大河ドラマ『西郷どん』でも登場する『大奥』ですが、実際、大奥とはどんなところだったのでしょう?

イメージは、女性ばかりでドロドロとしていて、イジメもあったんだろうなぁ・・・という感じでしょうか。

 

西郷どん』でも登場する徳川家定の母、『本寿院』ですが、泉ピン子さんが演じますね。

なんだかぴったりなイメージだなぁとも思いますが・・・

 

さて、その本寿院の大奥での立場(役職)は、御年寄りや老女と言われるものですが、どんな立場だったのでしょうか?

 

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目次

大奥とは

 

大奥とは

 

みなさん「大奥」って聞くとどんなイメージがありますか?

 

とっても晴れやかな、綺麗な着物を身にまとい美しい女性たちが、将軍の寵愛を独占して権力をわがものにすべく女同士争う…野心と陰謀が渦巻く女の園…的な感じではないでしょうか?

 

でもこれは歴史ドラマによるもので、実際に大奥で生きて行くとなると、それはそれは大変で華やかなことばかりではありませんでした。

 

ただ、大奥には女性の奉公人が大勢働いていたので〝ハーレム〝のイメージが先行してしまうのもわかる気がしますね。

 

」とは、武家住宅において主人が家族と日常をおくるための空間。

 

大奥」も同様に、江戸城内での将軍の妻子や母親などが暮らすためのエリアを示す言葉です。

大奥は江戸時代の江戸城の他には存在しませんでした。

 

大奥は立派な就職で、身分的に今で言うなら国家公務員に匹敵する安定職です。

 

当時の女性の「あこがれの職場」として絶大な人気を誇っていた江戸城本丸御殿の最深部に広がる大奥。

 

働いていた女性はおおむね600~700人、幕末の最も多いときで約1000人ほどいたと言われています。

 

給料も破格の金額が支払われ、礼儀作法や各種教養を働きながら身に付けられる職場で、就職資格も、武家だけに限られていたわけではなく〝コネ〝があれば、下位の役職には一般の町人や農民でも就職が可能でした。

 

しかし、大奥には入れても階級があるので、みんながみんな将軍様のそばに行けるわけではありません。

まず、下働きから始まって

 

・将軍のお世話係

・御中臈 

・御年寄 

・側室

・正室

 

と、なっています。言わば、女だらけの〝カースト制度〝です。

 

下働きの時は、将軍様の顔も見た事が無い状態ですが、『将軍様のお世話係』にステージがあがったら、将軍様に目を付けられるかもしれないのです。

 

もし将軍様がお気に召して今宵の相手に指名してもらえると『御中臈(おちゅうろう)』に昇格します。

御中臈』に昇格して将軍の子どもを作ると『側室』に昇格します。

 

流れはこんな感じですが、お世話係になっても将軍様から指名を受けた事がない女の人もいます。

女として若干残念…。

 

でも。お仕事を頑張ると『御年寄(お年寄り)』になれるので大丈夫!!出世コースは用意されています。

しかも御年寄は、少し将軍の夜のお供を経験した女より階級は上です。

 

御年寄のポジションは、今で言う〝お局さん

大奥の中での一番の権力者で、大奥を取り仕切っています。

 

大奥の裏では将軍に抱かれていない女⇒〝お清の方(おきよのかた)

将軍に抱かれた女⇒“汚れた方〝とよびます。

 

1618年に二代将軍の徳川秀忠が「大奥法度」を定め、千人を超える女性だけの大奥が誕生しました。

 

このあと、大奥は江戸城が明治幕府に開城されるまで存在し続けました。

 

彼女たちが奉公に際して「大奥内での出来事は一切口外しない」という誓紙に血判をしているから外部に漏れることはありませんでしたが、明治に入り少しずつ語られることとなり、資料などを総合し実情が少しずつ明らかにされていきました。

 

大奥は本丸と西の丸にあり、本丸は表・中奥・大奥の三つの区画に分かれています。

 

表は将軍が政務を執り、中奥は今で言うなら官邸の役割を果たし、大奥は御殿(ごてん)・長局(ながつぼね)・御広敷(おひろしき)の3つに分けられていました。西の丸では、大御所とよばれる隠居した将軍と、その正室などが住む場所でした。

 

江戸時代の時の将軍は、何人も側室を持つ事が出来、正妻に男子が生まれない場合、側室の産んだ男子を跡継ぎにする事もありました。

 

当時、身分の高い女性は政略結婚の手ごまとして使われるなど、政敵や対立する藩などに自分の娘を嫁として遣わし、時にスパイ、時に人質として、戦争に利用してきたのです。

 

多くの側室を持ち、将軍家の血を引く子をたくさん持てば、それだけ戦略に使える手ごまが増えるということです。

 

大奥の役割とは、一言で言えば跡継ぎを生み育てること。それにつきるといっても過言ではありません。

 

大奥にイジメはあったの?

