大河ドラマ『西郷どん』第12話で起こる地震が『安政の大地震』です。

その際、『西郷どん』では篤姫の婚礼道具が潰れて使えなくなる事になります。

 

地震の際、吉之助は篤姫の部屋に急ぎ、篤姫を助けます。

そこで2人の交わす言葉から、お互いに好意を持っている事がうかがえます。

 

さて、そんな素敵なシーンが生まれる『安政の大地震』とは、どんな地震だったのでしょうか?

 

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目次

安政の大地震とは

 

安政の大地震とは

 

14~19世紀にかけて〝小氷期〝といわれるほど地球全体が寒い時代がありました。

 

日本では特に17~19世紀が酷く、大飢饉、富士山の噴火、大地震などなど日本各地で、次々に自然災害がおこりました。

 

安政の大地震」とは、江戸時代後期の安政(1850年代)の間に発生した顕著な被害地震も含め「安政の大地震」と総称されますが、一般的には安政2年10月2日(西暦1855年11月11日)八丈島付近を震源とするM6.9地震を指すことが多いようです。

 

この地震は、揺れが大きかった割には、地震被害はそうでもなかったのですが、江戸で地震の直後に火災がおこったので、大災害に…。

 

幸い普段より風は弱く、明け方近くなるとすべての火が消し止められたようですが、当時の記録に死者は13万とも22万とも36万とも書かれています。

 

実際のところは、地震学者・関谷清景氏の推測では7000人とされています。

 

この安政の大地震では、大都市の地震ということで瓦版がたくさんつくられ、震災前後の話を収録した地震誌も出ています。

 

地震の規模だけで比較すると、実はこの地震の前年度におきた連続地震の方が巨大な地震だったようです。

 

まとめますと…。↓↓

 

◎ 安政元年11月4日 

M8.4 震源=遠州灘沖(愛知・静岡の南)『安政東海大地震』

 

◎ 安政元年11月5日 

M8.4  震源=潮岬沖 (和歌山・徳島の南)『安政南海大地震』

 

◎ 安政元年11月7日 

M7.4 震源=豊予海峡(大分と愛媛の間)

 

近畿地方では4日の地震の直後に5日の地震、四国地方では5日の地震の直後に7日の地震が起きて、3つの地震で死者は1万人を軽く越えているのでは。と言われています。

立て続けにおきて、大変だったと思います。

 

江戸時代は「太平の世」のイメージが強いですが、自然災害という面から見ると大変な時代だったのですね。

 

ペリーがやってきて日本が開国したのも安政元年(1854)ですので、日本が大混乱していた時期の大地震ということですね。

 

さて、日本では地震の際にあった予兆が記録されています。

いちばん多いのが、怪光現象。

 

安政の地震でも怪光は目撃されていて、安政の地震でも怪光は目撃されています。

大地の結晶物質の崩壊で、発光現象とも電磁波とも言われていますが、定かではありません。

 

他にも

・眼鏡屋の店先に展示してあった磁石に付いていた釘が落下2時間後に地震が起きた。

・地震の数日前に土間から清水がわき出た。

・本所の井戸が濁り、塩っ気がついていた。

・井戸から不気味な轟音が鳴り響いた。

・ナマズが騒いでウナギが捕れなくなった。

 

などなど、安政の地震で報告されている前兆には、さまざまなものがあります。

 

で、どうも地震と磁石には関係がありそう。ということで、地震予知機が日本で初めて作られました。

 

地震が起こる直前に磁石が弱くなるという現象を利用して、鉄針が磁石から離れると、重りが落下することで上方にある鈴が鳴る仕組みで、目覚まし時計を応用した感じのものです。

 

地震被害に驚いた幕府は、蘭学者〝宇田川興斎〝にオランダの『ネーデルンツセマガセイン』を訳させたのが『地震預防説』です。

 

ここに書かれていることを考慮して、地中深く銅製の柱を埋め込んで「越列幾的児」(エレキテル)を空中に放出し、地震を防げる。としています。

 

これが日本初の地震予防策です。

明治の頃には、地震研究は長足の進歩を遂げ、日本初の地震実験所(研究所)と日本地震学会を設立。

 

ここで活躍したのが関谷清景さんで、日本の地震学の基礎を作っていきました。

 

明治17年には日本各地に地震計が設置され、地震観測網も完成し、今尚進化し続け現在に至ります。

昔の人の経験が活かされ、今私たちの生活はあるんですねぇ〜。

 

西郷どんでの篤姫は安政の大地震の頃に輿入れ

 

 

嘉永6年(1853)

篤姫は斉彬の養女となり、江戸の薩摩藩邸に入りました。

 

安政3年(1856)

右大臣 ・近衛忠煕の養女となり、同年11月に13代将軍・家定に輿入れしました。

 

その後、ペリー来航、12代将軍・家慶の死去、安政の大地震…と、次々に江戸の町を襲い、篤姫の輿入れはそのたびたびに延期になりました。

人生と同じく自然災害の面でも波乱万丈だったんですね。

 

篤姫の輿入れはこんな大変な時に行われたのですね。

 

この嫁入り道具の調達は西郷隆盛がしたそうです。

婚礼行列は先頭が江戸城、末尾は渋谷の薩摩藩邸という壮麗なものだったようです。

 

篤姫の暮らした大奥は徳川の居城、江戸城本丸御殿の天守台の南側にあり、男子禁制で、女性は3000人!!

