芸人で小説家のピース・又吉直樹さんが大河ドラマ【西郷どん】で徳川家定を演じます。

さて、徳川家定は『うつけ』と呼ばれ、奇行な行動をとっていた。という事は、ご存知ですか?

 

なぜ奇行と言われるのか?

その辺りも含め、ピースの又吉直樹さんが演じる徳川家定について、紹介していきます。

 

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ピース又吉直樹大河ドラマ初出演!

 

画像引用元:https://www.amazon.co.jp/%E5%8F%88%E5%90%89-%E7%9B%B4%E6%A8%B9/e/B004LW84ME

 

ピースの又吉直樹さんが、大河ドラマ【西郷どん】で徳川家定の役を演じる事になりました。

 

西郷どん】は、明治維新から150年となる、記念すべき57作目の大河ドラマです。

 

徳川家定といえば、記憶に新しいところでは、以前の大河ドラマ『篤姫』では、堺雅人さんが演じていました。

 

それを今回は、ピースの又吉直樹さんが演じるんですねー。

やっぱこの大抜擢は、芥川賞も取ったし・・・ってな事もあったんやろか・・・^^;

 

さて奇行な行動で、『うつけ』と呼ばれていた徳川家定。

 

難しい役だとは思いますが、近寄りがたい雰囲気があって、かつ奇行を表現するという役は、又吉さんにうってつけの役ではないでしょうかね~。

 

脚本家の中園ミホさんは

 

『又吉さんっていいわよね。

不思議な魅力のある方。ミステリアスでちゃんとしているのか、ちゃんとしていないのかわからない家定にしっくりきた』

 

と説明されてました。

なるほど納得!

 

又吉さんが演じる家定は、江戸幕府13代将軍。

北川景子さん演じる於一(篤姫)の夫となる人物です。

 

豪華俳優陣に囲まれて、又吉直樹さんはどう奇行な家定の存在を表現するのか。

又吉さんの良さを、存分に発揮して欲しいですね。楽しみです。

 

第13代将軍・徳川家定

 

画像引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki

 

徳川家定は、文政7(1824)年、第12代将軍・徳川家慶の四男として、江戸城で生まれました。

 

父である徳川家慶なんですけど、14男13女の子供をもうけたそうです!

かなりの子だくさんやん!!

 

でも更にすごいのが、成人まで生き残ったのは家定だけだったんですよ!

こんな偶然ある~??

 

暗殺されたんちゃうん?とつい思ってしまうんですが・・・^^;

しかし、この家定もかなりの病弱な体だったんで、系統なのでしょうかねぇ。。

 

しかも家定は、人付き合いも苦手だった様で、人前に出るのをとても嫌っていた。というんですよ。

 

それをワガママと言うのか、性格や精神的な事だから仕方がない。と言うのか・・・

難しいところですよね。

 

しかし、嘉永6(1853)年には、父である家慶がとうとう亡くなってしまいます。

 

家慶自身は、家定にあとを継がせるのは心配だった様で、一橋家の徳川慶喜に継がせようとしたのですが、阿部正弘らに反対されたので、結局は家定が第13代将軍となるのです。

 

しかし、家定は将軍になってから、たった5年でこの世を去るのです。

35歳でした。

 

なんだか早すぎますよね。

きっと、将軍になる事が本当に嫌だったんだろうなぁと思ったりします。

 

さて、次はそんな家定が何故『うつけ』と呼ばれてしまうのか・・・について触れてみたいと思います。

 

徳川家定はうつけと呼ばれた不思議な殿様?

 

 

徳川家定はなぜ不思議な殿様、『うつけ』と言われていたのでしょうか。

 

うつけというのは、ぼんやりしている・まぬけ・馬鹿者といった、当時の表現です。

 

さて、その『うつけ』と呼ばれる原因かと思われる、エピソードをいくつかお話したいと思います。

 

・幕臣との大事な会議をしている時に、豆を煎てザルからザルに取り分けて喜んでいた…?

 

・庭を駆け回っていた…?

(運動機能障害だった、との説も)

 

・ハリスを江戸城に迎え、アメリカ大統領のメッセージに返事をしようとした時、家定は沈黙ののち、頭を左肩をこえて後ろへぐいっと反らし、同時に足を踏み鳴らした。

 

・顔が、目や口が痙攣(けいれん)することもあり、「一見笑うべき奇態」と表現されています。

癇癪持ちだったとも言われていますが、それはこうした顔面のけいれんが原因と考えられます。

(家定は脳性麻痺だったとの説も)

 

・お伺いに上がる家臣をうるさがる。

(知的障害があったという説も…。)

 

このような奇行エピソードが数多く残されている家定ですが、『暗愚ではなかった。』と、いう意見も最近出てきました。

 

なぜ新たな見解がみられたかと言うと、ハリスとの引見の際に、あらかじめ用意されていた文面

遙か遠き国から使節を託して寄せられた書簡に接して、欣快である。同時に使節の口上にも、満足を覚ゆる。永遠の交誼を望む。

を、間違えることなく述べたからだ。と、言われています。

 

家定は、発言前には不随意運動は見られたものの、引見の際には詰まる事なくスムーズだったそうです。

 

また、政治のことは何もわかっていないと、言われていた家定ですが、気の知れた人とは議論することも、あったそうです。

 

将軍として自分の意見をしっかり持ち、内憂外患だった当時の政治状況に心を砕いていたとされています。

 

運動障害、軽度の知的障害、疱瘡により顔にアザがあったことも重なり、家定が周囲の目を気にしていたことは想像に難くないですが、『暗愚』と呼ばれるほど将軍職に無関心ではなかったようです。

 

おそらく、平和な江戸時代に生まれたら、このような悪評は受けなかったのではないかと思います。

 

幕末に生まれて、しかも、お家柄も徳川家で…。

人間は誰でも、得意・不得意があるものですが、考慮してもらえた例はごくわずかです。

 

健康で負けん気が強ければ、立ち向かっていけたのでしょうが、多くの場合は周囲に押し切られてしまいます。

 

徳川家定も幼い頃から病弱で、脳性麻痺であったとも言われていましたので、本人は色々な思いを抱いていたのではないかと想像します。

 

不思議と言われるのは、周囲が思い描く将軍像とは随分、かけ離れていたからではないでしょうか。

 

当時は、陰険な派閥や実権争いが激しさを増して、暗殺、毒殺に巻き込まれないように、わざと奇行な行動を繰り返して〝ダメ将軍〝と、言われるようにして、周りに変人ぶりをアピールすることで、自らの命を守っていた。

 

という説も実は、あるんですよねー。

 

そうだったとしたら、逆にスゲー!と思いますけどね。。。^^;

諸説は色々ありますが、やはり本当のところは、謎に包まれています。

 

大河ドラマ【西郷どん(せごどん)】キャスト表!

 

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