 

大奥にイジメはあったの

 

大奥は女ばかりの組織なので当然「いじめ」がありました。

抜け駆けを許せない彼女たち、抜け駆けをしたわけでもない女にも敵対心を剥きだします。

 

カーストによるポジション争い・女の情念が常軌を逸した行動を起こすのです。

 

部屋で騒いでいた御年寄達を、日頃の妬みから陥れようと嘘をついたり、「男連れ込んでいた」的な事を言ったりする事もあったそうです。

 

こういう噂を立てて、事を大きくして陥れられるわけです。

そして御年寄は謹慎処分になる事もありました。

 

噂が本当かどうかよりも、そういう噂を流されるってどうよっ!みたいな処分のしくみです。

他にも新参舞という洗礼行事というものがあり、新入りの女中に裸踊りをさせていました。

 

まさに新入りいじめは、入った早々行われるのです。

 

大奥は、ほとんどが家柄の良い娘の集まりのはずですが、その家柄でも闘志を剥きだすのです。

入れ墨でも入ってんじゃないの?と因縁を付けられるのです。

 

通常幕府が身辺調査など徹底的にした娘が選ばれて大奥入りしてくるため、入れ墨などはあり得ないのは分かり切っているのに、わざわざ因縁つけていくというのはただの嫌がらせです。

 

また、大奥では、「子供ができる」という事が、一番。

お世継ぎを産めば自分のポジションが上がります。

 

自分が生んだ子供が次期将軍ともなれば、自分は女の最高峰に立つことになります。

なので他の女の妊娠は自分にとって邪魔!というわけです。

 

流産させてやる!』となるわけです。

お庭で転ぶように鼻緒が千切れる細工をしたり、あの手この手で計画を立てます。

 

実際に流産した人もいるので、やはり大奥内はイジメのレベルが違いますよねぇ。

 

しかも、大奥のルールで、20代だけ将軍様と子作りできるので(まだ医療の発達もしていないので、体のことを心配して高齢出産を避けた)華の20代を過ぎたらずっと女の中に囲まれての生活。

 

奥で生きて行くにはものすごく覚悟が要りそうですね。

 

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本寿院の位にあたる『御年寄』や『老女』について

 

本寿院の位にあたる『御年寄』や『老女』について

 

なんだか御年寄や老女と聞くと、どれだけ年食ったおばあちゃんの事言うねん!てな感じですが、御年寄は江戸時代、  江戸城大奥の中の女中の役職名で、老女に包含されるものであり、大奥きっての権力者です。

 

奥向きの万事を差配し、表の老中に匹敵する。御老女ともいいます。

 

将軍や御台所(将軍正室)への謁見が許される〝御目見〝以上の役職です。

 

 

基本的に将軍付、御台所付とに大別されますが、時代によって姫君付や将軍生母付の御年寄がいることもあります。

 

同じ御年寄でもその時代時代によって権力や格式に格差があったといわれていますが、いつの時代でも将軍付の方が格上になるみたいです。

 

奥向の公務の一つに将軍の夜伽に関するものがあり、将軍が将軍付御中臈の中から選び、将軍付御年寄に伝えれば、選んだ相手に寝所で待機するように指示を出していました。

 

その時、将軍の選んだ相手が自分の部下の御中臈で、しかも懐妊して、その子が将軍世嗣となったら、その御年寄は大奥内で大きな力を持つことが出来たそうです。

 

将軍の夜伽の相手は御中臈から選ばれるので、懐妊すれば「側室」とみなされるのですが、格式は御中臈のままだったので、給与面、格式面において御年寄ないし上臈御年寄に相当する待遇として、「御年寄上座格」が与えられたとされています。

 

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