数々の浮き名を流したと言われている坂本龍馬。
恋人や想い人といわれる女性はたくさんいたようですが、龍馬の妻といえば、やはりお龍(おりょう)ではないでしょうか。
今回の大河ドラマ『西郷どん』では水川あさみさんが演じます。
お龍といえば、京都の旅館・寺田屋で襲われた龍馬を機転をきかせ危機一髪、命を救ったことや龍馬と日本初の新婚旅行に出たというエピソードは、知られていますよね。
龍馬にとっては、まさに運命的な女性。
このドラマティックなエピソードの持ち主ですが、性格は男勝りで気性が荒く、周りの人が、ずいぶん手をやいたようです。
お龍ってどんな人物だったのでしょうね。
その辺り、簡単にまとめてご紹介したいと思います。
目次
お龍(おりょう)役は水川あさみが演じる!
今回、大河ドラマ『西郷どん』でお龍役を演じるのは、美人で声に特徴のある水川あさみさんが演じます。
水川あさみさんはドラマやCM などで見ると、うっとりしてしまう美しい女優さんですが、バラエティーに登場する水川あさみさんは、とっても明るくて、さばさばしていてる印象ですよね。
なんだか飾らない感じで、“ 素 ”の表情は、とても爽やかなイメージの女優さんです。
なんでも水川あさみさんは、小学校5年生の時にテレビで安達祐実さん主演の『家なき子』を観て、『自分もこんな事(女優さん)がしたい!』と思い、母親に相談したそうです。
そうして13歳の時に芸能事務所に入り、こんなに有名な女優さんになったんですね。
なんと言いますか、希望通りに女優さんになれる事自体、元々才能と美しさも持っていたから!という事なんでしょうねー。(*´ω`*)
さて、坂本龍馬の妻・お龍(おりょう)さんはモテたようなので、水川あさみさんはキリッとした目をしていらっしゃるところなんかは、気のきつい男勝りなお龍とマッチしそうです。
まさにぴったりな役だなぁと思いますね!
登場シーンが楽しみです。。。
坂本龍馬の妻、お龍(おりょう)とは!
画像引用元:http://ryoma-honeymoonwalk.com/sightseeing/
さて、水川あさみさんが演じる坂本龍馬の妻は、一般的には通称「お龍(おりょう)」と呼ばれていますが、名前は、楢崎龍(ならさきりょう)といいます。
1841年7月23日父・楢崎将作、母・貞の長女として、京都富小路六角辺りで生まれました。
弟が二人、妹が二人いたので、しっかりしたというか、守らないと!と思ったのか、かなり勝ち気で気が強い性格だったと言われています。
父は宮家付きの医者だったので、相当裕福な暮らしでした。
茶道や華道などを嗜む(たしなむ)女性に育てられたそうです。
そんなある日、父が、大老・井伊直弼が行った「安政の大獄」で捕らえられ、解放直後に病死。
お龍一家は、たちまち困窮となります。
妹たちは島原の舞妓や、大坂の女郎に売られてしまいます。
それを知ると、お龍は妹たちを取り返しに刃物を懐に抱え行った。というエピソードが残されています。
その他にも、海援隊(坂本龍馬が設立した株式会社「亀山社中」を基礎に創設された貿易集団)メンバーを見下した態度をとっていたようで、相当いやがられていたと隊員が証言していたそうです。
残されたエピソードはどれも、過激な性格だったことが伺えるものばかりのようですので、修羅場をいくつもくぐり抜けてきた坂本龍馬の妻らしいっちゃ、妻らしいですよね。
さて、お龍は坂本龍馬の妻として知られていますが、坂本龍馬は各地を駆け回っていたので家にいることが殆どなく、一緒に過ごした時間は少なかったとか。
そのため、お龍単体のエピソードはいくつかあるのですが、龍馬とお龍のエピソードとなると殆んどなく、あると言えば、(療養を兼ねた)新婚旅行に鹿児島を訪れたことや寺田屋のお登勢に預けられていたこと位です。