男子で入れるのは将軍と一部の役人のみ。

 

想像つきませんねぇ。

全てが壮大なエピソード。

 

家と家とが結婚を決めて、言わば戦略結婚。

男子のように戦に行かずとも、女子も戦っていたのですね。

 

昔のお姫様は華やかに見えて実はとっても大変だったことが伝わってきます。

 

大河ドラマ『西郷どん』で篤姫は徳川家に輿入れしますが、実際と大河ドラマの違いはあるのでしょうか。

 

見比べていきたいと思います。

少々かいつまんで書いていきたいと思います。

 

まず大河ドラマ『西郷どん』での篤姫は、輿入れに向けて厳しい花嫁修業に耐え、言葉遣いは勿論のこと〝和歌〝〝雅楽〝〝武芸〝〝書道〝〝寝所の作法〝に至るまで身につけ、二十歳になった篤姫の美しさは、まさに大輪の花のよう。

 

篤姫の養育係の幾島もその美しさに目を細め、篤姫も幸せになる事を疑っていない無邪気な様子。

 

篤姫の準備が整っている一方で輿入れは遅々として一向に進む気配がない…。

 

どうも薩摩は外様である事を理由に井伊直弼ら一部の譜代大名等が邪魔をしている様子。

 

そこで、幾島は本寿院を味方に引き入れ積極的な支援を頂くことを思いつきます。

 

かつて、薩摩藩主島津重豪の娘であった広大院も近衛家の養女となった後に輿入れをしているので、前例がない訳ではなく、「篤姫様は近衛家に養女として出された後に輿入れとなります」と、伝えると「それならば問題なかろう」…ということで、一件落着と思いきやは別の心配も…。

 

それは、先に輿入れした妻がすでに二人なくなっていたからです。

 

篤姫は殊の外、健やかであること、そして、類まれなる幸運をお持ち〝というその言葉に心を決めた家定と本寿院。

かくして、篤姫の輿入れが正式に決まりました。

 

そこで初めて斉彬は、篤姫に公方様が子どもができないことや、一橋を次の将軍に押し上げたいので、公方を説得するために正室として嫁ぐ事など、輿入れの真相を話します。

 

不安はないと笑顔で話す篤姫に吉之助は胸が締め付けられました。

 

篤姫に真相を話したその日。

ドシーン!!!!!!!

 

突然の地鳴り。

立つ事も出来ない大地震が襲いました。

 

世に言う「安政の大地震」です。

吉之助は斉彬の無事の確認後すぐに篤姫の屋敷へと向かい、篤姫と脱出しようとした時天上の梁が落ちてきて。

腕でなんとか梁を支え篤姫を守り、庭に脱出できました。

 

嫁入り道具は灰となり安政の大地震で輿入れは1年遅れました。

 

史実では、西郷隆盛も篤姫も二人とも鹿児島県出身で、同じ時代を生きてはいるのですが、歳は、西郷隆盛が8歳上です。

 

8歳くらいだったらセーフかなぁ?と思いますが、なんせこの二人は身分が違うので、やっぱりカップルにはならなかったのではないかなぁと思います。

 

二人の共通の接点はやっぱり薩摩藩のヒーロー!!藩主・島津斉彬の存在。これにつきます。

 

篤姫は17歳で島津斉彬の養女となり徳川家へ輿入れます。

西郷隆盛は島津斉彬の下で江戸幕府討伐のために暗躍中。

 

篤姫が輿入れ道具などの調達には西郷隆盛が、関わっていたとされています。

 

結婚後は、大奥の中心で実力を発揮する篤姫。

実はこの時、西郷隆盛は江戸城の内情を幾島から受け取っていたそうです。

意外なところで接点はあったみたいです。

 

時代の波に翻弄された篤姫。

輿入れ後2年弱で徳川家定は病死。

 

この後、出家して天祥院と名乗るようになります。

この時、22歳。

 

同じ頃、養父の薩摩藩主・島津斉彬も亡くなります。

10年後、江戸城無血開城では大奥を仕切りました。

 

篤姫が亡くなったのは47歳、1883年のこと。

死因は、脳溢血。

 

葬儀にはたくさんの弔問者がお参りに来たという記録が残っています。

 

西郷隆盛は篤姫が亡くなる6年前に西南戦争で亡くなっています。

 

ドラマの基本はフィクションなのでどんなふうに展開するのか楽しみですね。

 

藩主・島津斉彬の養女というだけで、史実上は篤姫と西郷隆盛は接点はなかったとされています。

 

二人が心惹かれ合うことがあったかどうかですが、実際にはなかったようです。

 

篤姫は、洗練されたそれはそれは美しいお姫様だったようなので、一目惚れとかありえそうですけどね。笑

 

禁断の恋なので、そのことは西郷隆盛の胸にそっとしまっていたのかもしれません。。。

 

大河ドラマでは、西郷隆盛と篤姫の関係が史実とは違う演出があるみたいなので、それも楽しみですね。

 

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