今回の大河ドラマで、西郷琴役を演じるのは、大河ドラマ初出演の桜庭ななみさんです。
桜庭ななみさん演じる琴って、本当に〝しっかり者〝の妹だったんでしょうか?
『西郷どん』の主人公・西郷隆盛の妹、西郷琴に迫ってみたいと思います。
目次
桜庭ななみ大河ドラマ初出演!
大河ドラマ『西郷どん』で、桜庭ななみさんが初出演します。
役柄は、西郷隆盛の妹『琴(こと)』です。
桜庭ななみさんの事を、あまり知らない人のために、少しご紹介します。
結構、CM、映画、ドラマに出演されていますし、見たことある人の方が多いと思います。
特に印象深いのが、大手不動産『三菱地所』のCMです。
2010年から出演されていますね。
もはや三菱地所のイメージキャラクターといってもいいのではないでしょうか。
映画では数々の賞も受賞されていますし、趣味味は、ピアノとアコーディオン。
いや~、楽器を弾ける人って尊敬しますね~。
特技は、中国語は北京語中級レベル以上、韓国語は日常会話レベルだそうですよ。
多才だし、語学堪能なんですね〜!
ドラマ『ふたつのスピカ』出演時には、着衣水泳のシーンを演じているのですが、元々はカナヅチだったみたいです。
事前に特訓したんですってよ! スゲー!
数々のエピソードを聞いているだけでも、努力家なのが伝わります。
桜庭ななみさんは、肝っ玉お姉さん『西郷琴』を、どんなふうに演じるのか?!
それに鹿児島県出身だし、方言はバッチリでしょうね!
西郷吉之助(隆盛)の妹、西郷琴とは
西郷琴(市来琴)は7人兄弟で、西郷吉之助(隆盛)の5歳年下の妹として生まれました。
生まれた順番は二番目の子どもで、長女です。
嘉永5年(1852年)に祖父、父、母と次々に亡くなります。
こんな時、長男の吉之助が家族の面倒をみるのが普通の時代でしたが、吉之助は忙しくて、ほとんど家に帰って来られない状態でした。
吉之助は結婚してからも、家を留守にしている事が多く、琴は母親代わりとして兄弟の面倒を見ながら西郷家を支えていました。
琴は、吉之助が最初の結婚をしてからやっと嫁ぐ事になります。
その相手は、島津斉彬の側近薩摩藩士、市来正之丞です。
琴の夫、市来正之丞と吉之助は仲がよかったそうです。
琴の子どもは3人説と5人説などの諸説ありますが、西郷琴が嫁いだのは、継室のような形での結婚だった可能性も捨てきれません。
立派に成長した子どもたちをみてみると…。
市来嘉納次
→慶応4年に戊辰戦争にて戦死。
市来宗介
→明治5年に西郷菊次郎(西郷吉之助の2人目の妻・愛加那の子)を連れアメリカ留学。
西南戦争では、西郷隆盛とともに新政府軍と戦うが戦死。
市来宗五郎
→市来宗介とともに西南戦争で西郷隆盛側につく。戦死。
と、子どもたち3人も戦死しているんです。
しかも全て、兄の西郷隆盛がらみです。
母として毅然として今の現状に立ち向かう姿を想像すると、言葉を失います。
市来琴は、市来政清(市来正之丞)が亡くなった後、西郷隆盛が西南戦争の際、明治政府に反抗したので、しばらく身を潜めて生活していました。
そして西郷隆盛の罪が許され、そののち妹の大山安子(西郷吉兵衛の次女、5番目に誕生した。のちの、大山巌の兄の妻)とともに東京に移ったとされています。
その後、1913年(大正2年)に80歳で亡くなります。
最期まで弱音を吐かず、周りの人たちに合わせて、最善を尽くす女性だった様ですね。
たくさんの愛する人の死を経験し、そして強く生きていくというのは、並大抵ではないだろうなぁと思います。
この時代の女性達を、ホント尊敬しますね。。。
西郷琴は吉之助(隆盛)を手玉に取るしっかり者!
なぜ、西郷琴は吉之助を手玉に取るしっかり者!と、いわれるのでしょうか。
それはきっと、兄の吉之助(隆盛)の性格(とってもお人好し)が原因なのでしょう。
人がいいから妹がしっかり者?というのはなんだか変ですけど、どうやら他人様に親切にし過ぎて、家族が犠牲になっていた部分がある様です。
西郷隆盛の家は下級武士で、兄弟姉妹も多かったので、家系は火の車でした。
更に、祖父、父、母が、同じ年に次々と病死してしまい、収入源は長男の吉之助(隆盛)だけになってしまい、余計に苦しくなる一方です。
家族で協力して生計を立てていましたが、兄の吉之助(隆盛)は困った人をみつけると、ほっておけない性格で、自分の家もお金や食べ物に困っているというのに、自分の給与もお弁当もぜ〜んぶあたえてしまっていたようです。
助けずにはいられない…それが西郷どん!!
これには、家族も呆れ返っていたそうですよ。
優しい性格だと思いますし、いい話なんですけど、ここまでくると、笑っちゃいますよね。
素直というか、本当に心綺麗でまっすぐな西郷どん。
そりゃあ誰からも好かれるはずだわっ!と、思いました。
そこで登場するのが、妹の琴。
母に代わって、家の中を切り盛りします。
こんな兄がいたら、自然としっかりしてしまうのかもしれませんね。笑 ^^;
女性の史実は残されていないことが多く、非常に情報が少なく、西郷琴の生涯も詳しく記す文献が残念ながらあまりありません。
しかし、このわかっている事実からみても、琴は、かなりの〝しっかり者〝だったと思われます。
そして、西郷隆盛はきっと、琴にはあたまが上がらなくて、いい意味で手玉に取られていたのかもしれませんね。