それと、坂本龍馬が下関にいる間、巌流島で花火や歌会に楽しく参加した事もあったそうです。
勝ち気で、男性に対しても偉そうな態度をとっていたと言われるお龍。
涙は殆ど見せなさそうですが、1867年、坂本龍馬が「近江屋事件」で暗殺された時、お龍は、長州・下関に預けられていましたが、龍馬暗殺の知らせを聞いて号泣したと言われています。
坂本龍馬の暗殺後は、知人を頼り生活をしていましたが、この時も激しい性格が災いし、その後、転々とすることになります。
移り住んだ先々でも、やはり性格が災いして長くは滞在していないようですね。
坂本龍馬の兄・権平夫婦からも嫌われ、龍馬の甥「坂本直」からも冷たくあしらわれたとか…。
結局、土佐を出ることになったお龍は、坂本龍馬とも付き合いのあったお登勢を頼り京都・寺田屋へ行きました。
その後は西郷隆盛、勝海舟を頼ることになりました。
後にお龍は坂本龍馬の死後、親切にしてくれたのは西郷隆盛と勝海舟とお登勢だけだったと言っています。
とはいっても、かなりの美女だったので、かなり男性に言い寄られていたようですね。
坂本龍馬とめちゃくちゃ仲が悪かった「新選組」局長・近藤勇にもお龍は口説かれていてプレゼントももらった。という自慢エピソードが残されています。
ちょっとお茶目。(笑)
お龍は明治8年に商人・西村松兵衛と再婚しますが、夫婦関係は上手く行かず、別居。
晩年、アルコール依存症のような状態になり、酔うと「私は坂本龍馬の妻だ!」と言っていたとか。
お龍は美人で、生意気な女性だったようですが、人によっては『それを善にも悪にもなるような女性で、龍馬にとってはそこが面白いと思ったのではないか』と言われていたそうです。
そんなお龍の事を、龍馬は相当気に入っていたようなので、相性が良くて気の合う夫婦だった。という事が伺えますよね。
悪評の多いお龍ですが、晩年はたくさんの人の援助を受けながら生活し、66歳で亡くなっています。
人を惹き付けるものをもった、ある意味、素敵な女性だったのではないかと思います。
お龍(おりょう)って、性格が悪かったの?
さて、先程もお龍(おりょう)の性格については触れましたが、海援隊隊士の証言では、「坂本龍馬の妻だから自分も偉い!」と思っている勘違い女だった。と言われていたようです。
海援隊隊士を自分の家来かのように扱っていた。という話もあります。
海援隊の隊士は、殆んどが土佐郷士。
天下国家のために命がけで奔走していて、決して家来とかではなく坂本龍馬とは同志だと思っているのに、お龍は龍馬の妻ということで、威張ったり、使い走りのように隊士たちを扱ったりしていて、武士のプライドがどうしても許せなかったようです。
いくら坂本龍馬の妻だといっても、女の私用の使い走りなど、言語道断。
一方、お龍は京女で、もともとは裕福なお家で育っていたからか、少々地方出の武士を馬鹿にしているところがありました。
その上、気が強い性格。
性格が悪いとか、激しい性格だったとか、龍馬の妻で勘違いしていたとか言われていたようなので、きっと、相手構わず偉そうに何でも言ってたんでしょうねぇ~。
この時代は、男尊女卑のある時代だと思いますので、女は後に下がって黙ってろ。的な時代。
それもあって、性格が悪い女。と言われていたのではないかと思います。
裕福だった生活が一変し、一気に困窮生活になったので、苦しい暮らしの中、長女として家族を守らないと!という思いがあったから、気性が荒くなったのかもしれません。いや、そうやって生きていかないと生きていけなかったのではないかと想像します。
信念を曲げない激しい性格の女性、お龍(おりょう)。
でももし、今の時代にいたら、格好いい女性と呼ばれたかもしれませんね。