橋本左内は元、藩医という異色の経歴の持ち主で、手際よくタマに治療を施して立ち去りました。

 

こののち「将軍継嗣問題」で、大老・井伊直弼が推していた徳川慶福が14代将軍徳川家茂となると、井伊直弼の力が増していき、反対派を次々と処刑、謹慎処分にします。

 

つまり「安政の大獄」です。

 

橋本左内は一橋派である主君・松平春嶽の右腕として活躍していたので、投獄ののちに斬首となりました。

享年26歳でした。

 

橋本左内とは

 

橋本左内とは

画像引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki

 

大河ドラマ『西郷どん』で、磯田屋の飯盛女・タマが倒れたとき、吉之助やヒー様の動向を探るため、店内に居合わせていた元、藩医の橋本左内が手際よく治療を施して助けます。

 

今回、橋本左内役は風間俊介さんが演じますね。

どんな雰囲気の橋本左内になるんでしょうかねー。なんとなく可愛い雰囲気になる予感がするんですけど。。。(^^)

 

史実とは少々異なりますが、このシーンはドラマの展開に重要なシーンになると思います。

 

では、この橋本左内とは、どのような人物なのでしょうか。

簡単にご紹介したいと思います。

 

橋本左内は幕末の志士で、医師、政治思想家として知られています。

1834年、福井城下の常盤町、福井藩の藩医・橋本長綱の長男として生まれました。

 

小さい頃から学問が好きで、10歳で『三国志』全65巻読破。

内容も理解していたそうです。

 

15歳の時、自分の志しを示した、行動指針ともいうべき「啓発録」を記しました。

 

 

1. 「稚心(幼い心)」を去り

(大人に頼る子供っぽさは捨てる)

 

2. 「気を振るい(負けじ魂を持ち)」

(士気を鼓舞してゆく)

 

3. 「志を立て」

(志を立てる)

 

4. 学問に「勉め」

(勉学に励む)

 

5. 「交友」を択ぶ

(よりよい人付き合いを目指す)

 

 

と、5つの事の実践を自分に課した内容で、15歳の少年が書いたものとは到底思えない程きっちり記された文章。

まさに神の子ですね。

 

啓発録』は現代語訳も出版されていて、今でも学生さんやビジネスマンの間で人気なのだそうです。

 

話は戻ります。

藩の医学校で漢方医学を学び、16歳で大坂へ。

 

緒方洪庵の適塾に入門して蘭学や西洋医学を学び、ここでもズバ抜けた秀才ぶりで、洪庵は「他日、塾名を上げる者は左内」と語ったそうです。

 

適塾時代には、梅田雲浜横井小楠といった思想家との出会いがあり、かなり影響を受けたようです。

 

また、エピソードとしては、夜中に塾を抜け出すと、天満橋の下にいる貧しい人たちに無償で治療を施して、栄養のある食べ物を食べさせていたそうです。

 

橋本左内は、「学んだことを、今生きている人の役に立たなければ実学ではありません。」(学問は実際に役に立てなければならないということ。)と、言っていたそうです。

 

そして帰藩し、父の跡を継いで藩医となりましたが、学問をもっと研鑽したいと、21歳の時に藩の許可を得て江戸遊学に出るようになり、坪井信良杉田成卿らに蘭学を学び、西郷吉之助(隆盛)、水戸の安島帯刀藤田東湖、松代の佐久間象山らに接することになります。

 

西郷吉之助は橋本左内について「その才器、学問、識見、到底自分は及ばない」と語り、藤田東湖は「福井にこの人あり」と評しています。

 

24歳で藩校・明道館の学監心得に任じられると、教育改革に取り組み、藩校に洋学を導入するよう尽力しました。

 

これらの仕事ぶりが藩主・松平慶永(春嶽)の耳に入り、藩主の側近となります。

 

当時、幕府は、米国との通商条約調印問題や、14代将軍の継嗣問題に直面していて、橋本左内は藩主の手足となり奔走します。

 

将軍継嗣問題では一橋派の一翼を担って幕政改革を唱え、幕藩体制を維持しつつ、西欧の先進技術の導入を図りました。

 

それは、当時としては極めてまっとうな意見と言えるものでした。

 

しかし、対立する井伊直弼が大老に就任すると、反対派諸侯は厳罰に処され、主・松平慶永も隠居、謹慎に処され、松平慶永の右腕として活躍していた橋本左内もまた謹慎となりました。

 

翌年、将軍継嗣問題介入を理由に小伝馬町の獄舎で斬首されました。

安政6年10月7日(1859年11月1日)享年26歳。

 

一説にオランダ語だけでなく、英語、ドイツ語も理解し、和漢の書に通じていたといわれる橋本左内ですが、早すぎる死が惜しまれました。

 

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橋本左内と西郷隆盛の関係!

 

 

西郷隆盛が生前、「先輩としては藤田東湖に服し、同輩としては橋本左内を推す。この二人の才学器識は、吾輩の及ぶところでは無い」と、評しています。

 

これはつまり同世代で、橋本左内は当代一級の人物だということです。

 

西郷隆盛が西南戦争で自害する時に持っていた革文庫の中に橋本左内と「将軍継嗣問題」の頃にやりとりした手紙が入っていました。

 

最期のときまで手元に手紙を置いているところをとりあげても、二人は親しかったことがわかります。

 

西郷隆盛を魅了し影響を与えた、橋本左内という人物。

さて、この二人の関係は?というと・・・

 

西郷吉之助(隆盛)が、江戸の鹿児島藩の屋敷に住んでいたある日、友だちや力士を集めて相撲をとっている時に橋本左内が会いにきました。

 

橋本左内は、二十歳くらいの、色白で女性みたいな雰囲気のやさしい若者でした。

 

西郷はたいした人物ではないと、心中で見くびっていたのですが、そのことを橋本左内はさとりました。

 

ですが、あまり気にせずに橋本左内は「これまでいろいろ国事にお骨折りになっていると聞いて、したわしく思っていました。私もあなたの教えを受けて、及ばずながら、国のために尽くしたいと思います」と言ったそうです。

 

ところが、隆盛はそしらぬ顔。

 

それは大変なお間違いです。私のような愚か者が國のためをはかるなどとは、思いも寄らぬことです。相撲好きで、御覧の通り毎日相撲をとっているばかりです

と、全く相手にしませんでした。

 

それでも、橋本左内は國事につて自分の意見をのべると、意外にも考えがしっかりしていることが解り、西郷はすっかり感心したそうです。

 

西郷は、橋本左内が帰ってから「橋本はまだ年は若いが考え方は実に立派なものだ。見かけだけで判断して、初めは相手にしなかった事は、自分の大きな過ちであった」と恥じていたそうです。

 

西郷は、翌朝橋本左内を訪ね、昨日のことを謝ったそうです。

それから二人は親しくなり、心をあわせ国の為に人尽しました。

 

橋本左内が死んだ時、「ああ、貴き人物を! 悲憤耐えがたき…」と落涙し限りなく嘆いたといいます。

 

のちに西郷は、「学問も人物も、自分がとても及ばないと思った者が二人。藤田東湖、橋本左内だ」と褒めました。

 

もし、橋本左内が安政の大獄の犠牲にならず生きていたら、西郷隆盛と志共に、明治を生きていたのかと思うと、見てみたかった気がします。

 

優秀で先進的な考えかたのできる橋本左内。

幕末維新の動乱期、運命に翻弄され若くして命を落としたのでした。

 

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